移行期的混乱: 経済成長神話の終わり (ちくま文庫 ひ 22-1)

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  • 筑摩書房 (2013年1月10日発売)
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企業での仕事には、みんな「プロ」という言葉が付いている。

ある「プロジェクト」を立ち上げるためには、計画=「プログラム」が必要だ。その事業の責任を持つ「プロデューサー」が「プロセス」を組み立てて、商品やサービスを「プロモーション」して、企業として「プロフィット」を計上することが求められる。それこそが「プロフェッショナル」として求められる姿勢である。今の世の中に氾濫する「プロ」という言葉、ラテン語のそもそもの意味は「前」というものらしい。つまり、企業活動というのは未来を予測して創り出していくもの、と定義することができる。


そんな企業活動が低迷しているのはどうしてなのだろうか。アベノミクスといわれる経済政策によって、一時的に息を吹き返したようにも見えるが、そもそも震災前には100年に一度の経済不況と呼ばれていた混乱があって、そこで必要とされていた量的緩和や公共事業が進められているに過ぎない。むしろ構造的に何も変化しているわけではなくて、人口減少やエネルギー等の資源制約、民間消費の低迷といった条件は震災前よりもさらに進んでいるように思える。


企業というものの存在理由が「未来を創り出すため」にあるのならば、これまでの延長線上で考えていくのは筋が悪い。実際に安倍内閣を支持しているのは、重厚長大型大企業を中心とした経済団体であり、官僚型組織の代弁者として自民党という存在がずっと政権を担ってきた歴史がある以上、今回の参院選というのもそのような組織的な利益代弁の意味があったということだ。それらのフォーマットはすべて、人口が増え続けて、経済が発展し続けるという前提の元につくられている。


いまは移行期なのだと思う。たとえば江戸時代でも、1700年から150年くらい停滞期があって、明治維新後に工業化が進んで人口が一気に増えていったという。そこに投入された技術的イノベーションというのは、アンモニアから窒素を供給する化学肥料だったり、石炭を焚くことによる蒸気機関だったり、人間の根源的生活の質を劇的に高めるような発明が西洋からもたらされたためだ。同様に、戦後の高度成長というのも農業の機械化や石炭⇒石油への移行といった生産性の向上が図られたために、1億人を超える人口がこの島国で住めることになった。その延長線上に原子力発電があるのだし、東京への一極集中がある。


移行期的混乱を問題視するのか、楽しむのか。それによってその後の変化に対する主体性が違ってくると思う。願わくば変化を興す側に回ること、それこそが移行期を乗り切るための最高の戦略なのではないだろうか。企業家が少しでも増えてあるべき未来を創造していくことでしか、前進はないのである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: Social
感想投稿日 : 2013年7月28日
読了日 : 2013年7月25日
本棚登録日 : 2013年6月3日

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