今まで私が読んだ小川洋子さんの小説の登場人物たちは、何か足りないものを優しく抱きながら静謐に、そして祈るように生きている人たちでした。
でも、今回の語り手であるカリグラファーの瑠璃子は、ある時一気に内側から、マグマのような熱いものが噴き上がります。それはとても我が儘で独りよがりなものだったかもしれません。でも、瑠璃子にとっては初めて女性として自分は生きていると実感した瞬間でもあるのじゃないのかな、なんて感じたのです。
彼女が愛したのは、人前ではピアノが弾けなくなってしまった、元ピアニスト新田。彼は今では、山あいの林の中で女弟子の薫とチェンバロを製作しています。
彼は瑠璃子の願い通り身体を優しく抱いてくれました。それはまるで彼女がチェンバロであるかのように、そっとなぞってくれたのです。
それでも瑠璃子は、彼の弟子である薫に対しての嫉妬心が消えることなく、ずっと淋しそうでした。
だって、彼の美しい指で、自分のためにチェンバロを弾いてほしい……
その願いは叶えられることが決してなかったからです。
そして、瑠璃子は気づいてしまいます。彼には唯一、チェンバロを奏でることが出来る彼女がいることを。
自分がチェンバロになること。
自分の前でだけチェンバロを弾いてくれること。
この2つには、とてつもない隔たりがあることに瑠璃子は打ちのめされます。
自分をかくまってくれていた林から出ることを選び取った彼女。
今も林の中で2人だけの穏やかな時間を過ごしている彼ら。
音楽とは魂に語りかけてくれるようなもの。そっと、聴くものの心を震わせ流れていきます。
傷を持つもの同士がお互いの魂の部分で繋がっていて、その傍にはいつも音楽が寄り添っている……その事実の前では、身体というものはただの器でしかないのでしょう。
- 感想投稿日 : 2018年12月7日
- 読了日 : 2018年12月7日
- 本棚登録日 : 2018年12月7日
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