日本ノンフィクション史 - ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで (中公新書 2427)

著者 :
  • 中央公論新社 (2017年3月21日発売)
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本棚登録 : 221
感想 : 21
2

微妙だな。「日本ノンフィクション史」と題しているが、扱っている
のはほぼ戦後。そして、著者本人が大宅壮一の評伝になってしまったと
書いているように、頻繁に大宅壮一絡みの話が出て来る。

名前を冠したノンフィクション賞もあるし、受賞作のほとんどは私の
書棚にある(読んだとは限らない)。大宅壮一文庫には大変お世話に
なったし、日本のノンフィクション作品を語るには欠かせない人物で
もある。だが、少々紙数を割きすぎではないか。

戦中の記録文学を経て、大宅壮一をはじめとした社会派のルポルタージュ、
そして週刊誌が元気で「トップ屋」が活躍した週刊誌ジャーナリズムの
時代から、沢木耕太郎に代表されるニュー・ジャーナリズムの登場。と、
ここまでは分かる。

だが、田中康夫『なんとなく、クリスタル』や、一時大流行したケータイ
小説までを含めるのはどうなんだろう。作品の良し悪しではなくてね。

タイトルから通史だと思っていたのだが、通史というよりも評論の類
なのではないかな。それも結構、偏った評論のように感じた。

筑摩書房『世界ノンフィクション全集』には触れているのに、早川書房
『ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース』には触れていないし、
映像ノンフィクションとしてテレビ・ドキュメンタリーは扱っているの
に、フォト・ジャーナリズムの登場はほとんどない。

そして、同じトップ屋でも梶山季之は取り上げても竹中労の名前は出て
来ないし、潜入ルポルタージュの傑作『自動車絶望工場』の鎌田慧や
新聞記者出身の本田靖春などにも一切、触れていない。

竹中も鎌田も本田も、日本のノンフィクションを語る上で欠かせない
書き手だと思うんだけどな。

著者はジャーナリストでもあるんだが、本書は評論って感じだった。
やたら「〇〇的」という言葉が出て来るので、それが引っ掛かって
しまい、「新書なんだから、もっと他に書きようがないか」と感じ
てしまった。

そもそも、ノンフィクションの定義自体が難しいんだよな。空想小説
ではければ、フィクションに対してなんでもノンフィクションと呼べて
しまうんだから。

尚、本書では私が面識のある方の名前が何人か登場しているので、
その部分では学生時代を思い出して懐かしかった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2018年1月18日
読了日 : 2018年1月18日
本棚登録日 : 2018年1月18日

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