ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA)

著者 :
  • 早川書房 (2019年12月4日発売)
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オーディブルは小川哲『ゲームの王国・上巻』を今朝から聞き始める。

高校の歴史教師サロト・サル(のちのクメール・ルージュ書記長ポル・ポト)の隠し子はひょんなことからプノンペンの郵便局長ヒンとヤサ夫妻に拾われ、ソリヤと名づけられて育つ。

「選挙はシハヌーク率いるサンクムの圧勝だった。当初勝利が予想されていた民主党や、善戦が期待されたプラチアチョンは一人の当選者を出すこともできなかった。民主的な選挙など存在しなかったのだ。ほとんどすべての投票所で不正が行われたし、正当な勝者が暗殺された選挙区もあった」
「茶番だった。無意味だった。しかし、この選挙の経験そのものは無駄ではなかった。サルはこの壮大な茶番を通じて、ある重要な真理を強く認識した。結局のところ、権力を握った者がすべてのルールを決めるのだ」
「答えは寒暖た。自分たちがルールを支配すればいい。選挙の顛末を受けて、カンボジア共産党は即座に合法部門の撤廃を決めた。権力者の定めたルールに従ってフェアプレイを行っても絶対に勝つことはできない。相手がルールを変更することで勝利を盤石にしようとするならば、自分たちもルールを逸脱してそれに応じなければならない。そのために手段を選んでいる場合ではない。残念ながら、革命が逃走であるという格言は正しい。驚くほど正しい」

「まず手はじめに、人員を少しずつ増やしていく」「信頼でき、そして能力のある人間だ。実行力があり、革命に対する炎を絶やさず、何があっても信念を貫き通す、そんな人物だ。その一方で、わたしたちは自分たちだけのオンカーを作る。思想純度の高い組織を作り直すんだ」

左派が長年間違い続けて、どういうわけか、いまだに学ぼうとしない真実の一つは、路線対立をくり返し、思想純度を高めれば高めるほど、排除の論理が幅を利かせ、疑心暗鬼と足の引っ張りあいが横行し、大衆の指示は得られず、監視コストがふくれあがって、やがて先細りして、崩壊せざるを得ないということだ。厳しい思想統制で、たとえ一時的には「純度の高い統一国家」のようなものが現出したとしても、その耐用年数は驚くほど短く、支配権を確立した独裁者の死や退場によって、もろくも崩れ去る運命にある。

彼らがいうように、本当に「大衆のため」「人民のため」を思うなら、純度を高めるのではなく、むしろ逆に、清濁併せ呑んで、あれもこれも、考えの違う人までも仲間にしてしまうようなゆるさとおおらかさが必要なのだけど(だって、大衆ってそういうものなんだからさ)、頭の悪い彼らには、それが、何度失敗してもわからないと見える。その学習能力の低さは、こちらが驚いてしまうほどだ。「大衆のため」というのは見かけだけで、大衆のことを知ろうともしないし、見下している証拠だろう。そんなことをしていては、いつまでたっても大衆の支持は得られない。それはよく彼らが口にするように「大衆がバカだから」じゃなくて、そんなことさえわからない「彼ら自身がバカだから」にすぎないんだけどね。

オーディブルは小川哲『ゲームの王国・上巻』の続き。

サロト・サルが説くマルクス主義の欺瞞。

「実は商品の価値についても、これと同じことが言えます。商品の価値は、どれだけの労働が費やされたか、それによって決まるからです」

商品の価値は、そこに投入されたコストとは無関係に、市場で決まる。これだけ手をかけたのだから、その対価としてこれくらいもらわないとやっていけない、というのは作り手側の一方的な都合にすぎず、買い手の思惑とは一切関係ない。投入した労働に見合うだけの値段で売れないのだとしたら、その値段で売れるようにコスト構造を見直さなければいけないだけで、それが競争に勝つ唯一の方法だ。市場ではつねにダイナミックに競争が行われているという事実を無視して、プロダクトアウトで自前のコスト構造だけに着目するから、こういうごく初歩的なウソが平気でまかり通ってしまう。

「さて、資本家は儲けを殖やすために、どのような手段に出るでしょうか?」
「労働者の賃金を下げれば、そのぶん儲けは大きくなります」
「しかし、そうすると労働者が辞めてしまうのでは?」
「賃金が下がれば、労働者は辞めていくかもしれません。しかしそれは問題ではないのです。労働者の賃金を減らして手にした儲けで、資本家は機械を購入するからです。機械に仕事をさせれば、労働者の数が減っても問題はありません。そうして労働者はどんどん解雇されていき。資本家は労働者に支払う賃金を減らすことができます。儲けはさらに増え、そのお金で新しい機械に投資します」

機械化、オートメーション化、ロボット化が本格化するかどうかもコスト次第で、賃金のほうが安ければ安い労働者を求めて工場は国外に出ていくし、新興国の経済発展+地政学的理由によって、それよりも機械化のほうが安くつくなら、どんどん機械化が進むだろう。一方、人材の流動化が高まれば、労働者の報酬も労働市場というマーケットによって決まるようになるため、高く売れる労働力と、安くしか売れない労働力に二分化されていく。上の議論の対象になっているのは、スキルが低くルーティンワークをこなすだけの単純労働者の話であって、そうした労働はいままさに、ロボットとAIにとってかわられようとしている。

