尾崎放哉句集 (岩波文庫 緑 178-1)

著者 :
制作 : 池内 紀 
  • 岩波書店
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  • / ISBN・EAN: 9784003117811

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  • 友の夏帽が新らしい海に行かうか(p.43)

    自らをののしり尽きずあふむけに寝る(p.46)

    ただ風ばかり吹く日の雑念(p.49)

    豆を煮つめる自分の一日だつた(p.71)

    淋しいからだから爪がのび出す(p.75)

    久し振りの雨の雨だれの音(p.86)

    言ふ事があまり多くてだまつて居る(p.110)

    豆腐半丁水に浮かせたきりの台所(p.118)

  • 生における自然の具現者。
    空間と音を感じる。詩に他者がいる。
    それが日常のささいな瞬間、家事でもいい、部屋の中にいる時でも、いい、そうした時に「今の自分」が「世界の側」から見出されるところに僕は共感しているのだろう。最近読んだ金子文子の手記や、漱石の硝子戸の中にもつながる。道元にも通じるし、鶴見の限界芸術にもつながる。「日常に詩を見出す」のが、ほんとうの詩人だと思う。

    --

    墓より墓へ鴉が黙って飛びうつれり

    庭の緑のことごとく風ふれて行く

    道細々と山の深きへ続く

    しみじみ水をかけやる墓石

    電車の終点下りて墓地への一人

    流るる風に押され行き海に出る

    つくづく淋しい我が影よ動かして見る

    なぎさふりかへる我が足跡も無く

    井戸の暗さにわが顔を見出す

    沈黙の池に亀一つ浮き出る

    たつた一人になり切つて夕空

    高浪打ちかへす砂浜に一人名投げ出す

    ★蚊が殺されている炎天をまたいで通る

    ★あらしの闇を見つめるわが眼が灯もる

    ★海のあけくれのなんにもない部屋

    ★夕べひよいと出た一本足の雀よ

    たばこが消えて居る淋しさをなげすてる

    をだやかに流るる水の橋長々と

    ★蟻を殺す殺すつぎから出てくる

    ★雨の幾日かつづき雀と見てゐる

    ★血がにじむ手で泳ぎ出た草原

    苅田で鳥の顔をまぢかに見た

    障子しめきつて寂しさをみたす

    ぶつりと鼻緒が切れた暗の中なる

    栗が落ちる音を児と聞いて居る夜

    ★めつきり朝がつめたいお堂の戸をあける

    小さい火鉢でこの冬を越さうとする

    こんなよい月を一人で見て寝る

    夜中菊をぬすまれた土の穴ほつかりとある

    晩の煙りを出して居る古い窓だ

    ★上天気の顔一つ置いてお堂

    とまつた汽車の雨の窓なり

    ★鳥がだまつてとんで行つた

    病人よく寝て居る柱時計を巻く

    赤ン坊のなきごえがする小さい庭を掃いてる

    門をしめる大きな音さしてお寺が寝る

    ★あるものみな着てしまひ風邪ひいてゐる

    火ばしがそろはぬ儘の一冬なりけり

    師走の夜のつめたい寝床がひとつあるきり

    破れた靴がぱくぱく口あけて今日も晴れる

    落ち葉掃けばころころ木の実

    草刈りに出る裏木戸あいたままある

    ★がたびし戸をあけてをそい星空に出る

    片つ方の耳にないしよ話しに来る

    葬式のきものぬぐばたばたと日がくれる

    草刈りに出る裏木戸あいたままある

    かたびし戸をあけてをそい星空に出る

    低い戸口をくぐって出る残雪が堅い

    ★すたすた行く旅人らしく晩の店をしまふ

    ★夜中の襖遠くしめられたる

    ★落ち葉拾うて棄てて別れたきり

    こんな大きな石塔の下で死んでゐる

    あけた事がない扉の前で冬陽にあたつてゐる

    きたない下駄ぬいで法話の灯に遠く座る

    岩にはり付けた鰯がかはいて居る

    曇り日の儘に暮れ雀等も暮れる

    堅い大地となり這ふ虫もなし

    ★ぽつかり鉢植の枯木がぬけた

    ★底が抜けた杓で水を呑もうとした

    犬よちぎれる程度をふつてくれる

    松の葉をぬいて歯をせせる朝の道である

    月の出の船は皆砂浜にある

    ★鶴なく霜夜の障子ま白くて寝る

    ★人を待つ小さな座敷で海が見える

    背を汽車通る草引く顔あげず

    ★あたまをそつて帰る青梅たくさん落ちてる

    ★時計が動いて居る寺の荒れてゐる

    ★血豆をつぶさう松の葉がある

    ★考へ事をしてゐる田にしが歩いてゐる

    ★豆を水にふくらませて置く春ひと夜

    手作りの吹竹で火が起きて来る

    眼の前筍が出てゐる下駄をなほして居る

    ★豆を煮詰める自分の一日だつた

