世界史で学べ! 地政学 (祥伝社黄金文庫)

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  • 祥伝社 (2019年4月12日発売)
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高校時代の世界史の授業は二年生の時にありましたが、授業に集中していなかったせいもありますが、とにかく覚えることが多くて大変だったのを覚えています。特に第一次大戦あたりでは、それまで敵であったのに同盟を結んだり、それを二重三重にしていたような。どうして欧州は複雑なのだろうと思った記憶があります。

そんな私が数十年経過して、地政学というものがあることを知りました、地理が好きだった私はとても興味を持てるものでした。この本は地政学を世界史で学べ、となっていて、地政学も世界史も合わせて解説されています。今後も著者である茂木さんには解説本を書いてもらいたいものです。

以下は気になったポイントです。

・憲法9条を守れ、という脳内お花畑歴史観を正すために地政学は有効である各国の指導者はリアリズムでものを考え行動している。それが道徳的に正しいかどうかでなく、プーチン、習近平主席が地政学的に行動しているという事実が重要である(p8)

・ユダヤ教から分かれたキリスト教は厳格な一神教であったが、ローマ帝国が広がるにつれてキリスト教会は各地の多神教を取り込んで妥協を図った、イエスの母である聖母マリア、イエスの弟子たちを聖人と呼んで教会に祀ったのは多神教の影響である。イエスの弟子のペテロを埋葬したローマが聖地となり、ついにはローマ教会の指導者(ローマ教皇=法皇)が神の代理人と称することになった、こうして西洋化したキリスト教がローマ・カトリック教会である(p21)

・2014年にロシア系住民が多いクリミアが、ウクライナから独立とロシアへの編入を住民投票で決議したのを受けて、ロシアはクリミアを併合した。アメリカのオバマ政権はこれを非難したが、クリミアをウクライナへ返せという前に、テキサス(28番目の州)をメキシコへ返還しない理由を説明すべきである(p26)

・艦隊決戦の前に空母に爆撃機・雷撃機を搭載してハワイ真珠湾を奇襲攻撃した日本海軍は世界の軍事戦略を一変させた、このことを正確に理解したのはアメリカ海軍であった。軍艦の製造に代えて空母と航空機を大量生産し、日本のシーレーンを空爆で徹底的に破壊する作戦に出た(p34)


・2050年にはアメリカの白人人口は50%を切りヒスパニックが3割に達すると予想される、以前として超大国だろうが、もはや勤労と禁欲を美徳とするピューリタン的な気質や世界の警察官といった使命感は完全に消えるだろう、アメリカの時代は2050年には確実に終わる、日本には自立のチャンスでもある(p44)

・本来の中国は漢人の居住地域と考えるべき、中華人民共和国とは、中国が、チベット(インド独立によりイギリスが徹底、p73)・ウイグル(スターリンの了承、p73)・内モンゴルを征服して成立した帝国であると考えられる(p53)

・朱子学では理性を磨く知識人(士大夫)を最高位に置き、次に農業を尊び、生産活動を行わない商業を卑しみます。商人の蓄財を認めず、万人が土地を耕すべしという農本思想、いわゆる、士農工商の思想で、これは後の毛沢東思想につながる(p61)

・インドの大反乱(シバーヒー、セポイ)の時、イギリスのインド支配は最大のピンチを迎えた、しかし反乱軍がムガル帝国の首都デリーを攻略し、ムガル皇帝が反乱軍に加わったときに形成が逆転した、イスラム教徒の帝国が復活することを警戒したヒンズー諸王国が次々とイギリス側に寝返って、イギリスの圧勝となった。そしてムガル帝国は名実ともに滅んだ(p146)