だが、インターネット時代にそうした労働とは別の稼ぎ方がたくさん出てきたのも事実で、資本家と労働者の対立構造でしか物事をとらえられないこうした見方は、多額の資本と工場設備を前提とした装置産業にしか当てはまらないという事実を指摘するだけで足りる。いまどき、巨大な資本(元手)なんかなくても、事業はいくらでも立ち上げられるし、資金調達の手段も資本市場も非常に多様化している。そうした市場が花開いたのは、まさに競争があったからこそであって、国家がすべてコントロール下においた体制では、そうしたイノベーションを生み出すことはできなかった。

「資本家は儲けを殖やすために、労働者の賃金を下げるか、労働者を長時間働かせるか、あるいはその両方を行います。もちろん労働者は怒ります。しかし、怒っても意味はないのです。資本家は儲けた金で機械を買い、怒った労働者をクビにしていきます。こうして失業者が増えますが、資本家はどんどん儲けていきます。一部の者が大儲けをして、他が貧困にあえぎます。この状況がどんどん進んでいくとどうなるか――労働者による『革命』が起こります。資本家を追いだして、彼らの利益をみなで平等にわけるのです」

こうした言説は、経済成長を成し遂げたことがない人たちの戯言だということが、経済成長を一度でも味わったことのある人なら、実感としてわかるはずだ。欧州における革命が、資本主義というより経済発展で最も出遅れたロシアでしか成功しなかったのは、革命なんかやらなくても、経済が成長すれば、おおかたの人たちの不満は解消されてしまうからだ。もちろん資本主義もまったく万能ではないし、短期的には強欲資本主義的に「貧富の差が拡大ししぎる」局面がないとはいわないが、それでも、競争原理が働く限り、従業員や取引先を犠牲にして儲けすぎる会社は、やがて世間からの支持が得られなくなり、長い目で見れば淘汰されていく。

生存競争と同じで、あらゆる生物はつねに淘汰圧にさらされているので、いまある環境に最適化してバランスを保っているが、環境がひとたび変わって、それまで支配的なポジションを占めていた生物種が退場すれば、そのすき間を埋めようと、他の生物たちが急速に進化して、別のエコシステムができあがる。勝手に競争をやめたり、なかったことにしたり、現状維持を目指したりすることは、「いまある環境が永続的に続く」という間違った前提の上でしか成り立たない議論であり、自分たち以外の生物種が、隙あらばそのポジションを奪おうと虎視眈々と狙っている状況(それを淘汰圧という)では、競争を降りることは即衰退や絶滅につながる。

それはあたかも、バブル崩壊以降の日本が国内ばかりに目を向けて、「みんな平等に貧しくなればいいじゃないか」みたいなぬるい言説がそれなりの説得力をもって受け入れられる無風状態が長く続いたために、30年かけてゆるやかに衰退していったことを思い出させる。競争やめた、なんて言ってるのは日本人だけで、世界はずっとグローバル化とインターネット化による好景気の恩恵を受けてきたわけで、成長医著しい新興国ばかりか先進国でも給料が2倍、3倍と増えていった30年間に、日本では給料が微減していったことと無関係ではない。まわりが一生懸命競争しているときに、一人だけ「競争や〜めた」なんて言ってたら、現状維持することさえかなわないのだ。それが競争と淘汰圧、つまり、進化とイノベーションの原動力なのだと思う。

マルクスの時代には、共産党宣言に一定の意味があったことは間違いない。あの本で提唱された政策の多くは、いま現在、先進各国でも取り入れられている。だが、そのことと、いまだにそれを持ち出して、あたかも真理のように持ち上げるのは、まったく意味が違うし、むしろ百害あって一利なしだ。そんな素朴な資本家と労働者の対立なんて、もはや、絵に描いた餅ですらない。現実の企業は、もっと、ずっと激しい生存競争にさらされているから、社会悪とみなされれば淘汰されるし、革命が起こるまで労働問題を放置しておくような企業や社会システムが、このレピュテーション社会で生き残れるわけないじゃんね。

「ところで、どうしてあなたはベトミンを憎んでいるのですか?」
「やつらは家族や故郷を想って涙した俺たちに、『過去を大事にするのは病だ』と言った。『革命には現在と未来しかない』と。俺は『革命などどうでもいい』と言い返した。『お前らのせいで、俺にとって大事なものは過去だけになった』ってな。するとやつらは、俺が資本主義という病気にかかっていて、正しいことがわからなくなっていると決めつけた。『それがベトミンの考え方』だとさ。それで俺はベトミンを憎んだんだ。わかるか?」
「同意はできませんが、理解はできます」
「お前も過去を大事にするのは病だと思っているのか?」
「病かどうかはわかりません。ですが、過去を大事にする者は変化を嫌います。変化がなければ、労働者は資本家たちから搾取され続け、貧困が広がり、世界は悪くなっていく一方です。だから、過去よりも現在と未来を大事にするべきです」
「俺には現在も未来もない。お前の現在と未来はどうなんだ?」
「わかりません」「まるで今の私は、森の中を逃げ回っていたあなたのようです。どうして自分が生きているのか、わからなくなっています」

