雑文乱文の注意されたし。
まず、文の、リズムの緩急がしっかりしていて、これぞという見せ場を明確に示してくれる。その技術にまず感嘆する。セオデン王とデネソール候の比較(メリーとピピンの目から見る対比)も見事だと思う。とくに、デネソール候の狂気は、いままつりごとを司っているものにも当てはまるのではないなかろうか……
ベレゴンドやベアギル、ヨーレスばあさんの出番は、ホビットたちとやりとりする馳夫のユーモアも含めて、戦や幽鬼に少々食傷ぎみになった気持ちを少し和ませてくれる。
しかしその前、エオウィンの(行動はさておき)ことばには首を傾げたくなることもある。この点ではル・グウィンによる「西のはての年代記II ヴォイス」はメマーの疑問、残念ながら手元にいま実物がないのでうろ覚えになるが、「どうして男性たちは、きょう明日の糧、お客さまを迎えるごはんのことを考えないでいられるのだろう?」という問いに代表されると思う。実際の食物や饗応のことではなくーー指輪物語においては「悪」の立場で省かれている、本来「自分たち」(消費者・生産者)なしでは存在のおぼつかない相手(兵士など)をいかにこちらに呼応させうるかという問題だ。
作者が、ガンダルフをして「戦い」それ自体を、指輪が葬り去られる陽動だと、そうでなけれど意味なきこと、と位置付けていなければ、数々のいさおしも、わたしにはむなしく映ってしまっただろう。指輪を原水爆に、敵味方もろともにほろぼしてしまうような兵器に喩えるなら、そうでなければならない。戦いはいかに果敢であろうと、ほぼ無為にひとしかろう。ただ、スイッチをいかに無効化させるか、スイッチを持たせないか、スイッチを持ちたがる者をどう制するか、わたしたちは別の本に学ばなければならないかもしれない。
- 感想投稿日 : 2023年3月21日
- 読了日 : 2023年3月21日
- 本棚登録日 : 2023年3月21日
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