- Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000241694
感想・レビュー・書評
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・「永山事件」。自分の年代にはあまり馴染みのなかった連続殺人事件。永山則夫の精神鑑定が行われたが、結局、死刑になった。本書は、二回目に行われ、黙殺された精神鑑定の詳細な記録。
・当時は「貧困と無知がなさしめた」という解釈が、いつものごとくマスコミによって紋切型の垂れ流しで報道されたらしい。しかし、ほとんどカウンセリングとも言える担当医との対話で少しずつ明らかになったのは、そんな単純なものではなかった。
・永山則夫の、あまりにも悲惨な人生に、読んでて辛くなった。少し夢見が悪くなったぐらい、マヂで。
・担当医の真摯な姿勢により、心を開いて記述を行った永山は、しかし、最後にその鑑定結果を否定してしまう。ショックを受けた担当医は、本件後、精神鑑定を行わなくなってしまう。だが、永山は...。それまでが比較的淡々と永山の証言が記述されているだけに、終盤での展開はちょっと目頭が熱くなるドラマチックな盛り上がりを見せる。
・もし自分が殺された側の遺族だったらどう感じるのだろう。全く想像できないが、やはり極刑を望むんじゃないだろうか。
・札幌市の図書館に「岩波」キーワードで登録している入荷アラートで知った。速攻での予約だったのですぐに読めたが、2013/05/10時点で後ろに33人の予約待ち。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一審では、無期懲役。二審では、死刑。その判決では、石川医師の精神鑑定書が全く無視されていた。
石川医師は鑑定書作成にあたって、100時間を超えるインタビューを行い、テープに録音していた。
永山則夫は親、兄弟からの虐待を受けていた。母親からの虐待の連鎖が見られる。
親、兄弟を困らせてやろうとした殺人のように感じられるが、なぜ殺人なのか?
ドストエフスキーの影響というが、後付ではないのか。 -
1968年に起きた19歳の少年による連続射殺事件。犯人・永山
則夫の裁判は一審で死刑、二審で無期、最高裁差し戻し審で
死刑確定。
犯行動機は貧困が原因の金銭目当て。しかし、永山本人は動機に
ついては詳しく語ることなく1997年8月1日、東京拘置所で刑場で
命を終わられた。19歳だった少年は48歳になっていた。
永山裁判について調査しているうちに、著者が出会ったのが精神
鑑定書である。一審の際にも精神鑑定が行われていたが、その
内容は警察や検察の取調調書をなぞっただけ。そして、二審まで
に行われたのが本書が取り上げる石川鑑定だ。
白羽の矢が立ったのは八王子医療刑務所で受刑者の治療に
あたっていた石川義博医師。しかし、石川医師も当初は鑑定を
断っている。
それの石川医師の心を動かしたのは最初の鑑定書にあった
一文だった。永山が極度の貧困の中で育ち、その育成歴が
犯行に走った原因でもあるとは触れられいるものの内容の
分析がなされていない。
「影響は少なくない」。そう書かれた部分を石川医師は赤線で
囲む。「なぜ、とりあげないのか」との書き込みを添えて。
8か月に及ぶ永山との面接は、鑑定よりもカウンセリングの手法
が取られた。その録音テープは永山亡き後も石川医師の手元に
保存されていた。
苦悶の叫びだった。それまで誰にも心の内を明かさなっか永山が、
徐々に石川医師に対して自分の気持ちを語っていく。自分を無視
し続けた母のこと、母に代わって長屋なの面倒を見てくれた長女
のこと、末の弟を蔑んで来た兄たちのこと。
金目当ての犯行ではなかった。東京と京都の事件は恐怖から、
函館と名古屋の事件は自分を顧みなかった母と兄弟に対する
「当てつけ」だった。
だからと言って、人を殺めていいことにはならないが肉親の愛情
や社会的関係を作り上げられなかった人間の哀しみが詰まって
いる。
二審は石川鑑定によって「精神的に成熟していない」とされたこと
もあったのか、一審の死刑判決から無期懲役の判決が出た。
だが、最高裁差し戻し審では石川鑑定は無視され死刑判決。以降、
この鑑定書が世に出ることはなかった。
それは、4人を殺害した犯人に死刑以外の判決を下すことに躊躇
した司法の判断もあったろう。永山自身が「自分の鑑定じゃない
みたいだ」と言ったこともあるのだろう。石川医師が永山の鑑定後、
鑑定医を辞め、マスコミにも一切出なかったこともあるのだろう。
今回、詳細な取材に基づきこの事件に新たな光を当てた著者の
力作である。圧倒的な事実とは、本書のようなことを言うのだろう。
尚、石川医師は開業医として心を患った人たちの治療にあたって
いる。その机の上には鑑定の最終日に撮影した永山則夫の写真
がカードケースに入れられ飾られている。裏側には、「おふくろは
3回、俺を捨てた」と永山に言われた母の写真が入れられている。 -
事件当時小学生だった自分に、永山の記憶は無い。
あまりに過酷な幼少時代に、胸が痛くなった。
誰か一人でも親身に話す相手がいたらと思わずにいられない。では自分だったら、こんな少年が目の前にいたら寄り添う得るだろうか? たぶん出来ないだろう。
本のページが少なくなるころ、度々涙がにじんだ。
遺族の気持ちを思えば、死刑は致し方ない。でも、それだけでは犯罪抑止にはならないような気もする。難しい。 -
殺人者を写したモノにしては、あまりにも”いい”写真が気になっていた永山則夫さん。その理由が分かった。
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永山の生い立ちに同情しすぎてまず泣いた。そして最後のセツ姉さんとの手紙のやりとりに号泣。永山がドストエフスキーに影響を受けているとは知らなかった。罪と罰、最後まで読んでいればこんな事件を起こさなかったのだろうか……。殺人は何があってもしてはいけないことだけれど、この罪を彼一人に帰するのはあまりに酷。永山と真摯に向き合った石川医師と、闇に埋もれていた石川鑑定に光を当てた作者に拍手、です。
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石川医師の鑑定、というより診療がすごい!
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力作!! 永山事件が理解できた。
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最後まで「石川鑑定」を手元に置いていたのは何故だろう。書き込みがあったというが、どのようなものだったのか知りたい。
石川医師の当時の写真を除けば、本書には3枚の写真が載せられている。最初の記憶である帽子岩、網走時代の幼少期、石川が面接最後に撮った24歳の永山。いずれにも見入ってしまった。「3度、母に捨てられた」と自身が言う人生が凝縮された3枚ではなかろうか。
石川のクリニックの机には、その最後の面接時の写真と、母ヨシの写真が裏表で置かれているという。終生の二人の関係を表わしているようでもあり、切ない。