理念だけに生きる人が、それを理解しない人を見下し、上から目線でバカにするのはなぜなのか。◯◯主義という病気に罹患しているのは自分たちだということに、なぜ気づかないのか。正しいのは自分たち「だけ」で、それ以外の思想はすべて間違っているなんて、本気で信じているのか。その無邪気な信念は、神の前で盲目的になる狂信者のそれと、どこが違うというのか。神を否定したはずの人たちが、イデオロギーという名の別の神を信じてやまない姿を見るにつけ、なにかにすがらないと自分のことさえ決められない人間の弱さを思わずにはいられない。

オーディブルは小川哲『ゲームの王国・上巻』の続き。

第2章は、ロベーブレソン村長の次男ムイタック(水浴び)の物語。生まれた瞬間、アチャーに「この子はクメール人に大きな災いか、あるいは大きな幸福をもたらすでしょう」「この子が悪魔の王でないことを祈ります」と言われたムイタックは、農家の子でありながら、バイキンと虫が嫌いできれい好きな変わった子だ。ムイタックの叔父(父親の弟)のフオンは共産党員で、警察官殺しの罪を着せられ、秘密警察に追われて、ムイタックの家に身を潜めている。ムイタックの人間観察眼の確かさと、ムイタック流処世術は一読の価値あり。

「すべてを聞き終えたムイタックは「――まず、そもそも俊足ペンじゃ足が速いわけじゃない」と言った。
「どういうこと?」
「言葉のままだよ。俊足ペンはむしろ鈍足だよ」
「何を言ってるの? 君は普段一緒に遊んでないからそう思うのかもしれないけど、覚えてる限りペンが捕まったのを見たことは一度もないよ」
「そう、問題はそこだ。ペンは、何よりもその『一度も捕まったことがない』という名声のおかげで、不当に鬼ごっこに勝利している」
「どういうこと?」
「つまり、鬼は『俊足ペンを追いかけても、どうせ勝てない』と考えて、最初からペンを追おうとしないんだ。君もそうなんじゃない? 自分が鬼のときを思い出してみてよ。いつも無意識にペン以外を追いかけてない? たしかにペンはそこそこの初速だけど、持久力はまったくないよ」
 クワンはこれまでの鬼ごっこを思い出した。たしかにその通りだった。
「ペンはそのことがよくわかっているから、常に誰かと一緒に行動するんだ。現にさっきも君と一緒に逃げていた。もし鬼に見つかったとしても、一緒に行動しているやつが狙い撃ちにされるから、自分は悠々と逃げることができるってわけ」
「たしかにそうだ。ペンは常に誰かと一緒に逃げている」
「だからペンは自分の名声を守るために、他の誰かとサシの駆けっこをしようとしない。正直に言って、純粋に駆けっこをしたら君の方が速いと思う。距離にもよるけど」
「そんなことないよ。僕はいつも捕まってしまうから」
「ペンが鬼ごっこに強いのは『足が速い』という評判のおかげだ。この話をひっくり返すと、さらに多くのことがわかる」
「何がわかるの?」
「つまりね、一度足が遅いと評判になった者は、不当に追われ続けるってこと。君は足が遅いわけではないのに、『足が遅い』という評判のせいで、集中的に鬼に狙われている。鬼ごっこは基本的に追いかける側が有利だから、一度狙われれば捕まりやすい。そのせいで足が遅いというイメージが強くなり、さらに捕まりやすくなるってわけ。君だって鬼のときは無意識に『足が遅い』とされている人を探してるはずだよ。豆フムとか、ルットとか、蟹ワンとか。蟹ワンは左足だけ拾った靴を履いているせいで、蟹みたいな走り方をしてるから目立つしね。あいつ、実は結構足速いと思うけど」
「なるほど。たしかにその通りだ。僕はいつも豆フムやルットや蟹ワンを探してる。それに実際には、いつも蟹ワンを捕まえるのに苦労した」
「この話にはさらに続きがある。この世の中のなんだってそうなんだ。王様だってね。一度偉くなってしまえば、そのおかげでみんな彼が正しいと思いこむ。何か間違ったことをしているように見えても、自分の方が間違っているのではないかと思い直す。そうして王様の権威は増していき、本当の実力とは関係のない虚構のイメージが作り上げられていく。そしてそれは、たとえば俊足ペンみたいに、王様がひとりで作り上げるものではなく、周囲と連動して勝手に作り上げられていくものなんだ」
「王様か。そんなこと、考えたこともなかったよ」
「一番重要なのは、君が理不尽な目にあうのも、この仕組みが作用しているってこと。一度、輪ゴムの布教をしようとして悪評が立った。ものすごいマイナスだ。その悪評という眼鏡で君を見ているから、どうせあいつは間違ったことを言っていると決めつけられる。一旦そうなれば、どうしても悪いところが目立ってしまうし、嫌な目にあいやすくなる。嫌な目にあえば悪いところが目立ち、その繰り返しでひどい目にあう。嫌なやつが口にするのは言い訳に決まっていると決めつけているから、弁解の余地は与えられない。それが糞問答の正体だ。君の弁解にきちんと耳を傾ければ、自分たちが間違っていると認めることになるかもしれないから、彼らはすぐに耳をふさいでしまい、議論は糞化していく。彼らは自分たちのちっぽけなプライドを守るため、絶対に弁解を聞きいれない。つまり君は、輪ゴム時代の借金の利子を払い続けてる」

