先日、この版の素敵なレビューを目にして、はて? うちの「虎」はどうなったかな、久しぶりに書架を漁っていると……心なしか痩せて黄ばんだ虎が出てきた。これはいかん、たまには虎を干して遊ばねば!
中島敦といえば、その重厚な漢文体が美しい。この本には『山月記』『名人伝』『弟子』『李陵』が掲載されている。それぞれの分量は少ないものの、その中身たるや、押し鮨のようにぎっしり詰まって読みごたえ満載だ。しかも中島敦の漢籍の知識は容赦ない。ふつうの人なら注釈がなければ読み通すことは難しいけれど、親切な新潮社のそれを参考にしながらゆっくり読めば、なんと豊かな作品たち! なんど読んでも読み尽くせない面白さがぎゅっと詰まっている。
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頭脳明晰で才走る官吏の李徴。後世に名を残そうと出世コースを降りて詩作の道に進むも、芽はでない。己の才を認めない世間を恨み、憤怒と妄執にとらわれた李徴は、ついに異形のものに姿を変えてしまう(『山月記』)。
こういう変身譚は、ギリシャ神話やオウディウス『変身物語』、カフカの『変身』などなど、古今東西にもたくさんあると思うけれど、『山月記』は、かなり深遠な作品だと思う。社会的地位や身分、自尊心や克己心を容赦なく引き剥がして、あらわになった虚栄心やおごり、無知に怠惰、憐れな人間の性や業をさらけだす。結局のところ、人間という存在の最後に残るのものはなんなのか? そんなすさまじい気を放ちながら、異形のものは躍動し、慟哭する。
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うってかわって『名人伝』は軽妙だ。弓の名人を自負する男がさらなる名人を求めて旅に出る。果たして至高の名人と称される老に巡り合うのだが……。
無知の知を心に留めておけば、おのずと真の知の道(タオ)に至るということか……笑? どこか昔話や寓話のような雰囲気が漂っていて、くすっと笑える可笑しみが埋め込まれて楽しい。
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孔子の伝記をもとにした『弟子』。孔子が率いた多くの弟子の中から「子路」が選ばれているのは興味深い。もし才気煥発で政治力に長け、人格も優れた弟子「願回」あたりが主人公だったら、間違いなくおもしろくないものになっただろう。かといって、切れ者でそつのない「子貢」では、読み手はうんざりしてしまうかも。それゆえに猪突猛進で義侠心にあふれ、ズレているけれど憎めない「子路」という人間臭いキャラクターが活きてくる。暑苦しい子路とクールな孔子をやりとりさせたからこそ、彼の人間性や仁愛、とりわけ子路への憂愁や思慕があざやかに映しだされる。
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『李陵』の舞台は漢の武帝の時代。匈奴との戦いに敗れて俘虜になった武人李陵の葛藤と半生を、さらに大著『史記』をものした歴史家司馬遷の辛苦を絡めたオムニバスの大河ドラマ。
今回読みながら、この4つの物語にちょっとした特徴を感じつつ――作品の分量にこだわらず――独断と偏見で切り分けてみた。『山月記』と『名人伝』は短編で、『弟子』と『李陵』は長編という具合で。
ちょうど大木を根元ですぱんと切ると――ときどき行政が公園の大木を容赦なく切って、悲しく憤るが――その切り口から放たれた生なましい匂い、ギョッとするような面の白さ、ときに樹液が垂れて、おどろおどろしい血を連想させる。短編はそんな一つの切り口に迫り、さまざまフォーカスしていくわけだけど、おそろしく気を張り詰め、言葉が凝縮されて行間を読むのも難解なので、すこし苦手意識がある。でも中島敦の『山月記』と『名人伝』は、鮮やかな切り口にシンプルにフォーカスしながら、滑稽な笑いもあって楽しいのだ。
それに対して、大木を切らず根元から頂上まで、枝葉をフォーカスしたり、引いたりしながら木の全体像を描写していく長編は、登場人物に寄り添いやすい。だから道のりは長く、たとえ剣呑でも、ちょっとしたピクニック気分になるから楽しい。
そして中島敦はどちらも巧いな~と感じる。あえていえば短編の筆が冴えている気がするけれど、いずれにしても、流れるような文体は怜悧で美しい……なんて余韻を残しながら、表紙の黄ばんだ虎をなでて本棚に返した。また近いうち遊ぶ約束をした。そのときにはどんな発見があるのか楽しみだな(2022.7.5)。
- 感想投稿日 : 2022年7月5日
- 本棚登録日 : 2022年7月2日
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