歴史入門 (中公文庫 フ 14-1)

  • 中央公論新社 (2009年11月24日発売)
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短いが非常に内容の濃い世界史の本(1976)である。講演をまとめたものだが、全3章からなる。1.「物質生活と経済生活の再考」では、人口や疫病、食物、技術などの歴史を動かす要素が指摘され、交換の場である市場のしくみやさまざまな慣習がでてくる。これらの物質生活は歴史の「かき回すことのできない深層」である。2.「市場経済と資本主義」、ここはブローデル理論の核心で、両者は分けるべきだとしている。市場をもたない文明は存在しないが、資本主義はちがう。中国ではつねに資本主義は抑圧されていたと指摘している。流通は二種あり、A.「透明な交換」とB.権力と組んで「統制を逃れる交換」である。A.は小売商、B.は卸売商(イタリア語ではnegoziante)と分けられ、資本家は卸売商から発展し、権力に妨碍されないかぎり、貿易・投機・高利貸・秘密取引、ときには暴力などあらゆる手段で資本を蓄積するところの「長期持続の寄生」である。小売商が商品ごとに専門化されていくのに対して、資本家は非専門家であり、生産方法の改良などには全く興味をしめさず、一般人の知らぬところで秘密里に資本を増やしていく。かれらは最後にやってくる「夜の客」なのである。3.「世界時間」では、主にベネチア・アンヴェルス・ジェノヴァ・アムステルダム・ロンドン・ニューヨークなどの覇権の推移を指摘し、世界経済は中心と周辺に構造化されるとする(ウォーラーステインの「世界システム」と同じ)。1650年代の欧州はアムステルダムが中心で、中間地帯はフランス・ドイツ・イングランドなど、周辺はスコットランドから東ヨーロッパ、南イタリアなどであり、周辺の周辺はアメリカ大陸などである。このころ中央ヨーロッパなど「周辺地域」は第二次農奴制の時代であった。つまり、資本主義と農奴制が同時に存在していた。中心が周辺を支配し、周辺が中心に依存するなかで、一度捨てられた農奴制が復活したのである。覇権がアムステルダムからロンドンに移ると、中心は都市ではなく、国民国家になり、産業革命が覇権の維持をたすけた。資本主義の「金づくりの方法」は昔から何も変化していない。イタリアから覇権を奪った北ヨーロッパ(イギリスなど)が、最初の資本を築くのは、東インド会社などの遠隔地貿易ではなく、イタリア製品のコピーとブランド詐称、1570年以降執拗に繰り返した海賊行為である。1688年のヨセフ・デ・ラ・ベーガ『混乱の中の混乱』には、株の転売、期限取引やオプション取引のことが載っているそうだ。つまり、現代人が中国人のやり口として批判するようなことは、過去に欧州の列強もしていたのである。また、ソマリアの海賊について「現代の話じゃないみたい」というのは資本主義がそのように世界を構造化することを知らない暢気な意見である。覇権国家が豊かになったのは自由貿易が経済的真理だからではない。詐術と暴力を組み合わせて奪ったからである。市場経済と資本主義は分けなくてはならない。市場は必要だが、金融資本主義は危険なので制御しなくてはならない。資本主義は必要悪ではないのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2011年11月15日
読了日 : 2011年11月15日
本棚登録日 : 2011年11月15日

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