歌人の馬場あき子と国文学者の松田修が、『方丈記』のテクストにそくして、その魅力を語っている本です。
松田は、「孤」(みなしご)という鴨長明の自己規定のうちに彼の幼児性を指摘しています。また、「正」と「反」だけが綿々とつらなって「合」が欠落している『方丈記』の文体上の特徴から、俗生への未練を断ち切れない人物像を読みとりつつも、そもそも長明に遁世を妨げるほどの現世のほだしなどなかったのではないか、「ひょっとしたら長明は、世の人が価値とみるような捨てるべきなにものをももたない、あるいはほとんどもたない遁世者であったのかもしれない」という、ある意味で意地の悪い見方を示しています。
一方馬場氏は、歌人としての立場から長明の歌が二流のものだということを指摘し、しかも長明自身がそのことを十分すぎるくらい知っていたのではないかと述べています。
こうした両者の対談を通じて、あまりにも人間くさい長明の姿が浮き彫りにされています。しかも、仏道にも数寄の道にも没入できず、自己分裂の中に生きた長明の「隠遁」を、そのままのかたちで救い出そうとしているところに、馬場、松田両氏の「人間」をどこまでもいとおしむまなざしが感じられます。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
文学研究・批評
- 感想投稿日 : 2018年7月24日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2018年7月24日
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