101年目の孤独――希望の場所を求めて

著者 :
  • 岩波書店
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000245203

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  • 『101年目の孤独 希望の場所を求めて』-「101年」とはこれまで、成長を目指して歩んできた100年が終わり、緩やかな下り坂の次の100年に入ったことを象徴している。そこでの希望の場所とはどういう場所なのだろうか、というのがこの本が書こうとしていることだ。

    「著者初のルポルタージュ」と帯には書いてあるが、ルポルタージュというカテゴリーにはめるのは間違っているだろう。少なくともこの本から受ける印象と射程に対して違和感がある。

    高橋さんは、ダウン症の子供たちのアトリエ、障害者の劇団、ダッチワイフの製造業者、非電化の発明家、既成概念から自由な山間の学校、失われた田舎、子どもホスピス、過疎の島、を訪ねる。いずれも(括弧書きの)「弱い」人たちの話だ。

    これらに目を向けるようになったのは、高橋さんの息子が、小脳炎で障害が残るかもしれないという体験をしたことから始まったことを告白している。そのときパニックとなって子どもと自身の将来について一日思い悩んだことを打ち明ける。
    それは高橋さんにとって驚きであったのだ。驚きとは発見することだ。そこから、高橋さんの「弱さ」へのまなざしが生まれた。そこで「見えないもの」が「見えるもの」となった。この「弱さ」の再発見が、高橋さんの新しい何かの始まりなのだろうかと想像するのは間違っているだろうか。

    息子の病気と震災とに「考え方」の深い部分を揺さぶられたときに浮き上がってきた違和感。この違和感を突き詰めて考えた先にわたしたちが囚われている「考え方」に辿り着き、そのとき視界から排除されている「弱さ」こそがもともとのわたしたちが持っているものであることを見つけることができた。
    そして、その「弱い」ものが、高橋さんがこれまでの生涯を捧げてきた「文学」に似ているということを発見した。それがどういうことを意味するのか、わかったというべきではないのだろう。自分にはそのための驚きが訪れてはいない。もしかしたら、この先ずっと訪れないのかもしれないし、それが訪れるのは、「老い」が避けがたく進んでいることに気がついたときかもしれないし、死が自らか、自らの大事にするものをほとんど捉えようとするときなのかもしれない。

    余命が限られた子どもたちが集まるマーチン・ハウスのスタッフがいった

    「世界中が、ここと同じような場所だったらいいのにね」

    という言葉に対して、高橋さんは、「わたしもそう思う。そして、どうして、そう思えてしまうのか、わたしにはわからないのである」と書く。

    高橋さんの次作は、『弱さの思想: たそがれを抱きしめる』らしい。「弱さ」の肯定の思想が高橋さんが向かおうとしている場所なのだろうか。その場所は、文学の「鍵」ではなく、「文学」そのものとつながるのかもしれない。それは、ある種の「老い」を「衰え」を肯定する思想かもしれない。そこに何か肯定的なものを期待させてもらってもいいだろうか。

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    ※ 原発推進・擁護派への有効な批判は、価値観の転換でなくてはいけない。原発廃止にしても新再生エネルギーで対応は可能ということや、原発廃止がなぜか経済成長につながる、というのは明らかに間違っている。
    この本が書かれるきかっけのひとつは原発事故なのであろう。これまで高橋さんが原発推進に反対の立場(それほど単純ではないが)であるように感じてきたが、この本を読んでその理由がわかったような気がする。
    同質性を強制し、欲望を生むことで推進力とするグローバル経済の中で、その構想が実現可能であるのかはわからない。それでも「弱さ」の肯定こそが、原発推進の「考え方」に対置するべきものだと考えているのではないか。

    そして、わたしはいまだ「弱さ」を決して肯定できていないこともわかるのである。

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    ※ 2014年1月の段階で孤児保護施設を描いた日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」への抗議が激しくなり、スポンサーがCMの放送を自粛する事態にもなっている。この動きは、「弱さ」の否定だ。
    「弱さ」の肯定の立場に立つのであれば、抗議ではなく、その「弱さ」が見えるようにすることが必要だろう。一方、「弱さ」を扱うことの困難さもこの事件により示されたと思う。

    例えば、死にゆく子供ホスピスの子供たちは「ふつう」の人には見えていない。そこでは、テレビがよくやるような泣かせるものにしようとする考えはない。それでは、「弱さ」を見ていることにはならない。頭の中で囚われている「考え方」が崩れることがないように見たいものを、見ているだけだ。そして、見たくないと思うものは、決して見ないものである。

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    ※ 「わたしたちは支配されている。なにに? 警察や軍隊に? 違う。「考え方」にだ。警察や軍隊や権力なら、それは「目に見えている力」だし、それらがわたしたちを支配する力は具体的だ。支配されるわたしたちは、それを「痛い」とか「ひどい」と感じることもできる。抵抗することもできるだろう。けれども、わたしたちの頭の中に住み着いた「考え方」に抵抗することはできない。」と書くとき、その思考の方法はフーコーに似てくる。やはり高橋さんは、「弱さ」の肯定の哲学と、それによる「支配」からの解放を目指しているのだろうか。

  • 高橋源一郎さんの本で、しかも〈弱さ〉を取り上げたということで、これは読むに決まってる。
    身体障碍者の演劇、「なにもない」学校、精神障害者の施設などをまわって、著者が考えた雑感。文章はとてもやさしいです。
    高橋源一郎さんが、このようなテーマを取り上げたことが、なによりほっとした。小説もそういうテーマなんだろうか。きちんと読んでみたい。
    〈弱さ〉は人間であり、人間は〈弱さ〉であると、思えた本でした。この本に書かれていることは、自分がやっていきたいこと、思っていることに、かなり近いと思いました。

著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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