三高=高価格・高姿勢・高依存
三低=低価格・低姿勢・低依存
同じような感覚のものを言えといわれれば、森ガールとか。
建物を建築するということは三高そのもので、三高意外の部分での建築なんて定義することができない。
そんな建築業界で、三低主義を掲げる隈研吾は自分の首を締めている。でも、そんな自分殺しの考え方が、本当に殺されるまでの過渡期にはもてはやされる。
ここで改めて「主義」とつけられても、やっぱりそれは三高の次、2番目の選択になるのであり「三高でなくとも別に構わないかも」という気づきが芽生え始めているということでもある。
最近の建築雑誌にリノベーションの物件がよく出てきているのは「三低主義」の賜物か、それとも不況に喘ぐ建築界の苦しいあがきの賜物か。
はたしてどれだけの人が三低に価値を見いだせるのだろうか。新築じゃなくても、別に中古の平屋の借家でも構わない。そう思える人は確かに増えているのかもしれない。けれども、その代わりに通勤に便利とか、部屋が広いとかトレードオフした恩恵を秤にかけている部分がある。
価値観の多様化、そう言ったらそれまでだけど。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
場所をつくるということ
- 感想投稿日 : 2010年3月23日
- 読了日 : 2010年3月23日
- 本棚登録日 : 2010年3月23日
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