ヴェニスに死す (岩波文庫 赤 434-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003243411

作品紹介・あらすじ

旅先のヴェニスで出会った、ギリシャ美を象徴するような端麗無比な姿の美少年。その少年に心奪われた初老の作家アッシェンバッハは、美に知性を眩惑され、遂には死へと突き進んでゆく。神話と比喩に満ちた悪夢のような世界を冷徹な筆致で構築し、永遠と神泌の存在さえ垣間見させるマンの傑作。

感想・レビュー・書評

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  • トーマス・マンの傑作文学ですね。
    訳者は実吉さん。岩波の名訳です。1939年初版なので当時の学生さんが喜びそうな格調高い語句や語彙で構成されていますから、今読むとなかなか骨がおれますが馴染みやすい文章なので意外と読み進めますよ。
    もう何回も読んでいますが、久し振りにページを捲ってみました。
    喜劇かと思ったら悲劇だった。で思い付きました。
    芸術と実生活、哲学とリアリズムの融合を目指した作品ですね。
    主人公の作家が創作活動を投げ出してヴェニスに遊興に出て享楽に浸ろうとすると…。
    ともあれトーマス・マンは面白い作品作りの天才ですね。

  • トーマス・マンの代表作のひとつ。ヴィスコンティ監督の映画が有名。ヴェネツィアの映像美、初老の作家と美少年。

    映画は未視聴なので目で映像を見たわけではないにもかかわらず、心に鮮烈な映像が浮かんでいつまでも残るような、強い印象を受ける作品だった。『トニオ・クレエゲル』のときからマンの作品には同性愛的な傾向がみられるが、本作の憧憬の対象が少女ではなく少年なのは、性的なものを省いた、より精神的な、より純粋な、美の極致とでもいえるものを表現するためなのではないかと思った。それほど芸術性を感じるタイトル。理性であれこれ考えるよりも、心で感じるところが多かった。実在のモデルがいたのは驚き。

  • ドイツの小説はとても読みにくいものが多いと思います。これも読み進むのがしんどかった。

    ドイツの有名な作家が旅行中のヴェネツィアで出会ったポーランドの少年に夢中になってしまう物語。

    最初はアイドルやアスリートの「おっかけ」みたいだなと思った。ただ「おっかけ」は彼等独自のコミュニティもあって、何より「私はあなたが好きです」と言う思いを素直に伝える。相手に自分の存在をアピールもする。

    おっかけ自体はあまり上品な行為ではないが、これは人として自然な感情だと思う。
    人が人を好きになる→相手の事をより知りたくなる→近づく→自分の事を知ってもらいたくなる。とても自然な流れだと思う。

    ところが、この作家はただ遠くで眺めているだけで、決して近寄りはしない。自分の存在をアピールしたりもしない。プライドが高く、自分が十代の未成年に惹かれている事で、何かしら後ろめたい気持でいるのかもしれない。

    おっかけと言うよりストーカーのようで不健全、気味が悪い。これは愛なんてものではない。

    最近小耳に挟んだ情報によると、福沢諭吉が英語のloveを日本語に置き換える時に漢字の愛を使った。今でこそ、愛とloveは同義語だけど、もともと愛の意味は「強く執着を持つ」事だったらしい。その意味では、これは正に愛の物語だと思う。

    私は同性愛を否定しない。老いた者が若い者に恋する事も悪いとは思わない。そこに慈愛や敬愛の感情があれば、一筋の美しさは醸し出されると思う。でも、この作家にはそれがない。物凄く身勝手な感情だと思う。

    芸術の事は私はよくわからないけれど、芸術を作る工程は案外エゴイスティックな作業なのかもしれない。なんて思った。

  • 深過ぎる恋に落ちたもの者は破滅に向う、ということを悟らされる物語があると聞いて、手にとって読んでみた。
    初老の男が旅先で、美少年に恋をする。厳格だった男は、少年に直面すると自分の老いた肉体がたまらなくいやになり、ついつい化粧までするようになるほど、乙女っぷりを発揮。美しさに憧れを抱き、見ているだけしかできず、エスカレートしてストーカー化してしまう。
    恋と情熱が、滑稽で悲惨なものになってしまう物語。
    1913年にドイツで書かれ、1960年に訳されたものなので、私の世代では聞き慣れない言葉、堅苦しい漢字が多く登場する。こんな日本語があるのかと、ひとつひとつ辞書で調べて読み進めていくのも勉強になった。
    狂気なほど究極で、だけど至福の恋の旅に連れていかれる。苦しくて辛い恋をしているひとと、神秘的な恋に陶酔したいひとにオススメしたい本。

  • 美や芸術についての考察がほとんど。
    展開が少なく結構しんどい。
    中編にありがちな尻切れ感が否めない作品。

  • ヴェニスで出会った美少年に恋し、破滅する老いた作家の物語。文章の美しさに酔わされる。
    彼の美への憧れは古代ギリシャ的だ。しかし、そういう感情はやはり普遍的なんだなと思う。猛烈に好きになった人をただ遠くから見つめるときの気持ち。
    理想を追い求めるプラトン的な愛と、そのさなかにある人間の生々しい感情が描かれているという気がする。

  • ヴェネツィアの淡い情景が綺麗だった
    おじさんの恋も淡かったし最期も淡かった
    フラグの立ち方がおじさんらしくてすごく悲しかった
    ストーカーっぽいのはちょっとキモかった

  • 2022/06/20 読了
    #読書記録
    #rv読書記録

    初老の作家が、美に知性を眩惑され、遂には死に突き進んでしまう話。
    一見、放埓的な情に堕ちていくだけの物語に見えるが、そこには美、あるいは芸術に対するある種の神話性、その果てが描かれているのだろうか。。