    ★雨のあくる日の柔らかな草をひいて居る

    ★蛙たくさんなかせ灯を消して寝る

    ★うつろの心に眼が二つあいてゐる

    ★小さい橋に来て荒れる海が見える

    ★淋しいからだから爪が伸び出す

    久しぶりのわが顔がうつる池に来てゐる

    ★何やら鍋に煮えて居る僧をたづねる

    筍ふみ折つて返事してゐる

    ★いつしかついて来た犬と浜辺に居る

    あらしのあとの馬鹿がさかなうりに来る

    ★蛍光らない堅くなつてゐる

    わが顔があつた小さい鏡買うてもどる

    ★とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた

    松かさも火にして豆が煮えた

    ★なん本もマツチの棒を消し海風に話す

    ★山に登れば淋しい村がみんな見える

    ★一匹の蚕をさがしてゐる夜中

    ★ぴつたりしめた穴だらけの障子である

    あけがたとろりとした時の夢であつたよ

    ★思ひもがけないところに出た道の秋草

    ★切られる花を病人見てゐる

    その手がいつ迄太鼓たたいてゐるのか

    ★夕立からりと晴れて大きな鯖をもらつた

    ★蜥蜴の切れた尾がはねてゐる太陽

    道を教えてくれる煙管から煙が出てゐる

    迷つて来たまんまの犬でゐる


    山の芋堀りに行くスツトコ被り

    ★あらしがすつかり青空にしてしまつた

    ★火の無い火鉢が見えて居る寝床だ

    ★一つ二つ蛍見てたづぬる家

    ★入れものが無い両手で受ける

    ★口あけぬ蜆死んでゐる

    汽車が走る山火事

    なんと丸い月が出たよ窓

    ★ゆうべ底が抜けた柄杓で朝

    自分が通っただけの冬ざれの石橋

    ひどい風だどこまでも青空

    大根ぬきに行く畠山にある

    風吹きくたびれて居る青草

    とつぷり暮れて足を洗って居る

    働きに行く人ばかりの電車

    ★墓のうらに廻る

    山風山を下りるとす

    ★舟をからつぽにして上つてしまつた

    ★雨の中泥手を洗ふ

    ★枯枝ほきほき折るによし

    ★窓まで這つて来た顔出して青草

    ★霜とけ鳥光る

    ★障子に近く蘆枯るる風音

    ★やせたからだを窓に置き船の汽船

    春の山のうしろから煙が出だした

    ★其の儘はだしになつて庭の草ひきに下りる

    ★瓜の土を掘つてから寝てしまう

    鳥がひよいひよいとんで春の日暮れず

    ★吹けど音せぬ尺八の穴が並んで居る

    冷え切つた番茶の出がしらで話そう

    ★たぎる湯の釜のふたをとつてやる

    洗いものがまだ一つ残つて居つたは

    ★はつかしさうな鶯遠くへ逃げてはなく

    砂山下りて海へ行く人消えたる

    ★落葉ふんで来る音が犬であつた

    筍くるくるむいてはだかにしてやる

    蛙が手足を張り切て死んでゐる

    ★ささつたとげを一人でぬかねばならぬ

    ★天井のふし穴が一日わたしを覗いてゐる

    ★障子の穴をさがして煙草の煙が出て行つた

    ★死ぬ事を忘れ月の舟漕いで居る

    ★屋根の棟に雀が並ぶあちこちむく

    低い土塀から首が一つ出た

    舟が矢のように沖へ消えてしまつた

    こつそり蚊がさして行つたひつそり

    ★だまりこんで居る朝から蚊がさしに来る

    切り張りして居る庵の障子が痩せていること

    お粥ふつふつ煮える音の寝床に居る

    爪切る音が薬瓶にあたつた

    ★ごそごそ寝床の穴に入っておしまひ

    ★立ち寄れば墓にわがかげうつり

    蟹が顔出す顔出す引潮の石垣

    ★死んだ真似した虫が歩き出した

    ★のびあがつて見る海が広々見える

    ★はらりと落葉つながれた猿が見てゐる

    ★咳して出る寒ん空

    ★奥から奥から山が顔出す

    風よ俺を呼んで居るな風よ

    机の足が一本短かい

    噴水力のかぎりを登り詰める

    妻の下駄に足を入れて見る

    カチカチになつてゐる蛙の死骸だ

    吹けばとんでしまつた煙草の灰

    墓にもたれて居る背中がつめたい

    ★茶わんがこわれた音が窓から逃げた

    どつから夜中の風が入つて来るのか

    縁の下から猫が出て来た夜

  • 針の穴の青空に糸を通す

    日常の些細なことが、全然違った視点で見えてくる。
    そしてなんとも言えない哀愁が胸をつく。
    だけども頑張りすぎない精一杯を感じる。

    ふとしたさみしさを感じた時に開きたい一冊。

  • 13.4.27読了。味のある短編集の章タイトルになりそうな、ちょっと力の抜けた句が多くて面白い。高校のころから読みたかったものがやっと読めた。

