- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003313879
感想・レビュー・書評
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方言の広がりを観察することで、国語のありかたを考え、国語教育の参考とする点は非常に納得できた。
なかでも、「言葉は歳をとる。」というのが新しく、はたとさせられた。
が、この本、なかなかの曲者でした。
内容に執念を感じるし、ありがたい内容でなのだけど、論文の古典版のよう。読むに辛くまとまりがない。「校長先生のお話」のように感じた。 -
大学時代、授業で方言周圏論についてやった時に先生がこの本について言及していて、いずれ読んでみようと思っていた1冊。
購入してから何度か読み始めては積んで、を繰り返していたが今回ようやく読み終えることができた。
方言周圏論についてもっと知りたいと思って読み始めたけれど、詳しく書かれているどころか方言周圏論という言葉すら本文中にはなくてちょっと期待外れだった。
解説には、初めて方言周圏論について言及した本だけれど「方言周圏論」という言葉は使われていない、というようなことが書かれていたから見落としたわけでもない模様。
少し物足りなさはあるけれど、この本を読まなかったら「かたつむり」にこれ程たくさんの方言があるだなんて思いもしなかったので、読んで良かったとは思う。 -
蝸牛に焦点を当て、方言の移り変わりと地域差から国語を紐解こうとした
柳田国男の著書です。
改訂版の序で述べているところを見ると、
方言周圏説を説くために書かれた本ではありません。
古来の日本を推察するため、方言(特に蝸牛)に焦点を当てて考察を行ったものです。
インターネットが普及している現在からはなかなか考えの及ばない、
口頭による言語の波及を見ることが出来る本でした。
今でさえ、住んでいる場所によって名称が違うことは多々あります。
私の周囲では幼少期における手遊びの名称の違いが話題に上りました。
蝸牛に限らず、日常の中のちょっとした差異を手繰っていくことが
とても面白く感じられる様になった本でした。 -
遠く離れた東北と九州に同じ方言があることの理由を、京の都に生まれた言葉が水面の波紋が広がるように同心円状に波及したため古い言葉ほど京都から離れたところに方言として残っているという「方言周圏論」が書かれた本です。
(もっとも改定版ですので柳田自身が、当たり前のことで法則でも何でもないと書いています)
でもって、言葉だけでなく文化も同じで、地方の民俗を研究することは古い文化を知ることで重要だと。
方言周圏論はいまだに「どや顔」で語られたり蝸牛(かたつむり、でんでんむし、マイマイ)以外の言葉を使ってTV番組になったりしますね。
いまでしたらインターネットを使ってYahoo!知恵袋とかで呼びかければ一晩で集まってしまう情報も柳田の当時は新幹線もありませんし、さぞ大変だったことと思いながら読みました。
方言周圏論を超える面白い原則論が語られるわけではないのでちょっと肩透かしをくらった読後感でした。 -
日本語の面白さを教えてくれる本。
ただの「かたつむり」がこんなに面白いなんて読むまで考えられなかった! -
読んでいて蝸牛を「ツンデレ」とか「ツンツンデレデレ」とか呼ぶ地方もあるかと思ったがないようだ。
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扱っているのが方言なので音源が欲しいと思うのは欲張りだけれど「蝸牛」という、たったひとつの物を表す単語の方言だけでここまで話が広がるのはやはり面白く、ワクワクします。あくまでこれはほんの一例であり、言葉の伝播・変化に関してこの考察を全てに当てはめる事はできないし、してはいけないのは著者の言うとおり。昭和初期だからこそ、ギリギリ間に合った研究といえるかもしれません。今やっても、ここまでの成果は得られないはず。人の感性によって生まれ、人々の感覚によって変化し、消えていく。やはり言葉は生きた道具だと感じました。
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買い直し。
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この本は課題図書で読ませていただきました。
まず、日本語が難しくなかなか前に進まず悪戦苦闘しながら読みました。
この本を読み終わって、私の考えたかたことは
よく、日本語離れとか、乱れている日本語など言いますが、この現象は言語として変化の途中で、言語というものは常に変化していくモノで一概にはそうは言えないのではないか。
と考えました。 -
「かたつむり」を示す日本中のさまざまな方言(「デデムシ」「マイマイ」「ツブリ」etc.)をめぐる論考。
これはもはや民俗学というより言語学に属するべきテーマだが、1930年に出版された当時は、まだ日本の言語学はロクに稼働していなかったらしく、画期的なものだったようだ。
特に都市部では言葉はすぐに古びてしまい、新しい言葉に人びとが飛びつくことで、言語が変容していく、という柳田國男の考えは、言語学的に見てあまり正しくはないように思えるし、「かたつむり」をめぐる方言の分布図が京都を中心にした多層の円状をなす、という指摘は、一部の方言には妥当するが常に成り立つテーゼではないようだ。
しかし言語学者ではないフィールドワーカー・柳田國男がこのようなテーマで膨大な知見を生かして思考していく過程はやはりスリリングだ。
一方で、ここに挙げられた様々な方言が、現在いったい何パーセント残っているのだろうか、という心配も起こってくる。