ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書 2257)

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  • 中央公論新社 (2014年3月24日発売)
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20世紀を代表する政治哲学者でハンナ・アーレント(1906-1975)の生涯と思索をコンパクトにまとめた入門書。



アーレントの生涯の主だった出来事をごく簡単にまとめてみる。

1906年、ドイツで誕生。知的で裕福なユダヤ人家庭で育ったケーニヒスベルクでの少女時代。マールブルクのハイデガー、ハイデルベルクのヤスパースに師事した学生時代。反ユダヤ主義を掲げるナチスが権力を握ったためパリへ亡命。シオニストの社会活動家として働きながらベンヤミンをはじめとする知識人と交流したパリ時代。第2次大戦勃発によりフランス政府から「ドイツ人=敵性外国人」とみなされ収容所へ監禁、翌年ドイツによるパリ占領の混乱の中で脱走、ニューヨークへ亡命。『全体主義の起原』(1951)『人間の条件』(1958)を執筆、アメリカの大学で教え始める。レッシング賞受賞(1959)。アイヒマン裁判を傍聴し『イェルサレムのアイヒマン』(1963)を執筆、論争を呼ぶ。1975年、ニューヨークで死去。

20世紀の歴史が「ユダヤ人女性」アーレントに課した「出来事」の数々に改めて驚かされる。書斎での静かな学術研究に沈潜する「観照」的生活など許されず、政治的で論争的たらざるを得ない生涯であったが、時代と格闘し続けた「実践」的知識人であったと言える。印象的なのは、パリでのベンヤミンや、サンフランシスコでのエリック・ホッファーなど、さまざまな知識人との交流の事実である。ベンヤミンとは亡命先のパリで出会い、文学、哲学、政治を語り合うなど互いに親しい友人となる。その後、収容所から脱走したアーレントがニューヨークへ亡命しようとする直前、偶然ベンヤミンと再会するが、彼女とともに出国できなかったベンヤミンは徒歩でピレネー山脈の国境を越えようとするも果せず、自殺することになる。



このように「実践」的たらざるを得なかったアーレントは、その人間観においても、決して観念論や世界観や形而上学といった体系的理論で以て個々に多様な人間存在を抽象化し自らの理論の歯車に貶めることをしなかった。

「理論がどれほど抽象的に聞こえようと、議論がどれほど首尾一貫したものに見えようと、そうした言葉の背後には、われわれが言わなければならないことの意味が詰まった事件や物語がある」(p216)。

あくまで現実の世界に根差した存在として人間を捉えること。そうした姿勢は、「私たちが行っていることを考えること」を企てた代表作『人間の条件』における人間の実践の三類型にも表れているように思う。『人間の条件』では、地球上の現実的な存在としての人間に課されている諸条件に対応して人間の実践を分類し、その歴史的変遷を跡付けることで、現代世界を根底的に批判しようと試みた。

【労働 labor】は、人間存在の自然性という条件に対応する実践である。生理的存在として自らの生命を維持し拡大させようとする実践がここに含まれる。【仕事 work】は、人間存在の反自然性という条件に対応する実践である。人間は決して動物のように自然に埋没してしまっているのではなくて、生物学的に条件づけられた自己の自然性を超越して永続的な人工的世界を作り出そうとするのであり、技術、学術、芸術などの実践がここに含まれる。それゆえ、アーレントは【仕事】の人間的条件を「世界性 worldliness」と呼ぶ。【活動 action】は、人間存在の複数性という条件に対応する実践である。地球上において人間は決して単独で存在しているのではなくて、多様な他者との関係のうちにある。人間であるという点では同一でありながら個々人は決して同一性では括れない複数的な他者との関係において、言葉と身体を通して自己の存在を表わしめ以て自分が何者であるかを示そうとする(それは世界にとっては予測不可能な「はじまり」となる)、そのような政治的な実践がここに含まれる。

「アーレントにとって政治は支配・被支配関係ではなく、対等な人間の複数性を保証すべきものであった」が、【労働】や【仕事】が支配的となるにつれて、「「誰であるか」を示す活動、そして予測不可能な「始まり」の要素は脱落していったのである」(p147)。

そして、全体主義を批判するアーレントが最も根本的な足場としたのが、複数性という人間の在りようである。全体主義とは、人間の固有性、自発性、偶然性、予測不可能性、則ち複数性を否定しようとする暴力として特徴付けられる。アーレントは「全体主義は政治の消滅である」(p114)と喝破した。全体主義はイデオロギーとテロルという手段を用いて政治の消滅を遂行しようとする。イデオロギーは、世界全体を単一の体系によって説明しようとすることで、その世界を実際に構成している個別具体的な諸人間存在の複数性、他者性を、当の人々の思考から抹消しようとする。テロルは、個々の諸人間が具体的に作り出した他者との関係を、物理的に破壊する。

単一のものの見方に塗り潰されて人間の複数性を否定する事態は、まさに思考停止の状態であるといえる。逆に言えば、思考が運動し続けるためには、自己とは異なる他者が存在しているということが必要条件となる。人間が現実をリアリティをもって経験できるのは「私たちが見るものを、やはり同じように見、私たちが聞くものを、やはり同じように聞く他人が存在するおかげ」(p148)であるというアーレントの指摘は意義深い。

他者と個別具体的な関係を結びながら、同時に集団において自己と他者のそれぞれの前提条件たる複数性を抹消してしまわないこと。複数性という過剰を鬱陶しがらせようとする虚偽意識に傾かないこと。現代人の多くは、複数性を孤立と取り違えてしまっているがゆえに、いっそう「全体」へと糾合されやすい傾向にあるのかもしれない。複数性の否定は、個人による経験の無意味化につながる。個々の経験が現実に根を下ろした意味をもち得なくなると、諸個人は孤立化する。孤立化した人間が、経験の意味も他者との関係も回復されないまま、人間の顔をなくした匿名多数という「全体」へと束ねられていく。そしてこの「全体」が個人的な倫理とは全く別の論理で運動してしまうがゆえに、未曾有の悲劇を惹き起こした。「全体」化に対する異物としての複数性を手放さないこと。その異物性が世界にとっての「はじまり」と呼ばれているのではないか。

「私たちは考えることや発言し行為することによって、自動的あるいは必然的に進んでいるかのような歴史のプロセスを中断することができる。そこで新たにはじめることができる。アーレントにとってその「はじまり」の有無こそは、人間の尊厳にかかわっていた」(p225-226)。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会科学
感想投稿日 : 2020年12月19日
読了日 : 2020年12月13日
本棚登録日 : 2020年12月19日

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