ロメール「レネットとミラベル4つの冒険」をぼんやり頭に浮かべながら読んでいたら七〇くらいのおばあちゃんたちの話だったと知りちょっと恥ずかしい気持ちになる。途中で「ロメールっていうかメカスみたいなことか…」と思ったがそれは小説ぜんたいに対してではなくて二人の撮影する映像への納得だから実は的を得てはいないのだけど。
お互いがお互いを思いやり慈しみ合う二人ではない。ただ、ひたすらにずっと二人で過ごしている。そのスケッチから浮かび上がるのは、それぞれの生活が「わたし」二人分ではなく「わたしたち」一つ分であるということと感じられた。トーベ・ヤンソン本人の実人生と照らし合わせるのはそのように考えても勝手だがこれがエッセイではなく小説である以上わざわざ考えなくてもいい。いろいろな景色、いろいろな天気、いろいろな季節、その中に二人がいる。8ミリカメラを回す。きれいな映像が撮れることもあれば暗すぎたり明るすぎたりして「ダメね」とうなだれることもある。しかしながら、「わたしたちは過ぎた時間の中であってもかつてたしかにあそこに存在した」という実感の獲得がためにこそ映像を撮影し確認し続ける二人は、録り貯めながら観返すことのないビデオの映画とおなじく"映像"にして、決定的に別のニュアンスを見出している。
本作にあじわいぶかく冠された「フェアプレイ」のあらわすことは何か。二人の関係の平等性というのではあまりに物足りない。もっとマクロな対峙への姿勢が込められていると私は思います。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2023年11月12日
- 読了日 : 2023年11月12日
- 本棚登録日 : 2023年11月12日
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