誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録

著者 :
  • 文藝春秋 (2015年2月23日発売)
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感想 : 11
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魚を突くモリのことを「ヤス」と呼び、家の陰辺りから突然出現してちょろちょろっとすぐ隠れてしまうトカゲやヤモリのことを「カナチョロ」と言う。
著者の、数十年前の日本や現代のインド、昭和から今に至る下町や自宅の茶の間までという極めて広範囲な時間と空間に跨る回想と写真作品は、見過ごされがちな者たちや、愛されるべき者たちや、場合によっては蔑まれ虐げられている者たちへの慈愛に満ちた視線を感じさせるものばかりだ。
『誰をも少し好きになる日』というタイトルは、本書を貫くテイストを絶妙に表していて実にいい。

それに加えて、冒頭の「ヤス」と「カナチョロ」は、この本の書き手であり、写真の写し手である鬼海さんと私との共通の故郷である山形の、しかもかなり庶民的な地言葉で、それだけでも私個人としてはジンと来るものがある。
本書最大の圧巻は、「一番多く写真を撮らせてもらったひと」と題した一編の文と一連の肖像写真である。
本文によると、鬼海さんは実に22年に渡って浅草の同じ場所でほぼ同じポーズで、その「お姐さん」の無数の肖像写真を撮り続けた。その場所に行けばお姐さんに逢える、同じポーズで写真を撮らせてくれる。ズラリと並べられたお姐さんの写真を見た大抵の読み手は圧倒されるだろう。他の題材を撮った作品同様、写し手の濁りのない慈愛に満ちた眼差しを感じさせるのはこの一連のお姐さんの写真も同様である。
ただ、お姐さんがいつも立っていたのは浅草六区の交差点の所で、彼女はいわゆる「たちんぼ」だった。それがどういう職業というか生業であるのかを理解できない向きも多かろう。だが、著者の偏見のない撮り方書き方と矛盾しないように詳しく説明するのは難しい。
初めてのときにすでに50代か60代であったと思われるお姐さんが、その後も20年以上「立ち」続けていたというのは驚くべきことだ。

檀一雄の代表作『火宅の人』の中に、戦後すぐぐらいのパリで、当時日本国内では「パンパン」と蔑称された生業のある女性が、貧しい絵描きや留学生達を同胞として「おばちゃんの世話にならなかった者はいない」と言われるほど面倒をみた話が出てくる。そのおばちゃんが亡くなった冬の日、世話になった連中が集まってペール・ラシェーズの墓地に葬るとき、貧しい者揃いの彼らは供える花さえ買えず、ほうれん草の葉っぱを花の代わりに棺にいっぱい入れた、という場面がある。

浅草のお姐さんも、亡くなった後、道行く人たちの多くがお姐さんの「立って」いた場所に花を手向けた。下町の人々の如何なる存在にも共に生きる同胞として注ぐ慈愛は、インドの辺境や古の山形の片田舎にならかつてあったが、今はノスタルジーの対象でしかないのかもしれない。
改めて圧巻の写真群を眺めてみると、20年に渡る「お姐さん」の表情は一貫して、乾いた実はどこか内に秘めたものは見せまいとする笑顔とも無表情とも、どちらともとり得る顔をしている。

その一連の顔の陰に、写真の撮し手さえもついに名を知り得なかった「お姐さん」の、内面に秘めた荒野を見てしまうのは私だけであろうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: どう撮るどう撮った
感想投稿日 : 2015年5月2日
読了日 : 2015年5月2日
本棚登録日 : 2015年5月2日

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