「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」 一九七二 (文春文庫 つ 14-1)

著者 :
  • 文藝春秋 (2006年4月7日発売)
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昨年から続く1968年への半世紀ぶりの本の旅、「革命とサブカル」からたどり着きました。この本に来る前に、全共闘運動による1968年のエネルギーは1972年の連合赤軍事件で消滅していったことは理解していました。それを著者は『高度成長期の大きな文化変動は一九六四年に始まり、一九六八年をピークに、一九七二年に完了すると。さらに言えば、一九七二年こそは、ひとつの時代の「はじまりのおわり」であり、「おわりのはじまり」でもあるのだと。』(P14)と捉えています。それは、社会運動のことだけでなく、例えばロックについても『ある人は言う。ロックは60年代の音楽であると。またある人は言う。ロックは70年代の音楽であると。共に、とても大ざっぱな言い方だ。一九六七年から七二年までの六年間は特別な六年間である。一九六七、八、九年を60年代としてくくることができないように、一九七〇、一、二年を70年代としてくくることは出来ない。そしてロックは、その時代の特別の音楽、を超えたアート、カルチャー、いや思想だった。』(P279)と、デリケートに時代を区分します。それはその時代、著者がローティーンであり、遅れて来た当事者としての皮膚感覚を知るからこその繊細さです。たまたま平成最後の日の読了となりましたが、メディアが一斉に「平成から令和」として語っていることも、もっと微分しないとわからなくなること、あるのかな、と思います。『「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」の年である一九七二年に起きた大小様ざまな出来事を紹介、分析することによって、私は、私の歴史認識を呈示し、…」という極めて個人的な時代のタイムスライスですが、点が点と繋がり、記憶が記憶を呼び覚まし、「はじまり」と「おわり」の大きな固まりになっていきます。連合赤軍、ポルノ、南沙織、横井庄一、「あさま山荘」とニクソン訪中、本のデパート大盛堂書店、奥崎謙三、札幌オリンピック日の丸飛行隊、CCR、レッド・ツェッペリン、糸山英太郎、グランド・ファンク・レイルロード、「はっぴえんど」松本隆、「頭脳警察」パンタ、キャロル、ストーンズ来日中止、立花隆、アントニオ猪木クーデター、、日本プロレス崩壊、「太陽にほえろ!」、ぴあ創刊、「大相撲ダイジェスト」、田中角栄「日本列島改造論」…。それにしても本書の参照となったタイムカプセルとしての週刊誌って、すごい。ネット時代はこういう歴史の振り返りと再構築はどうやってやるんだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2019年4月30日
読了日 : 2019年4月30日
本棚登録日 : 2019年3月23日

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