「どうすればいい? 僕はどうすれば、理不尽な目にあわずにすむ?」
「まず一旦言葉を捨てること。いいかい、君のことをバカにするやつは人間じゃない。ただの物体さ。だから言葉で説得しようとしても意味がないよ」
「それでどうするの?」
「二つの方法がある。ひとつは努力すること。他のみんなより強くなって、殴り倒す。言葉じゃなくて暴力で戦う」
「そんなの無理だよ」
「もうひとつの方法はルールを変えること。理不尽な目にあっても、暴力にあっても、相手の方がバカだと思えばいい。どうせただの物体なんだから、何をされても気にしない。自分の方が遥かに高い次元で物事を見据えてると思いこむ。そうすれば、自分の中では負けていないことになる」
「そんなのただの負け惜しみじゃないか。何も解決していない」
「いや、解決はしてる。負け惜しみは立派な解決だよ。ルールの変更を自分の中で完結させれば、それは負け惜しみになる。もしルールの変更を全員に押し付ければ革命になるけど。もちろん革命をするのは難しいさ。革命をするためには暴力が必要だから」
 ムイタックは「でも――」と続けた。
「鬼ごっこに関しては簡単だよ。本気でペンを追い続ければいい。隣に誰がいようと、ペンだけを追うんだ。『もう無理だ』って諦めずに、気を失うまで走り続けてペンを捕まえる。ペンはたぶん何か言い訳をするだろうね。足が痛かっただの、手を抜いただの、婆ちゃんが病気だの、精霊が邪魔をしただの。そんなの全部無視だ。いくら反論しても糞問答が待っている。君は黙ってペンを追い続ける。何度も、何度もペンを捕まえる。結果を出し続けるんだ。そうして、ペンの名声を逆に利用してやる。つまり最終的に、君は『俊足ペンよりさらに足が速い』という名声を得る。それによって狙われづらくなるし、狙われなければ鬼にもならない。そうやって君の名声はどんどん補強されていく」

将棋の渡辺明九段が藤井竜王名人や羽生九段に終盤の逆転劇が多い理由について、対戦相手は藤井さん・羽生さんがこの手を選んだということの意味を考えざるを得ない。裏側に必ずなにか深い意図があるはずだと長考に沈み、それでミスを犯してしまう。残念ながら自分はそこまで対戦相手に信頼されてない。だから、そこまで深読みされずに、ミスを誘発できない。そこが決定的な違いだ、的なことをなにかのインタビューでおっしゃっていたことを思い出す。勝負の世界では、相手を飲み込むオーラも実力のうちなんだよね、きっと。

オーディブルは小川哲『ゲームの王国・上巻』の続き。

第3章で、いよいよソリヤとムイタックが対面する。相手の心が読める(本人曰く、真実を見抜ける)ソリヤと、物事の成り立ちや道理をロジカルに追求することに長けたムイタック。2人が出会うと何が起こせるか。シハヌーク不在時を狙ってクーデターを起こし、権力を掌握したロン・ノルに対抗して、革命の火の手が各地であがり、ついにクメール・ルージュが政権を奪取する。フランス、ベトナム、中国、ロン・ノル傀儡政権を支援するアメリカによって分断され続けたカンボジアに、民族自決の炎が燃え上がる。

「私の両親は、彼らの仲間だって言われて処刑された。そのあと私を育ててくれたチリトも彼らの仲間だって言われて追われ続けてた。私は両親もチリトも大好き。だから、クメール・ルージュは悪いやつじゃないかもしれない。
 そうなんだ。実はフオン叔父さんはクメール・ルージュの仲間なんだ。
 ソリヤが何かを言って、ムイタックが何かを答えた。フオン叔父さんのことは好きだけど。でもフオン叔父さんには頭の固いところがあって、その理由がクメール・ルージュなんじゃないかと思ってて。革命って、みんなで決めたルールの中で勝つっていう、なんというかゲーム的な行為ではなくて、そもそもそのルールの外からルール変更を押しつけるもので、もちろんルールにはルールそのものとルールをめぐるルールの二つがあるんだけど、革命はその二つのルールを破壊する行為でこれは完全にゲーム外の出来事だから興味があんまりないというか。もちろん目標の設定や手段の限定を間違えた機能不全のゲームはあるけどさ。
 それはそうかもしれないけど、どうしても私は自分の目で確かめたいの。彼らが正しいのか、間違っているのか。間違っているなら正さないといけないし、私h自分の手できちんと責任を持って直したい。昔お父さんが言ってたんだけど、一番偉いのは政治家なの。警察よりも偉いのが政治家。その上はシハヌーク殿下だけ。だから私は政治家になってこの国をすくいたい」
「カンボジアは間違っている。それは明らかだけど誰にもそれを正せない。なぜならルールそのものが間違っている上に、そのせいで誰もルールを守ろうとしないから。私の両親はそれで殺されたしチリトはベトナムまで逃げなくちゃいけなくなった。ドンドンドンドン。教師、大学教授、政治家、役人、僧侶。我々は知識のある人々の助けを欲しています。我々はまだ若く。チリトはベトナムに帰りたくないのに。私は行かなくちゃ。いろいろと見なくちゃ。今、革命が起こっているの。もしかしたら、クメール・ルージュによってすべてが正しい方向に向かうかもしれない。まあ、すぐに戻ってくるから大丈夫」

