f植物園の巣穴 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版 (2012年6月7日発売)
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本棚登録 : 1778
感想 : 190
5

『f植物園の巣穴』の世界は、『家守綺譚』や『冬虫夏草』のような、あちら側とこちら側の境界が曖昧な世界というよりも、まだもう少しひと側に寄った、生とか死の概念が重きを置いている世界観だったように思う。
あちら側とこちら側が自ずから繋がったわけではなくて、不意にあちら側に落ちてしまった、まさに穴に落ちたような印象だった。

それはそれは夢の中の出来事のようで、なんとも足元がおぼつかない読み心地だった。
前世が犬だった歯科医の家内、ナマズ神主、烏帽子を被った鯉……
当然のように現れては、主人公である植物園の園丁と言葉を交わす。
少しおかしいなぁと思いながらも、ああそうか、そうだよなぁと、何だかわからないけれど、感覚的に受け入れてしまう。
〈──それは気のせいではありません、ご安心なさい。では。〉
はぁ、そうか。やっぱり、そうだったよなぁ……

園丁が落ちた世界には、しばらくの間、同じところをぐるぐる回っているような焦燥感や閉塞感を覚えるときがあった。
その原因のひとつが水の滞った川。
この川を前にすると息苦しくなるのだ。
園丁は切羽詰まった思いに襲われる。
〈とにかくこの滞りを取り、水を流さねばならぬ、そうでなければもうこれ以上生きてはいけぬ……〉
川へと手を伸ばした彼は、そこで出会ったカエル小僧とともに自身の過去を巡りはじめる。
あとで名前をつけてやると約束したカエル小僧を「坊」と呼び、少しずつ成長していく坊とともに、園丁が己の過去に向き合いはじめたことで、物語がいよいよ生命力を帯びてきたようだった。

園丁の落ちた穴は、彼の心の奥底へと通じているものだろう。
二度と開けることができないように、鍵をしっかりと掛けた過去の思い出が、穴のなかで忘れ去られようとしていた。
誰しも後悔やうしろめたさ、哀しみ、取り返しのつかない傷を、心のどこかに持っているものだ。目をそらし、無きものとしたそれらは、やがて澱となって心の奥底に沈みゆく。それは無に帰することではなく、反対に囚われ続けていることになるのではないかと、ふと思う。
もう一度、それらへと向き合うことが出来たときに、やっと過去から解放されることになるのだろう。
清らかな川の流れは、そっとそれらを浮かび上がらせ、泥や汚れを優しく洗い流してくれるはずだ。そうやって初めて、実はそのなかに本当の宝物が隠されていたことに気づくのかもしれない。

あぁ、わたしはそんな宝物に気づける人になりたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本文学:著者な行
感想投稿日 : 2020年10月28日
読了日 : 2020年10月28日
本棚登録日 : 2020年10月28日

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コメント 8件

いるかさんのコメント
2020/10/28

地球っこさん おはようございます。

レビューを見せていただき、この本もとても興味深く思います。
とても文学的な印象です。
是非読んでみたいと思います。
ありがとうございます。

地球っこさんのコメント
2020/10/28

いるかさん、おはようございます!

梨木香歩さんは「西の魔女が死んだ」が有名ですよね。
その世界観とはまた違う、おかしな夢のような(夢っておかしいものですよね 笑)
幻想的な方面です。

わたしは、あちらの世界とこちらの世界が繋がっている「家守綺譚」の不思議な物語が大好きなんですけど、
そんな世界観がお好きな方には、気にいってもらえるんじゃないかなぁと思います。
あ、決して怖い話ではありませんよ(*^^*)

もしよければ「家守綺譚」もぜひ!
もしかしたら、面白さはこちらの方かもしれません。
文学的な香りは「f植物園……」の方かな。

いるかさんは、どちらがお好みでしょう。はたまたどちらもお好きになってくださるか……
ドキドキo(>∀<*)o

いるかさんのコメント
2020/10/28

地球っこさん
お返事ありがとうございます。
そして情報も。
是非 家守綺譚も読んでみたいと思います。
今日早速本屋さんに行こうと思います。
ありがとうございます。。

nejidonさんのコメント
2020/10/28

地球っこさん、とても素敵なレビューです!
幻惑されてしまう世界なのに、よく眼を覚まして(笑)おられて感心してしまいました。
って、変な褒め方ですね。
私はこの本で少し酔ってしまったんですよー(*'▽')
小説って、何層もの包装紙の中にくるまれていて、中身を見つけ出すのが困難な話も多いんですよね。
一生懸命ほどいたら中身がなかったりしてね・(笑)あるいは包装紙もとんだお粗末なものだったり。
これは時間をかけてほどく価値があるなと思う本に出会うのは稀かもしれません。
ああ、やはり小川さんと梨木さんにはノーベル文学賞をとってもらいたい(まだ言ってる)
絵本版ですが、梨木さんの「蟹塚縁起」というのがあります。
私はこの作品との共通点を感じたのですが地球っこさんはどう思われるかしら。
機会がありましたらお読みになってみてください。

地球っこさんのコメント
2020/10/28

いるかさん、嬉しいです!
ぜひ感想をお聞かせください。

でも、もしも無理強いされているように感じられたら、スルーしてくださいね。
つい好きな本には熱がこもってしまうのが、わたしの悪いクセです。
子どもにも「あまりにも薦められたら読む気なくすー」とか言われてるので 笑

地球っこさんのコメント
2020/10/28

nejidonさん、酔っちゃう本ってわかります。
わたしは小川さんの作品に多々?あります 笑
やっぱり梨木さんと小川さんにノーベル文学賞ですね!
そのときは乾杯いたしましょうね~
(^_^)/□☆□\(^_^

「蟹塚縁起」ですね、知りませんでした。
絵本とは想像つかないなぁ。
ぜひとも読んでみたいです(*^^*)
nejidonさんの包装紙のたとえ、ああわかるー!
思わず笑ってしまいました。

いるかさんのコメント
2020/10/28

こんばんは。
家守綺譚と植物園の巣窟 購入することができました。
nejidonさんの書かれている蟹塚縁起は出版社にも在庫がなく、取り寄せ不可でした、残念。
順番に読んでいきたいと思います。
ありがとうございます。

地球っこさんのコメント
2020/10/28

いるかさん、こんばんは。

秋の夜長や雨の日の静かな時間、
そんな雰囲気での読書が似合う小説だと思います(*^^*)

蟹塚縁起は絶版なのですね。
わたしは図書館に予約しました。
とても楽しみにしてます♪

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