右翼は言論の敵か (ちくま新書 821)

著者 :
  • 筑摩書房 (2009年12月1日発売)
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感想 : 13
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一水会の鈴木邦男の言動が、最近おかしいと感じていたが、その違和感の理由がこの本を読んでわかった。
そもそも鈴木は、ダブルスタンダードであるため、話が非常にわかりにくくなっている。
というのも、右翼の暴力をある程度肯定しつつ、一部の右翼がやっている企業脅しに批判をしているからだ。
しかも、世俗的なレベルで語られるため、右翼に対する評価事態を誤解させるものになっているのではないだろうか。

また、元右翼とは思えぬ言動の数々も、読者は頭を傾げてしまうだろう。例えば以下の文。
「戦後、マスコミ・論壇・教育界において左翼が強かった。しかし今はその影もない。その反動として、日本への誇りを取り戻そうという運動が盛んだ。しかし、過去の反動として日本のことを全て正義として認め、評価する傾向が出てきた。
それはおかしいと思う。あの戦争は自衛の戦争だった。アジア開放のための正義の戦争だった。朝鮮・台湾を植民地にしたが、日本は持ち出しだけで、収奪は一切やっていない。むしろいいことをしたのだ。そうやって戦争全てを是認する。夜郎自大な愛国者たちだ。
南京大虐殺はなかった。従軍慰安婦も強制連行もなかった。創氏改名も神社をつくったのも住民の熱望でやっただけで日本の強制は全くない。満州も理想の国家だった。そう主張する人たちも最近は多い。」

また、右翼の過激派を論じるのに、以下のことを言っている。

「右翼も左翼も特に新左翼は、必ずしも法の枠内で運動するつもりはない。時には法を犯しても行動する。それが左翼なら「革命的」「人民のため」かどうか右翼なら「国のため」「天皇陛下のため」かどうかが大事だ。」
と、非合法活動に走る理由を述べて、その例として銀行強盗や企業を脅したカネ集めを例にあげる。

この構図事態を批判して、本来の右翼の姿を提言するならまだしも、これをある意味肯定しているようにとれる文章構成だ。
これでは右翼の価値を失墜させるために書いたのではないかと訝ってしまう。

こんなことを書くくらいなのであれば、暴力団が隠れ蓑としているエセ右翼・在日朝鮮人が日本の国論を右傾化しないために活動しているエセ右翼について言及するべきであると思う。
右翼の団体の代表を自認するのであれば、今後の日本の思想について、提言すべきでは?

ただ、右翼活動家から見た、40年にわたる戦後右翼の変遷については非常に興味深いものがあったし、知らないエピソードもかなりあったので勉強にはなった。
文章も平易で、スラスラ読めるのは評価。
感想としては、賛否両方あるが戦後右翼の歴史の入門書としてはいいのかもしれない。
が、ところどころオカシイので気をつけて!
といった感じです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会
感想投稿日 : 2012年1月17日
読了日 : 2010年1月10日
本棚登録日 : 2012年1月17日

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