途中に挿入されるクメール・ルージュの拡声器による宣伝文句が、このあとの悲劇を予告する。教師、大学教授、政治家、役人、僧侶。彼らはブルジョワ知識人として徹底的に糾弾され、強制労働に従事させられ、思想改造(洗脳)される運命にあるのだから。

「ゲームは俺にとって薬なんだ。以前ムイタックがそう言っていたのを思い出した。ゲームという薬を摂取している間だけ、俺は自由に生きることができる。世の中がうまくゲームのようになっていればいいんだけど、そういうわけにはいかなくて。ルールには矛盾がたくさんあるし、誰が勝者なのかもわからないし。ルール違反が放置されたりルールを守る者が損をしたり。現実は不潔だから」

こういう中二病的な潔癖主義は、排除の論理と結びつきやすい。包摂(インクルーシブ)とは真逆の、排他的な純血主義。多様な現実に目をつぶり、自分のこしらえた正義、手前勝手なルールの名の下に、そこからあぶれた人たちを排斥する。人種差別や優生思想、全体主義、社会的ダーウィニズムなどなど、歴史はその手の欺瞞で埋め尽くされている。

革命が成就し、ついに本性を現しはじめたサロト・サル。

「ある村で毒蛇が出ました。危険を感じた村人はそれを便器の中に捨てました。すると便器に捨てた毒蛇が便槽の中で育ち、首を伸ばして便器を使った人間の尻や陰茎を噛んで殺し続け、村の住民はみんな死んでしまいました。その後毒蛇は便器から出て繁殖し、村は毒蛇だらけになりました」
「さて、この話が何を意味するか、わかる人はいますか?」
「知識人や政治家は『知識』という毒を持った蛇なので、一見安全に見えても便槽の中で育ち続け、いずれ我々に牙を剥くということを意味しているのではありませんか? 彼ら知識人はただ漫然と便器に捨てるのではなく、勇気を持って眼の前で殺すか、またはしっかりと街の外に捨てないといけないのです。一斉退去命令の真意は、そういった点にあるのではないかと思うのですが」
「素晴らしい」「彼らの毒を抜くために、一秒たりとも考えさせてはいけないのです。体の芯まで革命思想を浸透させ、牛のように働く動物に変えなければいけません」

王や軍による独裁に反発し、革命やクーデターによって権力を奪取した人間は、人民のためというウソの仮面をはがせば、形をかえた独裁者にすぎない。正義をふりかざし、それ以外を認めない人間は、結局、言うことがなんであれ、右だろうが左だろうが関係なく、独裁的にならざるを得ないのだ。自分に反対するものたちを排除しないと、いつ寝首をかかれるかわからないから。

「我々はロン・ノルと違い、国内に民主主義を徹底させます。主役は人民です。民主主義が徹底されるためには、人民がオンカーの素晴らしさを理解しなければなりません。オンカーの考えを深く理解し、誤った考えを思いつかないようにしなければならないのです。そのために農業に従事する必要があります。土を耕し、作物を育て、収穫を喜ぶ。自分自身のことではなく、集団全体のことを考えて行動する。そういった考えはただ言って聞かせたところで理解できるものではありません。実際に血と汗を流してみなければわからないのです。知識人は岩で、農民は真っ白な紙です。誰にだって岩を啓蒙するのは難しい。ゆえに知識人を徹底的な再教育でまず分子に分解し、そのあと紙にします。真っ白な紙に正しい思想を書きこむのです。それが民主主義です」

ウソをつけ! 彼らの言う「人民」には、自分たちに都合の悪い人間は入っていないし、そういう人間ははじめから排除し、洗脳し、訓練し直す前提なのに。自分たちに都合のいい人間だけで構成された「民主主義」のことを、世間一般では「全体主義」というんだよ。民主主義は、いろんな意見、さまざまな立場を内包し、違う人同士の話し合い、交渉、契約、投票行動によって、ルールを形作っていくことであって、自分と異なる立場の人を排除してる時点で、そんなものは民主主義でもなんでもない! 言論の自由や思想・信条の自由が民主主義とセットなのは、自由があるから、民主的な話し合いによっておたがいの意見にすり合わせる必要が出てくるからであって、最初から1つの意見しかないなら、民主主義なんか必要ないんだよ。もう前提からして間違ってる!

