定年後のお金-貯めるだけの人、上手に使って楽しめる人 (中公新書 2577)

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  • 中央公論新社 (2020年1月17日発売)
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楠木新
1954年、神戸市生まれ。京都大学法学部卒業。生命保険会社に入社し、人事・労務関係を中心に、経営企画、支社長等を経験。2015年、定年退職。「働く意味」をテーマに取材・執筆・講演に取り組む。楠木ライフ&キャリア研究所代表。2018年より神戸松蔭女子学院大学教授。『人事部は見ている。』『サラリーマンは、二度会社を辞める。』『会社に使われる人 会社を使う人』『左遷論』『定年後』『定年準備』などの著書がある。

会社員をしながら個人投資家としても積極的に活動している人の中には、「できるだけ早く投資で稼いでアーリーリタイアメント(早期引退)する」という発言をしている人もいる。 もちろん中高年以降をどのように過ごすかは個人の自由なので、私が口を挟むことではない。ただ、ある定年退職した会社員の途懐には興味を惹かれた。定年前は、旅行や読書、映画鑑賞など悠々自適のリタイア生活を満喫するつもりだったが、いざ始めてみると、解放感ではなく寂寥感が忍び寄り、世間が自分を隔ててしまったような気持ちに陥ったそうだ。 彼がそこで気づいたのは、充実した生活を継続するには、現役時代の仕事に代わる基本生活、 毎日の活動が大切だということだった。彼はそこから自分なりの楽しみを見つけたという。 趣味三昧の生活に憧れる気持ちは分かるけれども、長く会社員を経験した人で悠々自適な生活で満足できる人はそれほど多くはないのではないだろうか。 定年退職者の取材で、現役の時からゴルフが趣味だからと、地元に戻ったのを機会にゴルフ会員権を取得した先輩がいた。彼は月に何回もコースに出ているが、かつてのような楽しさは感じなくて「ちょっと難行のようだ」と語っていた。「これからは釣り三昧!」と言っ ていた先輩も、定年退職後にほとんど釣りに行かなくなったそうだ。また田舎生活に憧れて地元に戻った人も、仕事をしないで悠々自適は難しいと語ってくれた。 仮にお金が貯まって働く必要がなくなったとしても、何らかの意味で社会とつながっている必要がある、というのが定年退職者を取材した時の実感である。 仕事は直接的、間接的に人のために何らかの意味で役立っている。現役を退いても自分の 健康と持ち時間に応じて社会と関わっておく必要がある。それは少し若い時期にリタイアしたとしても同じであろう。 リタイアすることを目的化するよりも、仕事自体に意味を見出すことの方が、より幸福に近い人が多いと私は思っている。「四分の一天引き貯金」(収入の4分の1を貯蓄に充てる)
主張で知られ、株式投資家としても著名だった元東京大学教授(専門は造林学)の本多静六氏は、『私の財産告白』という著書の中で、仕事に打ち込んで職業を道楽化することの意味を強調している。こちらの方が早期リタィアよりもフィット感のある人が多いのではないだろうか。やはり仕事に没頭できる、仕事が面白いというのが一番で、健康にもよいことは多くの人にとっては真実だろう。

もっと家族や友人と楽しい時間を過ごし、自分の趣味や好きなことを大切にする方がうまくいくような気がするのである。老後のために節約ばかり考えるのではなく、中年期の今も大切な思い出を築くために面白がることを意識してはどうだろう。 老後資金が足りないと不安を抱いている人の話を聞いていると、実はその不安とお金には直 接の関係はなくて、その人の物の見方や自己肯定感、未来に対する姿勢との相関関係が強いと思えるのだ。

60歳以降にハローワークに通っていた人も「とにかく働けるのであれば働きたい」と語り、 も仕事が決まらず悲観的になった人が「時給は高くないが、働くようになって精神的に安定した」と言う。元高校教師は「今をしっかりと生きることにより不安を寄り付かせないようにしている」と語った。彼は「毎日テレビ体操と散歩をして、たまに寄席を見物し、講演を聴きに行く。また同窓会役員として活動している」と語っている。つまり安心感は、将来も 働き続けることや、日常の生活を整えることから生まれるものであって、頭でお金の計算を しているだけでは解決しない。不安の反対語は、安心ではなくて行動なのだ。言葉を換えれば、多少の環境変化があっても自分はなんとかできるという自信を持つことだ。

ただ、貯める、増やすことに言及しているだけでは、お金全体を論じたことにならない。実生活でもそれほど役に立たないと私は考えている。お金を貯める・増やすは、所詮は「お金はお金」「お金でお金を買う」なのであって、お金を通じて人間関係をつくることや、自らの感動や楽しみに変換させることが大切だと考えている。お金は本来、交換価値が本質だからである。 言葉を換えれば、定年後のお金をどのように考えるのか、定年後どのように働くのか、遊ぶのか、居場所や生きがいをどこに見出すのか。これらは切っても切れない関係にある。 しかし、金を稼ぐことは、社会に必要とされている証であり、使うことは社会に何かを還元する行為である。この2つがあって初めて社会とつながるのだ。そしてそのことが確認できれば、生きる意味も感じられる。

64歳になる長瀬氏(仮名)は最近、博士号を取得した。いろいろ話を聞いてみると、思いがけない出向人事の中で自分なりの選択をしていることが印象的だった。 彼は大学を卒業して生命保険会社に勤めていたが、34歳の時に不動産会社に出向となった。 意外な異動だったが腐らずに仕事とともに自己啓発に努めた。1つ目は、せっかく不動産の仕事に就くことになったのだからと不動産鑑定士試験を目指して勉強を始めた。そして仕事と両立させながら4年後に合格。2つ目は、会社が自主的な活動を援助する制度ができたので異業種交流会を立ち上げた。発起人兼主催者として、その後30年にわたって続けていて、 開催回数はすでに200回を超えている。2回目は52歳の時で、本部の営業の仕事から芸術関係の公益財団法人に出向になった。思いがけない異動先に驚いたが、そこでもすぐに気持ちを切り替えた。通信制の芸術大学に入学して、自ら学芸員の資格を取得した。その後は修士課程に進んで論文も書き上げた。芸術 方面にも視野が広がったという。もちろん勉強ばかりしているわけにはいかない。財団の運営の仕事にも手腕を発揮した。そして公益財団法人の勤務を9年間続けて60歳で定年になり、雇用延長を選択せずに退職した。 定年後も彼のチャレンジは続いている。働きながら大学院の後期課程に進み、博士号を取得した。学び始めてから10年の歳月が経っていた。今後は論文の内容を書籍にして多くの人 に読んでもらうとともに、大学での非常勤講師など、自ら研究してきたことを発信する場を得たいと考えている。 またもう一つの彼の夢は、不動産鑑定士として登録して活躍することである。そのために は実務経験が必要なので、現在は不動産の鑑定会社で働いている。週に3日、若い人に交じ ってパソコンの前で細かい鑑定評価の仕事をしている。 振り返ってみると、これまでの取り組みのきっかけは思いがけない異動であったと言う。 初めは相当落ち込んだが、人生何がよくて何が悪いのかは分からない。むしろ転勤とか出向 は働き方や生き方を切り替えるチャンスであって、前向きに何ができるかを考えることが大切だと彼は言う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年9月7日
読了日 : 2023年9月6日
本棚登録日 : 2023年9月6日

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