    人は素晴らしい芸術を見ると、生よりむしろ死を想起するとはいうけれど、この作品も美と死を纏うそんな物語になっているんじゃなかろうか。

  • 星10くらいにしたい。
    アッシェンバッハという初老の作家は、これまで安逸や怠慢による安い快楽を拒絶し、芸術に身を捧げて作品を生み出し、国民からも尊敬され、五十の誕生日には貴族の身分まで手にした。ある日、労作の疲れから散歩に出かけた時に、異国風の少年を見たことから、旅行欲に駆られヴェニスへと赴く。そこでタッジオという眉目秀麗な少年に取り憑かれるように恋をして、アッシェンバッハは死への道を進むことになる。
    初めてトーマス・マンに触れた。凄まじい作品であった。実直に毅然とした態度で芸術に打ち込みたい自身と、それを打ち壊しかねない誘惑に満ち、平俗で日和見な生活への眼差しの対立。これがおそらくこの作品のテーマである。五章に分かれていて、第二章が抽象性を伴うとても哲学的な内容で読解に困難を要するが、ここでこの主人公である作家の精神や芸術の真髄に触れていて、後の章に大きく関わる故に蔑ろにはできない。私は特に「道徳」という言葉が重要であると感じた。アッシェンバッハは格式のある家庭で生まれて芸術家になったために規律を重んじる性格である。作品を創るにあたり一切の妥協を許さない。しかし彼の本性がそうであるというわけではないのが肝で、彼は自制により誘惑を抑制し、「堪え通す」ということができるという「道徳」的な人格である。彼がこういう人物であるからこそ、文学という芸術を通して市井の人々から信頼と尊敬を得た。そして彼はもっともふかい認識のかなたにある、道徳的果断の可能性を支持者へ示してきた。道徳的果断とは一体何かというと、人の奈落への没落を許しかねない理由、言わば情状酌量を一切否定し、奈落への共感を許さない勇敢さを指すのではないか。この姿勢こそ彼の芸術家としての成功の理由であり、同時に瓦解の元でもあったのである。何故なら芸術をもって奈落から遠ざかり、精神の冒険に身を投じることは、道徳的簡易化を招き、精神の極限の唯一な美に行きつくことであるからである。そして「美とは、我々が感覚的にうけとり得る、間隔的に耐え得る、精神的なものの唯一の形態」(92ページ)なのである。奈落を避ける道には、「美」がもたらす陶酔や欲情との同伴は忌避できない。結果として奈落へ進む。アイシェンバッハはこの自己撞着のようなものに陥ってしまったのであろう。この小説の顛末は、第二章が大きな伏線となっていた。そして理解し難いこの章は全部を通して読了すると理解が追いついていく。この一回置き去りにして救いあげる技巧は狙ったかどうかはわからないが、私は驚愕してしまった。
    では何故、序盤にアッシェンバッハは旅行欲に駆られたのか。それは作中示されている通り闘争からの逃走であろう。この原因は第一章で語られる「生動する気分の標識」や「若々しく渇した欲望」がなくなっている恐れから来るものである。世間から見た彼は成功した芸術家であっても、本人は満たされていない。これは正に若い頃に行えなかった青春が燃え盛っているように思えた。彼は円熟期になっていくと同時に文体にも変化が起こり、端的で均整なものになっていったという。彼の中で、この一種の自身の安寧のようなものが、彼の貪欲の行き場を失わせてしまったことから旅行を求めたのではないか。そして芸術家としての境地を、次の何かに見出したい一心でヴェニスに向かったのではないか。
    そして赴いたヴェニスという町は、アッシェンバッハの精神を具現化したような町であり、幻想的で平穏をもたらす裏で、不快な熱風が吹き、コレラが蔓延する。この町全体が、恍惚と不安に踊らされるこの芸術家のために設置された舞台の役割になっているように私には思えた。
    この作品の文体もこの世界観を形成する手助けを大いにしている。ギリシャ神話やプラトン哲学を用いた、壮大で寓話や象徴のような比喩が使われ、ユートピアのようでディストピアのようであり、表紙の言葉を借りるなら神話的な世界が創られていた。芸術家の苦悩と倒錯した恋慕は、我々からしたらあまりに非現実であり、作品に生々しさや猥褻な様子を一切思わせない。正に精神の冒険として読むことができる。人間の精神や情念の表現の極北を既に知ってしまったような気がしてしまう。偶然にも今読んでいる三島由紀夫の『文章読本』で、抽象概念の描写は西洋から始まり日本には存在しなかったと記されていたが、正にこのような作品を指すのではないかと感じた。本当に素晴らしかった。

  • 2021/8/10

    ギリシア彫刻的な、中性的な顔立ちが持つ美しさは僕もよく分かる。映画版のタージュ役を演じるビュルン・アンドレセンのまぁなんと美しいことか。レオナルド・ダ・ヴィンチが絶えず描き続けた中性的な人物のそれである。(レオナルド自身もゲイで、中性的な男性を好んでいたらしい) 彼の描く洗礼者ヨハネは、この世で指折りの美しさを放っている。

    ところで、いかにもドイツらしい観念論に執着するアッシェンバッハが南国ヴェネツィアで官能的な美に目覚めていく(「奈落」に落ちていく)が、この構造はマンの『トニオ・クレエゲル』に似ている。

    トニオは気難しいドイツ出身の父と、自由奔放なイタリア出身の母との間に生まれるが、彼はその相剋に苦しむ。これはドイツ出身のアッシェンバッハがイタリアに赴き、官能という自由を手にするという構造と全く同じである。

    それは狭間にいることの苦しみ、そして解放されたときの喜びはマン自身も感じていたのだろうと想像する。

    とかく、本作は小説の仮面を被った芸術論と言っても過言ではなく、個人的にかなり好みの作品だった。

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