オーディブルは小川哲『ゲームの王国・上巻』の続き。

革命によって、プノンペンの住民は一掃された。知識人は処刑され、それ以外の人たちも集団農場での強制労働で次々と命を落としていく。

「はじめはそうやって自分の怒りが薄まっていくことを不安に思っていた。理不尽な目にあわされて、家族を殺され奴隷のように働かされた。自由な時間はおろか、自由という概念すら奪われようとしていた。しかし問題の本質は怒りが薄まっていくことではなかった。怒りの矛先が問題だった。月日が経つにつれて、自分の怒りがオンカーに対してではなく、強制労働を首尾よくサボろうとする仲間や、配給食糧をごまかそうとする隣人に対して向くようになっていた。彼が怠けている。彼女が縫い物の数をごまかしている。怠けている人間やサボっている人間と同じ量の食べ物しかもらえない。私は真面目に仕事をしているのに。こんなに腹を空かせて、こんなに苦しい思いをしているのに。ずるい。彼らは革命に対して本気ではないじゃないか。捕まってしまえばいいのに。彼らが飢えてしまえばいいのに。気づくとそんなことばかりが頭の中を去来するようになっていた。いやダメだ。そういう風に考えてしまう自分が間違っている。そうやって自分を思いとどまらせる。真に怒るべき相手はオンカーだ。そもそも強制労働がなければ、こんな思いをする必要はなかった。だから自分はオンカーを恨み続けなければならない。
 ノイは怖かった。いつの日か、気がつくと自分はオンカーの定めた革命的規律をまるで常識のように受け入れてしまい、サボった仲間や配給食糧をごまかした隣人の告げ口を生きがいにしてしまうのではないか。そんな心配が脳裏をかすめて全身が震えた。完璧な革命戦士の誕生だ。完璧な奴隷で、完璧な動物だ。こうしてみなオンカーの家畜になっていく」

「アドゥは知っていた。州庁のバルコニーでクメール・ルージュの司令官と旧軍の兵士が握手していたのを家の窓から見ていたし、それを合図に旧軍兵士たちが「ともに革命を成し遂げよう」という甘い言葉につられてクメール・ルージュの兵士たちの元へ集まっていたのも見た。そしてその顛末として、バタンバンからの移動の途中、彼らの死体を見た。感動的な握手をしていた男は額を撃ち抜かれて死体の山の一番上に載せられていた。死体は腐り、異臭を放っていた。彼らのことを知っていたので、アドゥは自分が留学経験者でフランス語ができることを黙っていた。両親にも自分たちが土地持ちであることは黙っていろと何度も言った。しかし弱っていたアドゥの両親は「絶対にダメだ」と言うのを無視して、夜の間に兵士の元へと向かった。集落にいた他の資産家や役人たちと一緒に、アドゥの両親はトラックに乗ってどこかへ向かった。彼らを見ることは二度となかったし、残念ながら彼らがどこかで幸せに暮らしていると考える根拠はひとつもなかった」

「見よこの平和を! 感じよこの平和を! 我々の手にした平和!」
 アナウンサーが叫ぶように宣言している。たしかにカンボジアは「平和」になった。借金がなくなったし、殺人もなくなった。不正選挙もなくなった。いまだかつて、そんな国家があっただろうか。なかったに違いない。なんという「平和」だ。人民はみな飢えて死につつあったが、革命的思想の伝播により、不平を言う者はほとんどいなかった。不平を口にした者は処刑されるか、上級オンカーに連れていかれたからだ。オンカーは、自分たちが知識人だったゆえに、知識人の恐怖をよく知っていた。「知識人の革命」という歴史を再現させないために、国内のほとんどの知識人を殺してしまった。生き残っている知識人は、自分が知識人であることを隠している者か、もともとクメール・ルージュに参加していた者だけだ」

革命の混乱で集団農場に送られたムイタック兄弟は叔父のフオン(クメール・ルージュの兵士)を味方につけ、信頼できる仲間を見つけるために、リクルート活動をしていた。

「我々はオンカーのやり方が間違っていると思っている。だから、オンカーの目を盗んで、理想を実現しようとしているんだ。そのために、今はムイタックのアドバイスで信頼できる仲間を増やしているところだ」
「オンカーは間違っているけれど、正面から戦っても勝てるはずがない。オンカー側には従っているように見せかけつつ、住民たちにはさまざまな自由を与える。そのためには、村長や委員を信頼できる人間で固めないといけないんだ。君にキツい目にあってもらったけど、あれくらいしなければ信頼できなかった」
「我々はここから西の山奥にある、ロベーブレソン周辺の集団農場を管理する予定だ。すでに権限は移してあり、オンカーの承認も得ている。立地の都合もあって、もともとオンカーがあまり力を入れていなかった地域だった。そこで働く兵士たちはみんな私の選んだ者たちだ。ロベーブレソンでは強制労働もないし、十分な食糧も自由な時間もある。音楽を聴くこともゲームをすることもできr.第一同士ポル・ポトにも、ロン・ノルにも、シハヌークにも邪魔はさせない。そこに、我々は理想の国を作る。君はテストに合格した。きっと、どんな状況でも裏切らない。そのことはよくわかったし、何よりそれが重要だったんだ。オンカーは疑心暗鬼という悪魔によって、間違った方向に走りだしている。我々は誰も疑わない。そのために信頼できる仲間が必要なんだ。長くなったけど。君にはロベーブレソンでオンカーの兵士として働いてもらいたいということ。どうかな?」

