茶の本 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ)

  • 致知出版社 (2014年4月17日発売)
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感想 : 15
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読み始め、100年前の本とは思わず読んでいたが、話の全て、言葉の一つ一つが現代に通じる力強さを持っていた。
完成しようとする過程に意味があるというメッセージ。また、その空間把握の方法がとても美しいと感じた。

以下は、自分の覚書かつねたばれなので読まないでください。
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道教と禅と茶の関係
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・道教は悲哀や苦悩に溢れた世界にも美を見出そうとする宗教
・与えられた役を演じきるには、それぞれが役を与えられている芝居の全体を知らなければならない。老子の言葉では「虚」の概念。柱、屋根などで構成する空間それ自体が私たちに意味があるもの。
・もし自分自身をその「虚」に変えられるなら、他人との間でどんなことが起きてもそれを支配できる
・禅は道教の教えをさらに強調したもの。
①自分自身の心で働きかけるものしか実在しない(個人主義)と考える
②言葉を避け、外部のものを排除する。
③物事に小さいもの、大きいものといった区別がない(→草むしりのような世俗的できつい修行の中にも価値)。
・これらの考え方は茶にも通じる。
・茶道のあらゆる理想は人生の小さな出来事にも偉大な概念を持たせようとする禅の思想から生まれた。
・道教:茶道の美の根底、禅はそれに実践を与えた。

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茶室は「すきや」
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茶室は「すきや」である。この「すきや」という言葉に様々な意味がこめられた。
・好き屋:禅にある「すべてのものは移り変わる」「精神が物質を支配する」という論理は、家を「一時身を寄せる場所」とみなす考え方。こうした微妙で質素なものの中に個人の趣味で美しさを見出すのが茶室。決してそれは模倣ではない。
・数寄屋:非対称の家。完璧さを求める過程、成長への可能性に生きる力や美を感じとる力をみつけた。
・空き屋:虚が万物を支配する。本当に意識を集中させるには無駄なものは一切排除する。美をコレクションのように展示する西洋の文化では本当に美は感じ取れない。
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芸術鑑賞
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芸術家たちの考え方を学ぼうと考えるのでなく、自分の魂が惹かれたものを収集する。

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利休の最後の瞬間
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毒を盛って秀吉を殺そうとしたという噂から、秀吉から死を命じられる。その後、茶室に客を招待し、自分の飲んだものは、「不運な者の唇に汚された」からと割って終わる。そして句を読んで自害する。

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日本への伝来は奇跡
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729年に聖武天皇がお茶を振舞った史実。
抹茶は1191年に栄西によってもたらされ、15世紀足利義政の時期に完成。
その後明では満州人の侵略によって抹茶文化は消滅。煎茶にとって代わられる。一方で、日本では17世紀の伝来まで煎茶の文化はなかった。だからこそ、日本では茶の文化が独自の発展を遂げた。

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感想投稿日 : 2014年11月3日
本棚登録日 : 2014年11月3日

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