・ソ連を悪の帝国と呼んだレーガン政権は、パキスタン経由でアフガニスタンゲリラに対する軍事援助を実施する、ビンラディン(アルカイダ)たちは、アメリカ製の武器でソ連軍と戦った、しかし彼らはアメリカに感謝せずに、アッラーに感謝した(p162)タリバン政権はビンラディンはイスラムの英雄、アフガニスタンにとっては大切な客人として引渡しを拒否したので、ブッシュジュニア政権は、テロリストを匿う国はテロ国家である、という理屈でイギリスと共にアフガニスタンに軍事侵攻した(p163)

・ロシアの母であるビザンツ帝国がイスラム教徒のオスマン帝国によって滅ぼされるが、最後のビザンツ皇帝の姪を妃に迎えたモスクワ大公イワン3世が皇帝の称号を引き継ぎ、ビザンツ帝国の後継国家としてロシア帝国が誕生した(p177)これはヨーロッパ向けの顔で、アジア向けの顔は「モンゴルのハンの後継者」蘇るモンゴル帝国であった(p178)

・ローマ帝国の分裂に伴い、キリスト教会も西のカトリック教会と東のギリシア正教会に分裂した、聖地エルサレムはイスラム教徒に占領されたので、イエスの弟子であるペテロの墓があるローマ教会の権威が高まり、その指導者であるローマ教皇(法皇)が神の代理人、カトリック教会の指導者として君臨した、西欧諸国の王たちは、ローマ教皇から王位を承認された。政教分離体制が確立された。東ローマ帝国は、イスラム教徒に領土を奪われてギリシアだけと保持した、このギリシア化した東ローマ帝国をビザンツ帝国という。ビザンツ皇帝はローマ皇帝の権威を認めず、ギリシア正教会の聖職者を自ら任命した。国家が教会の上にあるビザンツ式の政教一致体制は、正教を受け入れたロシアにも継承された(p179)

・ロシアはピュートル大帝が北方戦争でスウェーデンを破ってバルチック艦隊、エカチェリーナ2世はオスマン帝国を破って黒海艦隊、アレクサンドル2世はアロー戦争に乗じて、清朝から沿海州を奪い太平洋艦隊を建設した(p181)

・ソ連軍によってドイツ軍から解放された東欧諸国では共産党政権が樹立され、ソ連の衛生国家となった。バルト3国と東ポーランドはソ連領、ソ連に侵略されて抵抗した、フィンランド・ルーマニアは敗戦国扱いされた、南樺太と千島全島を併合して、バルト海とオホーツク海の覇権を回復した(p184)

・ウクライナ人とロシア人は兄弟のようなもの、ウクライナの首都キエフはかつて、キエフ公国の都だったところ。キエフ公国はロシアとウクライナの共通の起源である。モンゴル軍の侵攻で古代のキエフが破壊されたのちに、ロシアの中心はモスクワに移った(p188)ウクライナを東西に分かち黒海に注ぐドニエプル川を境に、東がロシア、西がポーランド領となった。ポーランドはドイツの影響が強く、カトリック教会、ウクライナ西部ではロシア正教会でなく、カトリック教会であり、ウクライナの東西対立はこの時代にまで遡る(p189)

・半島は、三方(または二方)を海に囲まれ、残りを大陸と接している。海洋へ進出しやるいメリットがある一方で、半島の付け根部分を制した大国によって容易に攻め込まれて逃げ場がない、というデメリットがあり、この点が島国との大きな違いである(p203)ヨーロッパ半島の付け根とは、バルト海と黒海を結ぶ線、バルト3国・ベルラーシ・ウクライナである(p204)

・第二次世界大戦でナチス第三帝国が崩壊した結果、ドイツ本土の3分の2を米英仏のシーパワーに、3分の1と東欧諸国がソ連のランドパワーに占領された、ドイツという緩衝国が東西に解体されたので、東西冷戦の最前線に置かれた。西ドイツが生き残るには、シーパワーのNATOに加盟して軍事的には米国に従属する一方、フランスと和解して欧州統合に活路を求めるしかなくなった(p218)

