東京プリズン

著者 :
  • 河出書房新社 (2012年7月6日発売)
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天皇、戦争、アメリカと日本の関係について私("I")を主語に物語っていく。

1980年代にアメリカ留学中のアカサカ・マリは留学先のアメリカの学校で与えられた「天皇の戦争責任」に関するディベートという課題の中で所謂玉音放送を英語で訳すことになる。
そこで「堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ」と言う有名な言葉の主語は誰なのかという疑問につきあたる。

I=朕なのか、それともWEなのか。WEだとすると、それは天皇家なのか大本営なのか、日本国民なのか、そこに"朕"は含まれるのか。

"天皇に戦争責任はない"という陣営でのディベートをすることになったマリは混乱する。

そして日本国憲法第9条。
原文にあるRenunciation of War.
作中の人物、アンソニーはRenounceを「自発的にやめる」と訳す。

<blockquote>私はこのとき、ショックのあまり失笑した。なんてことだ。「自発的にやめる」と、他人の言葉で<u>私たち</u>が言うとは! そのうえそのことさえ、アメリカ人に教えてもらうまで知らないとは!</blockquote>




「戦後処理のまずさが今の社会の閉塞(へいそく)感につながっているという思いがずっとあった」と著者はインタビューで語っている(http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/doyou/CK2012071402000221.html)。

第二次大戦の反省を、敗戦の反省をどこか棚上げにしていたことが、つもりつもって今の日本社会の閉塞感に繋がっているのではないか。


<blockquote>"I'll let you go back to your study."
アメリカ人のこういう言い回しも、私には笑っちゃうほど面白い。でも笑ったところで相手には伝えにくい。外国にいたり外国語が不十分だったりするときに感じるフラストレーションとは、つまるところ、こういう小さなことを伝えられないことだ。人の心の基本的なところは、こういうような小さなことで出来ている気がする。(P.185)</blockquote>
という箇所には深く共感した。

自分は英語を充分に使うことができないけれど、それはこのような小さなことが気になって喋りださないからだと思う。どっからみてもアジア丸出しなんだから、多少壊れた英語だろうと喋ってしまえば、それなりに伝わるだろうに。

日本は憲法を自分たちの言葉(日本語)で考え直すべきではないか。
・・・ちょっと左な結論になり自分でも自分の意見に戸惑ってしまうが。

英語を日本語に訳すときで零れ落ちた"小さなこと"がボトルネックになって、戦後の日本は民主主義や資本主義、自由経済を充分に理解できていないまま60年以上も経ってしまったように思える。

<blockquote>「意義を認めます」
スペンサー先生が言った。
スペンサー先生が私たちの異議を認めてくれる!
それはごくふつうの一瞬だった。しかしそのとき私は、民主主義と言うものに触れた気がして打たれた。感動でありショックな体験だった。ああ、民主主義というのはきっと投票や多数決のことじゃない、それはおそらく私たちの血肉から最も遠いというくらいにかけ離れた概念なのだ、と。そのことが骨身に沁みてきた。(P.268)</blockquote>

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2018年11月20日
読了日 : 2012年9月30日
本棚登録日 : 2018年11月20日

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