都市デザイン: 野望と誤算 (SD選書 236)

  • 鹿島出版会 (2000年2月1日発売)
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感想 : 5
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産業化以降の近現代の都市デザインの様式(主に物的な街並み)とその思想、およびその帰結を体系的にまとめた本。(産業化以前の都市についても簡単に説明してあったが、観客の視点というコンセプトが持ち上がる以前は近代的な意味での都市デザインは行われていない)
扱われているのは、モニュメンタルな都市、田園都市と田園郊外、近代都市、メガストラクチュアである。

SD選書系列によく言われるように訳はイマイチ。
本書は逐語訳といった感じ。「…?」となるが、慣れれば元の英語を想起しながら読める。ただところどころ日本語がおかしいのはちょっと…
原文を想像しながら読むにしても、英語で読んだほうがいい。(☆ -1)

内容は初学者でも理解できるレベル。様式とその例だけでなく、それぞれがなぜ成立したのか?なぜこの様式ではうまくいかなかったのか?現在どのようなところでそれが生きているのか?といったことを学ぶことができる。
一部成功しているように見える田園都市のような例も実はハワードの試みとは違った形であることなどもわかり、まさに「野望と誤算」といった感じである。

高層ビル群や民間不動産投資に特徴的な跛行的開発をコントロールすることができなかったモニュメンタルな都市。
都心に対する郊外の代わりとして提起された、ピクチャレスク原理を用いた自己充足的であったが、鉄道時代のハワードの構想が想定していなかった自動車の普及による都市機能の分散により、郊外と都心の従来の関係が弱まりクラスターが崩壊したことで、郊外化した大都市における交通問題を招いた田園都市。
不動産市場に対応して成長・変化し、過去の建築と断続された国際様式(インターナショナルスタイル)をもつ普遍建築(ユニヴァーサルアーキテクチャ)を標榜したが、都市の完全な再開発および単一で統一した建築上の表現での置き換えの正当性を示すことができなかった近代都市。
近代都市において不十分であった点を「都市デザインの総合的・権威主義的要素」と認識し、既存の都市域内部での密度増加を標榜して計画されたものの時代のニーズとずれてゆき、財政的な厳しさのほか、歴史的建築物の保全、コミュニティ参加、省エネルギー、自然環境保全といったイデオロギーに対抗できなかったメガストラクチュア。
都市デザインにおける公理としてのこれらのアイデアはさまざまな誤算に直面し破れ去ってきたが、それぞれの利点が生きる局面では現在でも用いられている。

著者はこの上で、『いま望まれるのは、目的をすべて満たす都市デザイン・コンセプトではなく、経済的・社会的変動のプロセスと都市デザインを統合する新しい方法である。』としている。
なぜなら、現在の世界において経済的社会的変動はあまりに早く、また活動・コミュニティ・異なる密度の開発など、含まれるものもあまりに多くなっているので、静的なパタンにより都市にひとつの形象を与えようとする取り組みは今まで以上に遂行が困難になっているからである。

都市計画という分野について、「変化の余地がある都市」ということを標榜した都市デザインにおける新たな論理体系を、このヒントを基に模索することが今後の課題になるだろう。変動のプロセスとデザインの統合ということがどのようなことなのかまだ理解できていないが…
しかし、これと同時に、ランドスケープや高度な交通シミュレーションなどの新しい知見による、科学的根拠に根ざした計画論を確立することも重要であると感じる(「これからの日本に都市計画は必要ですか」を参考)。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 都市計画
感想投稿日 : 2015年4月3日
読了日 : 2015年4月3日
本棚登録日 : 2015年4月3日

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