春のオルガン

著者 :
  • 徳間書店 (1995年2月1日発売)
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感想 : 27
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湯本香樹実さんは、大好きな作家の一人。まだ学生だった頃、『夏の庭』を読んですごく胸に染み入るものを感じ、『ポプラの秋』を読んで息ができないくらいたまらなく切なくなって、大好きになった。

しかしこの2作以外に著作を知らぬまま時が過ぎ、昨年『西日の町』の文庫が出たときにあの2作以外にも本が出ていたことを知り、調べてみたら、文庫になっている3作の他にこの『春のオルガン』があることがわかった。同時に、本書は『夏の庭』に続く児童文学第二作だったことも知った。大好きな作家だというのに、知らなすぎだ、わたし。

さて、主人公は小学校を卒業して春休みに入ったばかりの、12歳の桐木トモミ。家族構成は、今のところ、おじいちゃんとおかあさんと、弟のテツ。おばあちゃんは死に、翻訳の仕事をしているおとうさんは家を出て行ったきり帰ってこない。塀の位置のせいでお隣の家と争っているから、最近どうも家の中がおかしくなっている。

家にいるのが嫌でテツと一緒に外へ出ると、トモミの知らない場所をテツはドンドン進んでゆく。山本製作所という鉄クズ屋、学校の体育館の裏にあるすだれ沼、そして川原で会ったおばさんも一緒に行った、高速道路の巨大な柱の足元にあるガラクタ置き場。そのガラクタ置き場にはノラ猫がたくさんいて、おばさんは猫たちにエサをやっていたのだ。それからトモミとテツはその場所に通うようになる。そこに捨てられている古いバスの中で眠ったりもした。

春というのはなかなか複雑な季節だ。ひとつの区切りが終わり、またもうひとつの区切りが始まろうとしている時期。これから始まる新しい1年が楽しみでワクワクしたり、去年の今頃はどうだったか自分のことを振りったり。トモミは、テツを追いかけながら春のにおいを感じ取り、こう思う。

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去年も、おととしも、その前の年も知っていたはずなのに、好きだったはずなのに、どうしてだろう。今年、こうやって一年ぶりに同じにおいのなかにいると、時間はどんどんたつのに、何か大事なことをし忘れているような気がしてくる。
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なんとなく感じる焦りや苛立ち。誰もが感じたことがあるのではないだろうか。

この作家の本を読むたびに感じる。たまらなく懐かしいにおいを。

わたしにもあった。こんな場所が。その正体が何だったのか未だにわからない、コンクリートのがらんどうの建物らしきもの。周りには何もない、ただ草の生えているだけの、のっぱら。そこへ学校帰りに友達と寄り、よく遊んだものだ。とくに決めていたわけでもなく、約束していたわけでもないのに、なんとなくそこへ行ってしまうのだった。昨日のことのようにくっきりと思い出す。その建物に妙に響き渡る自分たちの声や、風の音、草の色とにおい。

そしてこれまた何も決めていないのに、なんのきっかけもないんだけど、なんとなくそこへ行かなくなっていった。子供なんてそんなものだ。でもそんなひとときが楽しかった。一所懸命で精一杯だった。本書を読んで、そんな思い出が鮮やかによみがえった。

大人たちの事情に巻き込まれながらも、キラキラ輝く春休みの思い出がここに描かれている。自分も持っているこの頃の思い出を大切にしていこう、と、なんとなく切なくなった。

本書は、著者の実体験にもとづいているそうだ。どうりで鮮やか過ぎるはずである。

読了日:2006年6月20日(火)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 児童書
感想投稿日 : 2009年7月16日
読了日 : -
本棚登録日 : 2009年7月16日

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