- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000220743
作品紹介・あらすじ
豊潤な日本語の伝統に生きることの有難さを、「百人一首」や「源氏物語」などの古典から照らしつつ、いまの言葉の致命的な欠けとそれがもたらす空疎を危惧する。言葉で生きる同時代の者たちへの共感に信を置きつつ、言葉を恃む覚悟をあらたにする評論・エッセイ集。
感想・レビュー・書評
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中日新聞に載った南木佳士さんの書評に、「閑静な日本家屋の一室に端然と座す高齢の女性がいる。そのひとはいまも文筆をなりわいとしている。
彼女の前に正座し、言葉、とくに和歌や源氏物語に連なる日本語を用いてものごとを表現するとはいったいどのようなことなのか、つまりは、書くことの基本とはなにかを、淡々と、そのひとの身についた、そのひとだけにしか語れぬ言葉で教えてもらっている。
こんな場面が連想され、頁をめくるたびに快い緊張感を覚える評論・エッセイ集だ。稀有な読書体験であった。」
とあって、衝動買い。
素晴らしい本でした。
言葉を生業とする人間の端くれとして恥ずかしくなるくらい、自分の日本語に対する姿勢、本の読みの浅薄さを反省させられる本です。
この本で2012年を締めくくることの出来る幸せ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
同名の講演記録では『源氏』にみられる「あはれ」と「もののあはれ」の例が挙げてあった。「ものがあはれ」と読める例のほかに、具体的な事物を一般化して再認識する、物事の本質を問う「もののあはれ」の認識の深さに言及しいる。その他の評論多数。
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「国語の時間」は国語教師必読の書かもしれない。小手先でなく、繊細かつ大らかな感じが本書でも。言葉に対する感覚、姿勢、が研ぎ澄まされる。これもエッセーなんだ、と思って読んでいる。
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てっきり言語学的な本かと思ってよんだら、全然違っててちょっとがっがり。
ただのエッセイ集だったのね…。
この作者さんの事を全然知らなかったから、最初は話についていけなかった。
読み進めるうちにわかってはきたけど、言い回しが回りくどく観念的でちょっとしんどかった。
ただ著者が被爆をしたことによる、物の見方や世界に求めるもの、この辺りの考え方にはすごく興味をひかれた。
期待してた内容とはちがったし、読むのには骨を折ったけど、総合的には読んでよかった。