  • 叱ればすぐ泣く子だ。

  • すごく笑った。寂しさとユーモアのてんさい。

    自由律以前、自由律後、句稿より、入庵雑記(エッセイ)という編成。

    一番気に入った句を書いておく。

    「たばこが消えて居る淋しさをなげすてる」

  • 浦野所有
    →11/08/21 佐藤(貴)さんレンタル

    浦野レビュー - - - - - - - - - - - - - - -
    五七五の音数にも、季語・季題にもとらわれない自由律俳句。その初期の俳人が尾崎放哉(ほうさい)。大正の人です。

    東京帝国大学を卒業し、生命保険会社に勤務した超エリートでありながら、赴任先の満州で体調を崩し、辞職。その後は寺男となり、各地のお寺で雑用をしながら暮らしました。大正15年、瀬戸内海の小豆島の寺で逝去。享年41。

    最も有名な句が「咳をしても一人」。
    あとは、「いれものがない両手でうける」「墓のうらに廻る」なんかも有名で、中学・高校の国語の授業で習った方もいると思います。

    代表句のほとんどは、最後の3年間で詠まれました。そのせいなんでしょうか、日常を扱っていながら、人生の終末を予感させる不思議な影があり、哀愁ただよう句が多いように思います。日常風景を詠んだ句の、あまりにも何気なさすぎる雰囲気が、かえって哀愁を誘うのかもしれません。

    アノ婆さんがまだ生きて居たお盆の墓道

    二階から下りて来てひるめしにする

    寒ン空シヤツポがほしいな

    放哉の世界に身をゆだねれば、きっと日常風景もちがって見えると思います。本の会のベストセラーにしたい1冊。

  • 125年前の1885年1月20日鳥取県に生まれた自由律俳句の俳人。種田山頭火と並ぶ2大巨人。

  •   病いへずうつ/\として春くるゝ
      象に乗て小さき月に歩りきけり
      月いよいよあかるきに物思ひをる
      一日物云はず蝶の影さす
      うそをついたような昼の月がある
      師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり
      ころりと横になる今日が終わって居る

    尾崎放哉という名前に出会うまで、随分と待っていたような気がする。行く先の解らない切符を頼りに、汽車の来るのをじっと待っていたような思いがある。その名前との出会いは、ただ単にこの風変わりな俳人の句集に偶然出会ったというようなものではない。自分の右手にはずっと「咳をしても一人」と書かれた切符が握られていたのだから。

    その言葉は、小学校の国語の教科書に小さな字で書かれていた。それ以来、誰の詩なのかも解らないまま(まさか俳句とは思っていなかった)、どこで出会えるのかも解らないまま、30年以上待って来た。その出所を確かめたことはなかったけれども、その言葉の輝きが忘れられず、ずっと待っていたのだ。そしてようやく辿り着いた。それは想像以上だった。

    どの句にも静止したような風景がある。その静止の瞬間の感慨のようなものが満ちている。動きがない、というわけではない。動きはむしろ「あった」のだと解る。動きを止める瞬間が切り取られているのである。心はむしろまだ慣性で動こうとしているのに、身体がぴたりと止まってしまって、もうどこへも行くことができない、という風情なのだ。

    月、虫、花、木、海、風。放哉の句には繰り返し繰り返し同じような言葉があらわれる。小豆島の庵にあって、もうどこへも行こうとしない視線。見えているものも、当然、日々同じである。それでも放哉には、日々相も変わらない風景の中に登場するものに、新たに心を動かされている自分がいることが見えている。それ故に深まる寂寥感。一句一句からもその、しん、とした暮らしぶりは伝わってくるが、こうして同じような情景を切り取った句が繰り返されるのを目の当たりにすると、よりその孤独感が募るのである。

    しかし、それをすっぱりと断ち切ったような印象。達観、というイメージが浮かぶ。しかしかと言って、放哉の中に何も思いがないという訳ではない。逆に様々な思いが渦巻いているからこその断ち切りなのだと思う。そこから、それはくどくどと言うべきことではない、己一人の胸に収めておけばよいことなのだ、という放哉の気概が聞こえてきそうである。心が洗われるというのはまさにこういう体験のことだな、と考えさせられた。

      言ふ事があまり多くてだまって居る

  • 俳句だけの本なんて、
    一生よむことはないだろうと思っていたけど、

    この人の俳句は自由律で本気で素敵。

    俳句だけ見ていると、どんだけやんちゃな人だーとか思っていたのですが、
    お寺で修行したときに作っていたものもあり、
    その背景を考えると、また違った味わい。

    続けて二回読んでしまった。

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