学問のすすめ (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ1)

  • 致知出版社 (2012年9月7日発売)
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明治5年~9年(1872~1876年)の間に福澤諭吉によって書かれた当時の大ベストセラー。初編だけでも日本人の約160人に1人は読んでいた計算になるというのが凄まじい。

開国後、西洋や西洋の学問・文明とどう付き合えばよいのか、さらに、どう生きればよいのか暗中模索の時代に、道を示したのが本書ということなのだろう。

本書は一見すると「昔の自己啓発書」のように見えるが、現代の自己啓発書と決定的に違う点がある。それは、「一個人である読者の利益追求」を第一とするのではなく、「文明の発展、人類の発展」を第一としている点である。

だから、例えば、「自分のお金を使って、酒や女遊びに溺れて放蕩の限りを尽くしている人」に対して、現代の自己啓発書なら「すぐにお金がなくなって“貴方”が困りますよ。他の良いことに使えば、“貴方”の人生がより良いものになりますよ」という、あくまでも読者である“貴方”の損得を主軸に話が展開されることが多いと思われる。

しかし、この「放蕩を尽くしている人」について諭吉が述べると「自由独立が大事ですが、自由とわがままの違いは、他人の邪魔をするかしないかです。放蕩の限りを尽くしても、その人の勝手のように見えますが、決してそうではありません。ある人の放蕩はいろいろな人の手本となって、しまいには世間の風俗を乱して、人としての正しい生き方の妨げとなるのです。だから、自分のお金で遊んでいるからといって、その罪を許してはなりません。他人の邪魔をせずに、自分自身の自由を達成しましょう」となる。

諭吉は、一個人の自由独立や権利も訴えているが、それと同等かそれ以上に、一個人の働きが、文明や人類や日本国の発展に寄与するかどうかを重視していると、私には受け取れた。
だから、文明の発展・正しいあり方を示すために、政府を「優秀な人物をたくさん集めて、一人の愚か者がやるようなことをする所」と言って憚らないし、(読者である)人民についても「相変わらずやる気も能力もない愚民」とはっきり言う。漢学者にも洋学者にも手厳しい。
けれども、これは馬鹿にして見下しているというより、本当に政府や人民のことを思いやっているからこそ、これだけは言っておかなければならないということを、色々な喩えをふんだんに用いて、子供にも分かるようにと考えて書いているのである。

その厳しい清廉さは、正直言って格好いいと思う。是非とも、福澤先生に現代日本の進むべき道を示し、啓蒙してもらいたいと心底思ってしまう魅力がある。

もう一つ特筆すべきは、諭吉の西洋の文明への慧眼である。
「わが国が、外国にかなわないのは学術、商業、法律の三つ。世界中の文明はだいたいこの三つに関係していて、三つともうまくいかなければ国が独立できない。ところが、今わが国ではそのうち一つたりともその体を成していない」
「「信」の世界はデタラメだらけで、「疑」の世界は真理があふれている。西洋諸国の人民が今日の文明にたどりついた原因を考えてみれば、「疑」の一文字から発生しなかったものはない(科学や物理に始まり、奴隷制を疑う等、人間がやることの進歩まで)」等々、その洞察は多岐にわたる。

この西洋の文明への鋭い洞察は、そのまま、明治以降その西洋の文明を取り入れた日本への洞察へとつながるのである。
現代日本が抱えている問題も、元をただすと、諭吉の指摘している、明治時代の時点で「西洋の制度をうまく取り入れられてない(形だけになっている)」部分を、そのまま現代に引き継いでいる箇所が多分にあるのではないかと感じた(現代日本において政治が他人事で投票率が低い等特に)。

そのため、西洋の制度や文明の仕組みを、そして、日本が今に至る起源を知りたい人は、諭吉の著書を読むと非常に多くの示唆と知見を手に入れられるのではないかと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学・思想
感想投稿日 : 2017年5月13日
読了日 : 2017年5月9日
本棚登録日 : 2017年5月9日

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