・バルカン半島は多くの帝国により侵攻された、フン、アヴァール、マジャール、ブルガール、オスマン帝国、オーストリア帝国、ロシア帝国など、この結果、バルカンに住む諸民族の間で分裂が起きた、クロアチア人(カトリック)はドイツ・オーストリアと結ぶ、セルビア人・ブルガリア人(正教徒)はロシアと結ぶ、ボスニア・アルバニア人(イスラム)はオスマン帝国と結ぶ、第一次世界大戦の勝者となったセルビアがユーゴスラビア(南スラブ人国家)を無理に作り上げ、クロアチア・ボスニア・アルバニア人を抑圧した結果、悲惨なユーゴスラビア紛争が起きた(p225)

・地政学的立場を知り尽くしたギリシアの開き直りにより、ドイツを始めとするEU側は不快に思いつつも、黙認せざるをえない。韓国に対する日本の立場と似ている。EU 指導部の本音は、ギリシアはうちで面倒見るが、ウクライナはロシアが面倒みてくれ、欧州とロシアは敵対しないので、米英はロシア挑発をやめてくれ、である。これは欧州連合の分裂であり、アメリカは苦々しく、ロシアはほくそ笑んでいる(p236)

・中東の不安定は古来のイスラム教に起因するのではなく、オスマン帝国の解体にともって生じた問題である(p239)ロシアの南下政策がバルカン半島から中東へ勢力を拡大しようとするドイツとぶつかる、新興国ドイツの台頭を嫌うフランスは東のロシアと同盟を結び、イギリスも加わって三国協商が成立、オスマン帝国はロシアの南下政策に対抗するため、ドイツと組まざるを得なかった(p242)

・軍事的に敗北していたエジプトのナセル大統領は、国際政治の力学で勝者になった、アラブ諸国の民衆は「ナセルの偉業」に歓喜してアラブ統一を目指す、アラブ民族主義が台頭する。ナセルの後に続いたのが、シリアのアサド(父)、リビアのガダフィ、チュニジアのペン・アリ、パレスチナのアラファト、イラクのサダム・フセインである(p253)

・アメリカのレーガン政権は「毒を以て毒を制す」対処をしようとした、ソ連軍に対しては、アフガニスタンのイスラムゲリラ(ムジャヒディーン)、イランのイスラム政権に対しては、隣国サダム・フセイン政権を軍事援助して対抗させた、イランのホメイニ政権打倒を画策したイラン・イラク戦争は、油田が少なく財政基盤の弱いイラクを疲弊させただけに終わった(p257)

・サダム大統領は拘束されシーア派の民兵に引き渡された絞首刑となったが、アルカイダとの関係は証明されなかった、化学兵器は発見されたが、これはイラン・イラク戦争時に米国がイラクに供与したものであった(p259)

・ギリシアを韓国、トルコを日本、キプロスを竹島、ロシアを中国と考えると、よくわかる。日韓両国も歴史的な対立を抱えているが、いずれも中国に対する防波堤という地政学的役割を持っている。両国が争うことはアメリカの国益に合致しない、竹島問題や慰安婦問題でアメリカが煮え切らない態度を取るのはそういうわけである(p275)

・ベニン王国(現在のナイジェリア)アシャンティ王国(ガーナ)などの西アフリカの国々は、奴隷を最大の輸出品として征服戦争を続け、代価として武器輸入を続けた。白人が黒人を奴隷狩りした、という単純な話ではなく、黒人国家自体が奴隷狩りに手を染めていたというのが実態である(p305)

・ソマリアで、親ソ派の軍人がクーデタで政権を握る、エチオピアでもメンギスツ将軍がクーデタ(1974)で政権を握り、最後の皇帝ハイレ・セラシェは翌年、遺体で発見された。日本の皇室より長く、2900年続いたソロモン王朝の崩壊であった(p312)

2023年1月25日読了
2023年1月29日作成

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年1月29日
読了日 : 2023年1月29日
本棚登録日 : 2022年12月18日

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