タイトルがいい。
装丁がいい。
頁はじめ、頁おわりの若草紙がいい。
出だしの一文、「汽船で行くのである。」なんてもう。すてきだ。美しい。
京極夏彦の短編集。
「幽談」といっても、おどろおどろしい幽霊がバーン!と出てきゃー!なんて真夏の怪談ではない。
まとわりつく形のはっきりしない恐怖を、じめーっと感じる、まさにこの、はっきりしない梅雨時期に良い小説。
以下ネタバレる。
手首を拾う→昔旅館の庭で拾った手首がまだ健在か見にいく話。変わっていく景色、変わっていくことの恐ろしさの中で、手首だけは変わらない。
ともだち→死んだ森田くんを見る。僕が僕でいるためには同じ時間に同じ場所にいなきゃいけない。ルーティンしなきゃ生きてるか死んでるか分かんない。だから森田くんもルーティンしてる。
成人→江戸川乱歩みたい。二つの作文のくだり。なんだか何もうまいこと理解できなかった。。。勝手な解釈だけど、人に成れない幽霊の類が、成人式に参加しなかった人をターゲットにくっていってるの?
逃げよう→嫌なものから逃げ続ける無限ループの恐怖。振り出しに戻るときの自然さったらない。うまい。おばあちゃん初回登場から、これ絶対生きてないやろと予想してたョ。
十万年→「ものの見え方は人それぞれ。」を突き詰めると、世界が本当は白黒逆だったとか、左右逆だったとか、いま見えている世界を誰とも分かり合えない孤独感におちる。十万年に一度、おおきく魚が空を舞うのは、事実なのか幻覚なのか。
知らないこと→「逃げよう」とちょっと似ている。見せかけのストーリーから現実に引き戻すときの繋がりがいい。隣の家のサイコな行動をしている主人、という本人のうんだ妄想は、現実を知らないフリして逃げ続けた結果。
こわいもの→こわいとは何か、哲学のよう。本当に「こわい」とされるものが入った木箱を買い取りにいく話。この本自体の最終話でこんな終わり方されると、本を閉じたあと「うおー!京極先生ー!」とテンションがあがる。
- 感想投稿日 : 2016年7月16日
- 読了日 : 2016年7月16日
- 本棚登録日 : 2016年7月16日
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