保坂和志が「猫が好き」というのはもちろんそうなのだろうけど、猫という生き物を溺愛する人たちというのは普通にどこにでもいる。その中でたとえば保坂和志のように自分の創作に猫をモチーフとして採用する人だって少なくないだろうし、猫に対して好き嫌いの俎上にのる感情を持っていない私ですら、猫好きが猫をモチーフにこしらえた作品というのは鑑賞したことがある。
で、その程度の私ゆえに個人的な感慨の範疇でしかないのだが、猫をモチーフにした作者および猫好きと保坂和志の、おそらく決定的にことなる点は、猫が好き というところに留まらず、「本気で猫という生き物について考える」ということを(作品を通して)やっていることにあると思った。猫が(猫でなくてもいいけど)好き!という言葉なり作品なりは、私と猫好きの人の他者性を強化する以外の効果がないというか、エビが苦手な人に「エビはこんなに美味しいのに人生損しているよ」と力説するのとたいした変わらないというか、いや"損"はしてないよと思ってしまうしその時点で道が閉ざされてしまうようなしらこい疎外感を感じることがあるのだが、「本気で考える」となると話は違うようだ。猫について本気で考え尽くすことが、不思議と猫に興味のないような私にも、猫に対して何かしらむずむずとした思考の萌芽みたいなものを芽生えさせられたような余韻がこのたびの読書の後には起きたからだ。
「好き」と「考える」ということの特異点は曖昧でありながらもここにあって、「考える」ことは個人的な感情を超えて無関係な他者に開かれるのかもしれない。
ところで、この小説のタイトルは「猫」ではない。「猫たち」でもない。「猫に時間の流れる」である。"時間の流れる"という点を、私たちはこの小説の感想の中で忘れてはいけないと思う。時間の流れることは不可抗でありよるべない。そして時間とは時計によってそれを規定した我々人間だけのものではない。
- 感想投稿日 : 2022年10月2日
- 読了日 : 2022年10月2日
- 本棚登録日 : 2022年10月2日
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