フーコーの生政治、アーレントの全体主義の交差を系譜学的に理解する試み。古代ローマの特殊な囚人「ホモ・サケル」に注目する。一切が奪われた彼らを殺しても罪にならない。ただ生きているだけである(「剥き出し」状態)。
「剥き出しの生」とは「主権権力の外に位置する者」のこと。こうした生は現代に至るまで存在してきたとアガンベンは指摘。生政治とは、ギリシアでは人間の生存に配慮する政治のことであるが、ローマでは、ホモ・サケルを設定することで、政治空間を形成した。
「剥き出しの生」は強制収容所のユダヤ人や安楽死を想起すると分かりやすい。社会には法の領域の外にある人間が必ず存在し、その線引きは権力により行われる。人類は形をかえながらも「例外状態」(シュミット)を再生産し続けている。
やや難解な一冊ながら、最前線の「生政治」を考察する上では必読か。幸いに著作の邦訳は多いし、エファ・ゴイレン『アガンベン入門』(岩波書店)と併せて読むと良いかも知れない。久しぶりに「脳」が刺激を受けた一冊です。
クローチェ、グラシムから、エーコ、ネグリ、ペルニオーラ、そしてアガンベン。半島からの刺激が思索を新しく“撃つ”とでも言いますか。毎日新聞にアガンベンのインタビューがありますので、紹介しておきます、 http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20120325/p2
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
権力論
- 感想投稿日 : 2012年8月3日
- 読了日 : 2012年8月3日
- 本棚登録日 : 2012年8月3日
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