人喰いの時代 (ハルキ文庫 や 2-8)

著者 :
  • 角川春樹事務所 (1999年2月1日発売)
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感想 : 52
4

『本格ミステリ・クロニクル300』で紹介されていたのだから本格ミステリだと思いながらも、タイトルにこれはホラーなのではとの疑念も拭えず、恐る恐る読みはじめた。

満州事変が勃発してから数年後。軍部ファシズムが急速に威圧を増し、国民生活にはありとあらゆる統制が加えられ、日本に戦争の暗雲が垂れ込める、そんな時代。
カラフトへと向かう豪華客船〈紅緑丸〉の船上で、椹秀助は呪師霊太郎と名乗る青年と出会う。
霊太郎は変に人なつっこいところがある一方、探偵趣味があり、自分は人間心理の探求者をめざしていると秀助に打ち明けるのだ。
彼らは船上での殺人事件の謎を解いたあと一旦別れるものの、その後、北海道のO-市で偶然の再会を果たす。

呪師霊太郎という奇妙な若者が探偵として解決に導いた事件の数々を、彼とともに行動した椹秀助の視点から振り返る連作短編集である。

読みすすめるうちに「人喰い」の意味が見えてきた。それはホラー的なものではないのだけれど、ある意味、不穏で暗いものであることには間違いない。
物語の背景は1930年代半ば。柳条湖事件から蘆溝橋事件に至る軍国主義化の時代である。
この時代の日本を覆う暗澹たる空気が国民を喰っていく。狂気を帯びはじめた歴史は歯車となって、人々の夢や、愛、嘆きさえ無慈悲に押しつぶしていく。そんな時代のことを「人喰い」の時代と表しているのだ。
この「人喰い」の時代は、探偵小説も探偵の存在も必要としなかった。にも関わらず、呪師霊太郎が探偵という存在に興味を持ったのはなぜか。霊太郎が探偵として個人の犯罪をあばくのは、ある意味では理性と良心の証であったのかもしれないと秀助は思いを巡らす。
なるほどと思う。霊太郎は犯罪をあばくことによって、人はひとりひとりが自分の人生を持って生きている個なのだということをいいたかったのかもしれない。

それにしてもこの昭和初期を舞台にした事件には不思議な読後感を味わった。なんというか狐につままれたようである。よくいえば幻影的なのだけれど、どの短編もどうかすると曖昧模糊な状況で結末を迎えるのだ。
というのも、霊太郎は犯人の検挙には全く興味がなく、警察に犯人を引き渡したことは一度もない。ただ、犯罪が引き起こされるとき、そのときの人間心理の不思議さに純然たる興味を抱いているに過ぎないからだ。その結果、事件の真実が明らかになったとたん霊太郎の意識はすでにその場にはないのだから、わたしとしては、なんだか気分は犯人とともにその場でおいてけぼりを食らったかのようになる。
しかしながら、そのうやむやさこそがこの時代を表しているようにも思った。
そもそも「呪師霊太郎」という名前からして、彼はどこか現実味のない曖昧な存在のようではないか。

けれどもやはり本作品は「新本格ミステリ」であった。「人喰い船」からはじまり「人喰いバス」、「人喰い谷」、「人喰い倉」、「人喰い雪まつり」と、どれもほんのちょっぴりの引っ掛かりを覚えはしたのだけれど、最終編「人喰い博覧会」を読みすすめるにつれ、それらの引っ掛かりが大きな違和感へと確実に変わる。
つまり今まで見ていた風景がガラリと変わるのだ。まるで夢から覚めたように。幻影に呑み込まれた現実のみが引きずりだされたかのように。
この現実崩壊感覚は「SFを書いてミステリーを書く」という著者だからこそ描けたものなんだろう。すごい。

『本格ミステリ・クロニクル300〈1988年〉』
〈読了〉人喰いの時代
〈未読〉異邦の騎士    
  ↓   そして夜は甦る
    五つの棺
    思い通りにエンドマーク
    迷路館の殺人
    長い家の殺人
    緋色の囁き
    密閉教室
    倒錯の死角
    99%の誘拐   

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本文学:著者や行
感想投稿日 : 2022年2月4日
読了日 : 2022年2月4日
本棚登録日 : 2022年2月4日

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