卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2004年2月28日発売)
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昨日のこのくらいの時間帯にkindle版を購入し今日の昼くらいまで一気に読み通しました。

冒頭の4編の詩は死への覚悟を感じさせるに足りるものです。しかし、情報が正しければ、彼女が3月30日に服用した向精神薬の量は致死量に満たないものだったとのこと。これだけの知識を持った彼女がそこを図り違えることはないと私は思います。あるいは自らの体調不良を感じ、このくらいの量を服用すれば・・・と推定でその量を選択したとしても、死に導かれる選択を確信のもとに彼女がとったとは思えません。

終止符を打つという意思と行動とそれを躊躇する選択を想います。

心臓の弁に穴が空いていたことが結果としての死因に結びついたのが事実だとすれば、それは彼女がそう命を運んだことの結果だったのではないか。私は彼女の祈りが通じた結果なのだろうと想います。彼女は自らの命を運に預けたのだろうと。

真実はわかりません。強い意思を持って臨んだのか。安らかに微笑みを浮かべて逝ったのか。途中恐怖を感じ後悔をしたのか。寂しさがあったか。悲しさがあったか。喜びがあったか。

「私はいつでも追いかけられている・・・・自分自身に」

自分を苦しめる自分を止められるのは自分しかない。
自分を苦しめる自分を救えるのは自分しかいない。

それは人への絶望であるとともに申し訳なさでもあり、自分への憐れみと攻めだったことでしょう。
親も友人も教師も医者もみんな自分を想ってくれている。
幸せも願ってくれている。
自分を救ってほしい願いと救おうをしてくれている他人と救ってもらえない絶望と本質的には他の誰かの問題ではないと自覚している自分と。

彼女が抱えていたのは病気ではなく孤独。
彼女は柵の外から世界を眺めていた人の一人だったように思います。
その柵の外から中に入ろうという気持ちはあったのでしょうが入れない。「こっちへおいでよ」と柵の中から手を伸ばしてくれる人に感謝を覚えながらも入りきれない。そんな自分が好きでもあり忌々しい存在でもあったのだろうと想います。

様々な考え方があっていいと思います。
彼女を救って上げるには何をすればよかったのかと考える人がいてもいい。
もうこんな悲しいことが起きないようにどうすればいいかを考える人がいてもいい。
そんな途方も無いことは考えられないからといって、せめて彼女の意思を掬って上げることを考える人がいてもいい。

私は彼女に「あなたは素敵だ」とそう伝えたい。
救うためでも死んでもらわないためでもない。
私は彼女の正直さを素敵だと思うからです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2020年4月11日
読了日 : 2017年12月10日
本棚登録日 : 2017年12月10日

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