『f植物園の巣穴』の世界は、『家守綺譚』や『冬虫夏草』のような、あちら側とこちら側の境界が曖昧な世界というよりも、まだもう少しひと側に寄った、生とか死の概念が重きを置いている世界観だったように思う。
あちら側とこちら側が自ずから繋がったわけではなくて、不意にあちら側に落ちてしまった、まさに穴に落ちたような印象だった。
それはそれは夢の中の出来事のようで、なんとも足元がおぼつかない読み心地だった。
前世が犬だった歯科医の家内、ナマズ神主、烏帽子を被った鯉……
当然のように現れては、主人公である植物園の園丁と言葉を交わす。
少しおかしいなぁと思いながらも、ああそうか、そうだよなぁと、何だかわからないけれど、感覚的に受け入れてしまう。
〈──それは気のせいではありません、ご安心なさい。では。〉
はぁ、そうか。やっぱり、そうだったよなぁ……
園丁が落ちた世界には、しばらくの間、同じところをぐるぐる回っているような焦燥感や閉塞感を覚えるときがあった。
その原因のひとつが水の滞った川。
この川を前にすると息苦しくなるのだ。
園丁は切羽詰まった思いに襲われる。
〈とにかくこの滞りを取り、水を流さねばならぬ、そうでなければもうこれ以上生きてはいけぬ……〉
川へと手を伸ばした彼は、そこで出会ったカエル小僧とともに自身の過去を巡りはじめる。
あとで名前をつけてやると約束したカエル小僧を「坊」と呼び、少しずつ成長していく坊とともに、園丁が己の過去に向き合いはじめたことで、物語がいよいよ生命力を帯びてきたようだった。
園丁の落ちた穴は、彼の心の奥底へと通じているものだろう。
二度と開けることができないように、鍵をしっかりと掛けた過去の思い出が、穴のなかで忘れ去られようとしていた。
誰しも後悔やうしろめたさ、哀しみ、取り返しのつかない傷を、心のどこかに持っているものだ。目をそらし、無きものとしたそれらは、やがて澱となって心の奥底に沈みゆく。それは無に帰することではなく、反対に囚われ続けていることになるのではないかと、ふと思う。
もう一度、それらへと向き合うことが出来たときに、やっと過去から解放されることになるのだろう。
清らかな川の流れは、そっとそれらを浮かび上がらせ、泥や汚れを優しく洗い流してくれるはずだ。そうやって初めて、実はそのなかに本当の宝物が隠されていたことに気づくのかもしれない。
あぁ、わたしはそんな宝物に気づける人になりたい。
- 感想投稿日 : 2020年10月28日
- 読了日 : 2020年10月28日
- 本棚登録日 : 2020年10月28日
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