民族のかかわり合いの成果である人類社会を形成したのは、征服と疫病と殺戮の歴史である。p21

10万年前から5万年前=「大躍進の時代」p55

ピサロが皇帝アタワルパを捕虜にできた要因こそ、まさにヨーロッパ人が新世界を植民地化できた直接の要因である。
ピサロを成功に導いた直接の要因は、銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことである。p120

植物栽培と家畜飼育の開始は、より多くの食料が手に入ることをいみした。そしてそれは、人口が稠密化することを意味した。植物栽培と家畜飼育の結果として生まれる余剰食料の存在、また地域によってはそれを運べる動物の存在が、定住者的で、集権的であり、社会的に階層化された複雑な経済的構造を有する技術革新的な社会の誕生の前提条件だったのである。したがって、栽培できる植物や飼育できる家畜を手に入れることができたことが、帝国という政治形態がユーラシア大陸で最初に出現したことの根本的な要因である。また、読み書きの能力や鉄器の製造技術がユーラシア大陸で最初に発達したことの根本的な要因である。p132

【一歩の差がおおきな差へ】
食料生産を独自に始めた地域は世界にほんの数カ所しかない。それらの地域においても、同じ時代に食料生産がはじまったわけではない。
食料生産は、それを独自にに開始した地域を中核として、そこから近隣の狩猟採集民のあいだに広まっていった。その過程で、中核となる地域からやってきた農耕民に近隣の狩猟採集民が侵略され、一掃されてしまうこともあった。この過程もまた多くの時代にわたって起こったことである。最期に、環境には非常に適しているのに、先史時代に農耕を発展させたり実践したりすることがなかった地域が世界には複数存在する。そうした地域の人々は、他の地域の人たちより一歩先に銃器や鉄鋼製造の技術を発達させ、各種疫病に対する免疫を発達させる過程へと歩み出したのであり、この一歩の差が、持てるものと持たざるものを誕生させ、そのあとの歴史における両者間の絶えざる衝突につながっているのである。p148

人為的な淘汰によって新しい品種が生み出される原理は、われわれが種の起源と自然淘汰の関係を理解しようとするうえで、もっともわかりやすいひとつのモデルを提供している。p191

肥沃三日月地帯で食料生産が早期にはじまるのに好都合だったもう一つの点は、「狩猟採集生活」対「農耕生活」という生活様式の競合が、地中海西西部や他の地域に比べて少なかったことであろう。p209

栄養面でみると、サンプウィードはタンパク質分32%、油分45%と特に優れていて、栄養学者の夢ともいえる作物である。
しかし、サンプウィードは、花粉症の原因として悪名高いブタクサの親戚で、ブタクサと同じように群生状態で花粉を撒き散らし、花粉症の原因ともなりうる風媒花である。人によっては、悪臭ともとれる強烈な臭いもあり、触れると肌がかぶれる場合もある。
p224

より生産性の高い植物、より有用な植物を栽培化し、より多様な作物を作り出すことで、肥沃三日月地帯は集約的な食料生産システムを発展させ、地域の人口密度をより早期に増加させている。その結果、肥沃三日月地帯の人々は、ニューギニアや合衆国東部の人々に比べて、歴史上より早い時期に、より発展した科学技術、より複雑な社会構造、そして、他民族に感染しやすい伝染病に対する免疫力を発達させたのである。p226

「由緒ある14種」のうち、世界各地に広がり、地球規模で重要になった家畜は牛、羊、山羊、豚、馬の「メジャーな5種」である。p236

【大型草食動物が家畜化されなかった6つの理由】
①餌の問題
②成長...

続きを読む

2011年7月30日

ネタバレ
ツイートする