後醍醐天皇 (岩波新書)

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  • 岩波書店 (2018年4月21日発売)
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大覚寺統の亀山法皇の死、後二条天皇の急逝、その子邦良親王の病弱などの偶然が重なって、尊治親王(=のちの後醍醐天皇)に皇位継承の可能性が巡ってきた。
おりしも時代は宋学が流行したとき。モンゴルの侵攻による南宋の衰退で、蘭渓道隆や無学祖元が来朝していた。
後醍醐天皇が理想とした新政は、宋学に裏付けられた中央集権的な政治だった。天皇とその官僚機構にすべての権力を集中させる統治形態である。それは逆に言えば、門閥や家格の序列を解体するような人事であった。そんな後醍醐天皇のイデオローグとなったのが、日野資朝や日野俊基といった、宋学を修めた中流以下の貴族層だった。
天皇は身分や序列が無化される場として無礼講を開き、討幕の謀議を重ねる。大学時代内部の後醍醐派・邦良派の対立からスタートした正中の変(1324年)は倒幕計画に加わった土岐頼員が密告して失敗。日野俊基は鎌倉に拘禁されたあと、すぐに釈放されたが、日野資朝は佐渡へ流罪となった。
31年、再度の倒幕計画が露見(元弘の変)。笠置山の戦いで敗れた天皇は、隠岐に流される。日野俊基は鎌倉に送られて斬首、資朝は佐渡で処刑。幕府が送り込んだ足利高氏は反旗を翻して六波羅を攻略、新田義貞は鎌倉を攻略。鎌倉幕府の滅亡である。
天皇の新政は、平安後期以降の貴族の既得権を打破し、天皇が臣下を介さずに人民に君臨するものであった。だが、その理想は14世紀の日本の政治的現実を前に挫折せざるを得なかった。

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感想投稿日 : 2024年4月29日
読了日 : 2024年4月22日
本棚登録日 : 2024年4月22日

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