ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

  • 作品社 (2000年6月1日発売)
3.95
  • (75)
  • (44)
  • (83)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 603
感想 : 76
4

よく「他者に読まれない作品には意味がない」と聞く。「公開されない作品には意味がない」と。そう唱える人たちの持論では、小説でも絵でも古今東西あらゆる創作物は他者に認められ初めて存在価値が得られる。

ずっと疑問に思っていた。

はたして他人の目にふれない作品には本当に意味がないのか?
作品を公開し、認めてもらうだけが全てなのか?

SNSが発達した現代、クリエイターが発表の場を得るのは容易い。Twitterは無料の、しかも膨大な作品が掲載された日刊コミック誌で、ボケッと受動態でいても無数の作品がRТされてくる。小説投稿サイトから受賞を経ず商業デビューした作家も多い。

でも本当にそれが全て?
いいねの数に振り回されて本当に描きたいものや書きたいものを見失ってはないか。読者に媚びて迷走してないか。

沢山の人に褒められる作品は素晴らしい。
けれどどんなに多くの人がちやほやしてくれたって、自分が満足できなければ何の意味もない。創作活動は究極の自慰だ。自己満足だ。他人の為に書くんじゃない、大前提として作者は一番最初にして最高の読者なのだ。
ヘンリー・ダーガーは一切見せず読ませず知らせず、自分のためだけに自分の書きたいようにこの未完の大長編を書き続けた。
創作物を自己承認欲求を満たす交流ツールに落とすアーティストやクリエイターもどきが多い中、孤独で貧乏な彼は、抑圧からの現実逃避に駆り立てられ別の世界を構築した。
拷問と虐殺に彩られたおぞましい、歪んだ、そして可憐な。理想の世界への変態的な執着。
彼は自分という一番の読者に対し徹頭徹尾貪欲で正直にあり続けた、ある意味世界でいちばん幸せな創作者だ。

ヘンリー・ダーガーの経歴を見、ゴッホを思い出した。今では世界的な巨匠だが、生前は認められず不遇だったあのゴッホだ。
ゴッホは他者に肯定されたかったろうが、ヘンリーはそんなのどうでもよかったのでは。むしろ自分の恥部を知られたくなかったはずだ。誰だって自慰を公開するのは恥ずかしい。
ヘンリーは何度も養子を申請しては断られたというが、この物語を読めばサドでペドじゃないかと疑いを抱いても致し方ない。
真偽は永遠に不明だが、この物語はヘンリーの救いとして機能していた。
彼の死後に発見され、アウトサイダーアートの傑作と評価を受けるが、既にこの世にいないヘンリーにはどうでもいいことだ。

この物語には意味がある。
むしろ意味しかない。

ヘンリーの執筆時の心境はわからない。本音では自作の良き理解者を求めていたのかもしれないが、誰に見られずとも書くことだけで救われていた。
世の中には自分の為だけに書き続ける物語があっていい。
それがどんなにおぞましく、醜く、歪んでいようが。あるいは倒錯していようが、自由に書いていいのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年5月4日
読了日 : 2020年5月4日
本棚登録日 : 2020年5月4日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする