ペドロ・パラモ (岩波文庫)

  • 岩波書店
3.92
  • (71)
  • (42)
  • (66)
  • (9)
  • (1)
本棚登録 : 782
感想 : 87
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003279113

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 顔も知らない父親、ペドロ・パラモを探しに来たファン・プレシアドがたどり着いたのは生者と死者の交わる町だった。町をさ迷ううちにファン・プレシアドも息絶え、墓の中で死者たちは囁き続ける。
    ペドロは冷酷な地主だった。町は発展するが、ペドロが唯一欲したのは、幼馴染のスサナだけだった。30年ぶりに再会したスサナは精神に異常をきたし、父親とは近親相姦にあった。スサナを手に入れたペドロだが、二人はまともに言葉を交わすことも出来ない。スサナの死後ペドロは町を荒むに任せる。数年後、ペドロの私生児の一人がペドロを殺す。ペドロは乾いた石の様に大地に倒れ、その数年後、ファン・プレシアドがペドロを探しに町へやってくる…
    ===

    文学の凄さが伝わってくる傑作です。過去と現在が交わり死者と生者が語らう幻想的な筆運びの中にメキシコ社会が見えてくる作品。作者のルルフォはメキシコ革命の混乱で土地と家族を焼かれ、生涯2冊の本しか残していませんが、その2冊をして史上最高の作家。

  • 初読は高校の課題図書。

    メキシコの片田舎、父を探して主人公がたどり着いたのは死者の町だった・・・といった話なのだがストーリーは当時全く意味不明。ただ、砂ぼこり舞う真っ白な道、陽炎に揺れる怪しげな街、という描写は異様に頭に刷り込まれている。
    「燃える平原」にひっくり返り再読。

    2017年12月14日付The Economistによると、魔術的リアリズムの元祖でもあるルルフォは、実はフォークナーの影響を受けているらしい。あれだけ土俗的なラテン・アメリカ文学が北米の作家の系譜に連なるのも意外と言えば意外。

    “The reader gradually realises that all the novel’s characters are dead. It is modern because it frames a reality rather than merely describing it, and because time in it is simultaneous, not sequential, as Carlos Fuentes, a later Mexican writer, noted.”(記事より引用)。

    物語の中で時間は順を追っては流れない、同時に生起する。まさに最も”modern”なことをこの作家はやっていたということだ。

  • 面白かった!!読み終わってすぐに、もう1回最初から読み直してしまいました。全貌を知ってから読み直すと、なるほどこの人物が言っていたのはそういうことか、とわかるところがたくさんあります。

    母親が死ぬ間際に言い残した父親の名前(ペドロ・パラモ)だけを頼りに母の故郷へ父に会いに出かけた青年フアン・プレシアド。しかし彼が出会う人、出会う人、常に次にあった人物から「○○はとうに死んでるよ」と聞かされ(怖すぎる!)、どうやら彼の訪れた父の街は亡霊ばかりが住む死者の街と化してるらしい。馬の亡霊まで走り回ってるし、誰が生きてて誰が死んでるのかわからずちょっとノイローゼ気味になってきちゃったフアンくん、ついにうっかり自分自身も死んでしまい、気づいたときには土の中というびっくり展開。それでも一緒に埋められたドロテア婆さんとおしゃべりしたり、他の死者たちの独り言を聞いたりしながら、少しづつ父親ペドロ・パラモについて知っていきます。

    このフアンの旅を主軸にしつつも、ペドロ・パラモ自身の回想や、別の人物のエピソード(時間軸ばらばら)がランダムに挿入されるので、いっそう世界はシュールなことに。だんだんわかってくる稀代の悪党ペドロ・パラモのさまざまな悪行と、フアンの母との結婚の経緯や、別の女性に産ませた息子の死、そして、そんな悪党のペドロがただ一人愛した初恋の女性スサナとの報われない一方通行の恋。そしてペドロを殺したのは・・・

    この独特の死生観、なんともラテンアメリカらしく独特だなあと思います。ばらばらの断片から全体を組み立てる面白さもあり、それぞれのキャラクター(死者たち)の言い分も共感できたり滑稽だったりとんでもなかったりで悪党も憎めない。作者は寡作だったようですが、これ1作でガルシア=マルケスと並び称される理由も納得。何度でも読み返したい傑作でした。

  • 奥深い、底知れぬ物語。
    死んだ男をめぐる噂話が、死んだ人間たちの間で語られ、死んだペドロ・パラモの人物像がうすぼんやりと形作られていく。伝え聞きの集合体として物語が建設されており、それらを細胞に、町の盛衰が語られる。鮮やかな小説。
    ガルシア=マルケスに「百年の孤独」を書かせた小説という、ある意味で究極の評価を得ているようだが、そういう文学史的注釈を抜きにして面白い。

  • 渇望の書をやっと読めた。ばらばらのパズルのピースを戸惑い弄びながら埋めていくと突然ハッと視界が開ける瞬間が訪れる。濃密に生と死が混濁し、時空は歪められ、終わりのない物語の渦の中に閉じ込められる。遠心力の外壁に囚われた閉塞だ。土地に縛られ幾筋もの血を大地に染み込ませ、死者たちがささめきとなって甦る。幽玄な死者の世界に荒くれどもの闊達で活き活きとした会話が谺する。この瑞々しい生気と崩れ腐りゆく肉体とのアンバランスなコントラストが眩く美しい。再読してもっともっと奥行きを探りたい。

  • 何度読んでも心が震える。この物語が終わってしまうのがもったいなくて、ゆーっくり、ゆーっくり読む。訳も素晴らしいと思います。映画化されているそうですが、この世界をどのように映像化しているのかという興味はあるものの、こわくて観られません(恐怖ではなく)。

  • 文体と物語、過去と未来、生と死、全てが渾然一体となっている。独特の読み味に病みつきになって、いつまでもコマラから出たくなってしまう恐れがあるので注意。

  • 驚きどころ、ツッコミどころ満載だった。
    「え、死んでるの?」
    「え、語り手も死ぬの?」
    「え、これって政治小説なの?」
    「え、あなたは生きてるの、死んでるの?」

  • ささ‐めき【私=語】
    ささめくこと。ひそひそ話。ささやき。また、男女のむつごと。
    「貴妃の―、再び唐帝の思ひにかへる」〈海道記〉

    初めてこんな言葉を知ったが、これほど的確にこの小説を表す一言はない。
    ささやく。ひそめく。
    まずは翻訳の文体の素晴らしさ、語のセレクトの素晴らしさ。
    少ない文字数から滾々と湧く抒情。

    次に構成のしかけ。
    ただシャッフルしているのではない、ひとつの言説が連想を呼び過去を掘り起し広がり深くなる。

    最後に語られる内容。
    極悪な奴なのにスサナへの思いが、たまらなく切ない。
    すべてを手に入れようとしてそれだけ手に入らず。

    これだけの男の行き詰まりは街の行き詰まりを呼び廃墟へ。

    cf 中上の浜村龍造

  • 死者が埋葬され土と石に帰るのなら、私たちは堆積した死者の上に生きているのではないか。彼らの記憶も積み重なり、それは時間の進行という枠組みを超えて断片的に交差する。本書が南米文学の起源であると同時に到達点だと言えるのは、決して循環する構造が故だけではない。土地と血縁、そして革命と血生臭いモチーフが用いられているのにも関わらず、それらが全て断片的な構成として提示されるからこそ幻想的な魅力を帯びてくる。死者の記憶に耳を傾け続けることが生者の努めだとするならば、本書はまるでレクイエムそのものなのだと言えるだろう。

    (2013/10/08追記)
    再読。積み重なる死者の記憶が印象的な故に初読時はレクイエムの様だと感じたが、実際に死の瞬間というのは驚くほど描かれない。「気分じゃないよ、アナ。人間が悪いんだ」言葉は簡潔かつ明瞭なのに、時にドスを効かせて読者を刺しにかかっている。荒地の寂寥感に潜んでいたのは、生きる事にも死ぬ事にも興味はないとでも言いたげな虚無感であった、死者が集う街・コマラは地獄の釜から浮かび上がる蜃気楼か、それとも登る事の叶わぬ煉獄の丘か―否、どうでもよいのだ、そんなことは。最も緻密に作り上げられた、生きることそのものに対する暴力。

フアン・ルルフォの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ウンベルト エー...
三島由紀夫
フリオ リャマサ...
ウラジーミル ナ...
ヴィクトル ペレ...
ガブリエル・ガル...
イタロ カルヴィ...
アルフレッド ベ...
ポール・オースタ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×