仕事道楽: スタジオジブリの現場 (岩波新書 新赤版 1143)

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  • 岩波書店 (2008年7月18日発売)
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宮さんと初めて会ったのは、彼が『ルパン三世カリオストロの城』(一九七九年公開。 以下『カリオストロの城』)にとりかかっていたときです。

高畑・宮崎の二人との出会いは強烈でした。当然ながら、もっとつきあいたいと思 う。そのためには、なんとしても彼らと教養を共有したいと思ったのです。話ができな いのでは悔しいですから。

くわえて、二人とも「この本読みましたか?」とよく聞いてくる。ぼくも編集者を やっていたから、それなりにいろいろな本は読んでいたし、もともと好きでよく本を読んでいたはずですが、この二人は人があんまり読まないような本をいろいろ読んでい た。その本を読んでいないと、共通の話題にすることができない。

これはぼくが読んでいなかっただけですけど、宮さんは岩波新書の中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』の話ばかりしていたことがあります。宮さんに「鈴木さん、これ読んだ?」と聞かれて、「いや、それは読んでない」と言ったら、いきなり「無知ですね。」ちなみに、この本はのちに『もののけ姫』の発想につながります。そういえば、 高畑さんには岩波ジュニア新書の茨木のり子『詩のこころを読む』も教えられたなあ。

「ジブリ」とはサハラ砂漠に吹く熱風のことです。第二次大戦中、イタリアの軍用 偵察機が名前に使用していましたが、飛行機マニアの宮崎駿がこのことを知ってお り、スタジオ名としたわけです。「日本のアニメーション界に旋風を巻き起こそ う」という意図があったと記憶しています。 ジブリのように原則的に劇場用の長編アニメーション、しかもオリジナル作品以外 は製作しないスタジオというのは、日本のアニメ界では、というより、世界的にも きわめて特異な存在だと思います。なぜなら、興行の保証が得られない劇場用作品 は、リスクが大きすぎるだけに、継続して収入が得られるテレビ・アニメーション ・シリーズを活動の中心に置くのが常識だからです。

彼は資料を見ながら絵を描く人を信用しません。 というか、いやしくも絵を描く商売をめざすなら、いろんなものに好奇心を持って、 日常的に観察はしているものだというのです。 その積み重ねこそが大切だというのです。

映画を作るにあたって、宮崎駿の発想はまず、極端な細部からはじまります。どんな 洋服を着ているか?どんな髪型か?何を食べているか?どんな家に住んでいるの か?そこからイメージがふくらんでいく。

彼はほんとうに真剣に「見る」。なんとなく見ているんじゃないんです。感覚をフルに働かせ、それまでの知識・情報を動員して、つかんでいく。外国でとくにそうなんで すが、たとえば、屋根の形式などは何世紀にできたものかで、みんなちがう。それを知っているか知らないかで建物を見るおもしろさがちがいますでしょ。宮さんはそのあ たりをよく勉強していて、それをもとに、あの建物の屋根は何様式、家の間取りはこうで、窓の様式はこうだとか、要素でいっぱい覚えてくる。そうすると、10個とか15個ぐらい覚えるけど、半年ぐらいたつと、そのうちのせいぜい7.8個しか思い出せな い。鮮明に覚えているところとあいまいな部分が出てくる。あいまいなところは想像で 描くわけです。逆にいうと、自分にとってもっとも印象に残るところが際立つことにな りますね。だから、オリジナルな建物として誕生する。

彼にとって重要なのは記録じゃなくて記憶なんです。こんなこと がありましたよ。もう20年前になりますか(1988年)、宮さんや ぼくを含め、何人かでいっしょにアイルランドのアラン島に行った ことがある。アイルランドの西の果てで、アランセーター発祥の地 として有名なところです。人口800人で交通機関が何もない。 る晩のことです。みんなでバーに行き、帰り道を歩いていたら、目 の前に、ぼくらの泊まっていた民宿があらわれた。もう夜10時く らいでしたが、六月のアイルランドはまだ明るい。なんの変哲もな い宿屋と思っていたのが、すごく美しいのに驚いた。それで、ぼく は珍しくカメラを出して、写真を撮った。そうしたら宮さんが怒っ ちゃった。「鈴木さんうるさいよ、シャッター音が」。彼はジーッ と見ているんです。ほんとにただ、ジーッと見ていたんですよ。ぼ くも横で黙って見ていた。ちょうどコクマルカラスがバーッと飛び 立ったりして、雰囲気がまた盛り上がる。言葉にあらわせない最高 の時間でした。その間、宮さんは黙ってジーッと見ている。

彼はほんとうに真剣に「見る」。なんとなく見ているんじゃない んです。感覚をフルに働かせ、それまでの知識・情報を動員して、 つかんでいく。

たとえば『千と千尋』。アカデミー賞受賞の話題も一段落して、 ようやく雰囲気が落ち着いたときに、宮さんがいつになくしんみりと、ぼくにこう言った。「きっかけは鈴木さんのキャバクラの話だったよね」。一瞬とまどいました。「何でしたっけ?」。ぼくは すっかり忘れていたんですが、知り合いの青年にキャバクラ好きがいて、彼が言うには「キャバクラで働く女の子はどちらかといえば 引っ込み思案の子が多く、お金をもらうために男の人を接待しているうちに、苦手だった他人とのコミュニケーションができるように なる。お金を払っている男のほうも同じようなところがあって、つまりキャバクラはコミュニケーションを学ぶ場だ」と。ぼくはこの 話がおもしろくて、宮さんに話したことがあったんです。それが 『千と千尋』のモチーフになったと言う。

ぼくの好きな言葉に「道楽」というのがあります。かつて最初に 出した本が『映画道楽』(2005年)でした。このタイトルはぼくが つけたんです。「道楽」、いい言葉じゃないですか。無理に何かに なろうとしないで、そのときどきのことを楽しみ、その人が好きだ からやる。これはまさに「道楽」でしょう?もしかしたら、だか らこそ世の中が見えるというところがあるかもしれない。ここまで 書いてきたのは、結局、ぼくの仕事道楽なのかもしれません。

映画のキャッチコピーを考えるときには、ふたつの脳が必要です。ひとつは構造的な発想、ひとつ は一瞬のひらめき。どう思うか、いろいろ言ってもらって、ふと思いついたのが「あな たのことが大すき。」です。時間が切迫してきて、もうギリギリというとき、ポンと出 てきました。現代はもしかしたら、「あなたのことが大すき。」ということばを言える 相手を求めている時代、自分に言ってくれる人を望んでいる時代。「理」におちず、 とばとしての鮮度もある。おもしろいことに、「大すき」を「大好き」にすると、もう 雰囲気が変わっちゃう。不思議なものです。

「ぼくは、高畑さんや宮崎さんには関心が無い。しかし、鈴木さんには興味がある。 普通の人は、高畑さんや宮崎さんのような天才にはなることが出来ないけど、鈴木さん の真似なら出来る」 失礼千万、よくもまあ、いけしゃあしゃあとこんなことを言えるものだと感心した が、よくよく考えてみれば、いつも、ぼくが初対面の人に対してやって来たことだった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年7月28日
読了日 : 2023年7月27日
本棚登録日 : 2023年7月27日

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