オーディブルは小川哲『ゲームの王国・上巻』の続き。

日常的に迫害され、自力ではどうにもならないことが身にしみると、精神がどんどん飼いならされていく。

「アドゥは悔しくて涙を流した。久しぶりの涙だった。両親が死んだときも妻が死んだときも泣かなかった。正しいことをせず、何もできずに農場へ戻っていく。自分は今この瞬間、オンカーに完全に屈したのだと思った。たった今、大事な家族を見捨てた。命の恩人を放置した。これからは生きるために、平然と仲間を売るだろう。今ここでソリヤを助けなかった自分が基準になるのだ。そうやって家畜になっていく。よくわかる。みんなそうだった。一歩ずつオンカーという沼に入っていくのだ。気がつくと抜け出せなくなる。自分のような弱い人間にとって、鍋いっぱいの愛情も、ひとさじの恐怖ですっかり台無しになってしまう。
 アドゥは駅舎に向かってあるきながら、『穴』という映画のラストを思い出した。告訴を取り下げられて釈放が決まった男は、自分の掘った自由へ繋がるはずの穴が、むしろ自分を縛りつけていることに気づいて苦悩する。たしか、男は「仲間たちが脱獄のために穴を掘っている」と密告したはずだ。そうするしか男が釈放される方法はなかった。仲間たちは看守に見つかって、脱獄に失敗する。学生だったアドゥは、密告した男のことを軽蔑した。
「いや、そういうわけじゃないさ」
 自分の台詞を思い出して寒気がした。
「ああそうだ、彼女は家族で、命の恩人だ」
 そう言っておくべきだった。
 いつの間にか、昔の自分が軽蔑していた人間になってしまっていた」

「ソ連や中国の犯したもっとも大きな間違いは何か」
「ソ連や中国は社会主義の徹底を図ったが、それでも労働者に賃金を渡すというシステムを終わらせられなかった。賃金を渡すとどうなるか。労働者は金のために働く。金のために働いているので、金にならないことはしないし、意欲も向上しない。君たちは何のために働いている? 金ではなく、愛だろう。革命に対する愛だ。我々は彼らと同じ間違いを犯さない。我々には勇気がある。我々は世界でも類を見ない。ゆえに我々は賃金を廃止する。労働者は純粋な革命愛によって働かなければならない」

「どうしてソ連や中国が賃金を廃止しなかったか。
 それは有機が足りなかったからではなく、単にうまくいかないことがわかっていたからではないか。おそらく、今オンカーが実現しようとしているのは偽物の平等なのだ。クラスにひとり、目の見えない子どもがいたとする。他のみんなで彼を助けようとせず、その子の目を治すために医学を発展させようともせず、オンカーはクラス全員の目玉を潰し、これで平等だと主張している。そんな偽物の平等に、なんの意味があるのか」

結果の平等を求めてしまうと、つねに、平均より下のレベルに全員で合わせることになる。上の子たちはつまらなくてやる気をなくし、下の子たちも背伸びをする必要がないため現状に満足し、だれも向上心をもたなくなる。結果として平等に貧しくなる。それだけならまだしも、外の世界ではつねに生存競争がくり広げられている。そこでは生き残るための創意工夫がおこなわれ、生活水準は向上する。競争をやめ、みずからの内に閉じこもった社会は結果的に、絶対的に貧しくなるだけでなく、相対的にはさらにいっそう貧しくなる。そんな状況で、隣の芝生がよく見えないはずはない。閉じた管理社会を支配していた権力者は国民の怒りによって退場を余儀なくされる。

「家族という概念を解体するために、自由恋愛を禁止して、結婚相手をオンカーが強制的に決めるという制度はまだよかった。問題は子どもたちのことで、オンカーは子どもを親元から話、独自の教育をすることにした。子どもは純粋なので、オンカーの革命思想を完璧に体現できる、というのが根拠だった。子どもたちを親から没収する行為はさすがに心が傷んだ。親たちは泣き叫ぶこともなく、静かに涙を流していた。
 オンカーのもとで教育を受けた子どもたちは、スパイや医者として、それぞれの集落に配置されていった。子ども医者は人民からひどく不評だった。彼らは「革命的科学者」の開発した、サツマイモで作った万病に効く薬をジュース瓶で保管し、一度も洗ったことのない中古の注射針を使い、どんな患者のどんな症状にも、腕の適当な場所を選んでそれを注射した。彼らは気まぐれに「手術」と称する切開を試み、これまで問題のなかった箇所に病を持ちこんだりした。病院に行って症状が悪化する者がほとんどだった。これによって、病気になっても病院へ行こうとする者がいなくなり、伝染病がさらに広まる原因になった。強制収容所の子ども尋問官は罪を認めなかった妊婦の腹を裂き、中から赤子を取り出した。妊婦の叫び声は次第にすすり泣きへ変わった。尋問官は胎児の首をつかんで、何食わぬ顔でそのままどこかへ消えた」

