ソフィストのプロタゴラスと対話する若きソクラテスという設定で、「徳は教えられるのか」「正義や節度・敬虔や勇気などは一つの徳(アレテー)なのか、それとも一つの徳の一部分なのか」という二つの話題が中心になっている対話篇。
プラトンは「ソクラテスの弁明」しかまだ読んだことがないから分からないけど、若いソクラテスという設定ゆえなのか?ソクラテスが優位に対話を進めるという感じではない。
前半ではプロタゴラスの方が周りの支持も得ているし、説得力を感じる。ソクラテスは長い話は苦手だと言って話を逸らすが、そのあと詩の解釈でさらに長い話を自分でするのはどうなんだ(笑)。後半もソクラテスのやり方は揚げ足取りのように感じられて、あまりスマートとは思えなかった。「反対のものは一つしかない」などの前提がそもそもおかしいというか、プロタゴラスを罠にはめるための装置としか思えなかったからだ。
結局最後にはお互い主張があべこべになってしまい、もう一度議論をやり直したいが時間切れ、というところで終わってしまう。読者がこの対話を続けてくれ、ということなのだろう。私は前述のような理由でこの議論自体にもあまり魅力は感じられなかったので、あまり気乗りはしないけれど。もうちょっと別の作品を読んでみようと思う。
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カテゴリ:
哲学
- 感想投稿日 : 2023年10月26日
- 本棚登録日 : 2023年10月26日
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