これが本当なら、まさに地獄絵図。

「第一同志ポル・ポトはどうやら疑心暗鬼に陥っているようだ。
 カンボジアの現状が、当初の予定通りにいっていなことを認める段において、ポル・ポトは「病原菌」の発見に躍起になっていた。思想は完璧だ。旧来の思想に染まった知識人や役人も処分した。しかしそれでも革命はうまくいっていない。なぜなら内部に革命を邪魔する勢力がいるからだ。ゆえに、その「病原菌」を駆逐することが第一だ。これがポル・ポトの、そしてオンカーの考え方だった。フオンは@病原菌」などほとんど存在しないことを知っていたし、もし存在していたとしても、革命を妨げているのはそんんあもんではないということを知っていた。内部のスパイは関係ない。誤った制度を、誤ったやり方で運用していることが問題なのだ」

頭でっかちのくせに基本的に知恵が足りない人たちが陥りがちな罠のひとつに、「人間性の無視」がある。人間性というのは、人間がこれまで進化の過程で獲得してきた「生存のために必要だったノウハウの集積」なのに、それを完全に無視して、頭の中でこねくり回してできた理想郷の実現が可能だと信じ込んでしまうところに、根本的な誤りがある。彼らのいう理想郷がつねに「絵に描いた餅」にすぎず、最初からそんなものは実現しないのはわかりきっているので、誰も取り残さず、できる範囲で地道に社会をよくしていく。それ以外の「魔法のようや解決策」を口にする輩はことごとく、自ら権力者になって自分以外のものたちをコントロールしたいだけの欲深い人間だということは、歴史を見ればすぐにわかる。注意すべし。ソリヤの次の言葉をかみしめたい。

「オンカーは理想郷を作ろうとしている。そしてそれはとても危険な考えなの」
「どうしてですか?」
「理想郷は無限の善を前提にしているから」
「素晴らしいことじゃないですか」
「違う。最低の考えよ。無限の善を前提にすれば、あらゆる有限の悪が許容されるから。無限の善のために、想像以上の人が苦しみ、そして死ぬことになる。もっとも高い理想を掲げている人が、もっとも残酷なことをするの」

オーディブルは小川哲『ゲームの王国・上巻』の続き。

「同僚たちが黒ずくめの兵士たちの口車に乗り、シハヌーク殿下を助けに行くという名目でトラックに積みこまれ、森の中でトラックごと爆破されている間、ラディーは本部で自分の書類を燃やしてまわった。革命とは王が奴隷になり、奴隷が王になることだ。これまで自分が王だった証拠を消しておかなければならない」

「自分がどうしたいのか。そしてそのためにどうするべきか。自分がどういうときに一番気持ちがいいのか。ガキ大将も悪くはなかったが、秘密警察の仕事は天職だった。共産主義者を殴るのは気分がよかった。ではどうして共産主義者を殴るのが気持ちいいのか。それは自分が資本主義者の親米派で、共産主義という悪を倒していたからか。
 いや、違う。ラディーはそう考えた。まったくもって違う。自分が楽しんでいたのは安全な場所から正義という鉄槌を振り下ろす行為だ。ビルの屋上からスナイパーライフルで一方的に敵を狙撃する。盗みを働いた者を公衆の面前で罵倒する。
 資本主義者として共産主義者を拷問する。共産主義者として資本主義者を拷問する。別にどちらでもいい。問題は自分が正義の側にいるかどうかだ。勝ち馬に乗っているかどうかだ。そう、可能であれば、九十九パーセントの勝負がいい。百パーセントこっちが勝つとわかっているとスリルも張りあいもない。だからといって五十パーセントの勝負では負ける可能性が大きすぎる。九十九パーセントだ。圧倒的有利で、およそ間違いなく勝てる状況での勝負がしたいのだ。人々は負け戦に挑む姿を称賛する。勇敢さを課題に評価し、誤った価値観でものごとを解釈する。勇敢さなんて嘘だ。あんなもの、無能が命を賭け金にして博打をしているだけだ。勝ち戦をする。勝つ場所に立つ。位置取りがすべてだ。そのために正義と権力が必要になる。イデオロギーはおまけだ。そんなものはいくらでも変えてやる。俺は自らの手で誰かを裁きたい。それが党の側から人民を裁くのでもいいし、人民の側から党員を裁くのでもいい」

ラディーはとんでもないクソ野郎だが、人間観察の正しさと欲望に忠実なところは見るべきものがある。仲間になってほしいとはこれっぽっちも思わないが、高度原理が単純でわかりやすいので利用のしがいがある。イデオロギーに染まって正義をふりかざすやつらより、よっぽど御しやすい。

オーディブルは小川哲『ゲームの王国・上巻』が今朝でおしまい。引き続き、『下巻』を聞き始める。

ムイタックが頭の中でこしらえたゲームはクメール・ルージュの鉄のルールの前では児戯に等しく無力だった。ムイタックはそのせいで、父と母と叔父を同時に殺され、兄のティウンとともにかろうじて生き残った。その怒りの矛先が、クメール・ルージュではなく、ソリヤに向けられたのは、不幸だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: SF
感想投稿日 : 2023年7月29日
読了日 : 2023年8月6日
本棚登録日 : 2023年7月29日

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