- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003316429
感想・レビュー・書評
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宮本常一が幼少時代を過ごした大島の話。
「昨日までの世界」で出てくる「野蛮」世界のプラスの側面を数多く見ているような、そんな田舎暮らしの幸せな幼少時代。
これを全部一般的な農村社会の話に帰して、「昔はよかった」というのは短絡すぎるけど、
結婚と同時に夫の家に入って家を守る日本の女性の強さと愛情の深さを感じずにはいられない。
また、現代は「ムラ社会」という言葉は、イコール前近代的な悪しき意味でつかわれることがほとんどだけど、以下長いけど引用
「本来幸福とは単に産をなし名を残すことではなかった。祖先の祭祀をあつくし、祖先の意志を帯し、村民一同が同様の生活と感情に生きて孤独を感じない事である。われわれの周囲には生活と感情を一にする多くの仲間がいるということの自覚はそのものをして何よりも心安からしめたんである。そして喜びを分かち、楽しみをともにする大勢のあることによって、その生活感情は豊かになった。悲しみも心安さを持ち、苦しみの中にも絶望を感ぜしめなかったのは集団の生活のおかげであった。村の規約や多くの不文律な慣習は一見村の生活を甚だしく窮屈なものに思わせはするが、これに決して窮屈を感ぜず、頑なまでに長く守られたのはいわゆる頑迷や固陋からばかりではなかった。怡々としてこれが守り得られるものがそこにあった。それはこの感情的紐帯である。そしてその紐帯の習得が今まで縷々としてのべ来たったような方法によってなされたのである」
この「感情的紐帯による幸福感」は現代完全に失われたものだから、
よく現代人は「大勢の人に囲まれているけど孤独」なんて表現をされるのだろう。
また注目したいのは、この本を書いたのが1940年代だったということ。
70年前で既に消えつつある慣習、文化が多数あったのだから、現代では加速度的に消滅していったのだろう。
また、70年前にも関わらず、現代の問題点を予言するような指摘が数多くあることも興味深い。
大島がそうか知らないけど、最近流行のIターンの孤島ではどんな社会ができあがるのかな。
大量のメモ
・女だけは自分の守るべきことをだまって守っていた。世間が新しい方へ向っても、家の他の者が何一つ古いことを守ろうとしなくても、自分だけは家を大切にし、祖先の意志を子に伝えようとしていた。・・・・実はこのような母たちが野に満ちていたればこそわれわれの胸をうつ今次の戦の軍神を草莽の中に多く持ちえたのであると思う
・昔話の採集と同様にこのような話をも調査してみる要があるのではないか
・かくていったん手放した子供たちに対して、その理解とあきらめのよさの中に神明の加護が祈られていたのである。これはまた神明の加護が信じられていたからこそかくまでに切なる心をその加護に託して、自らはその不安もさびしさもかくして働いた。
・母には私たちの心がよくわかるばかりでなく、それ以上に祖父や父の気持がわかっている。そうしてこの土地にこもる先祖の魂に殉じようとしている・・・・・・全国の農村を歩いて、私はしばしば母同様な女親たちの姿をみた。無学であるとか、社会の表面に立ちえないからと言って、これを無知に帰してはならない
・そして村には年寄りと幼い孫たちが多く残されるようになるまで変わったのである。ヨバレゴトも減った。村も淋しくなった。
・教育の目的・・・・・・親たち、特に女親たちの犠牲に生きたものの中に含まれている意思―祖先の意志をつぎかつ家永続を願うもの、村を美しき協同に置こうとするもの―もまた何らかの形で学校も取り上げて子供たちにうけつぐようにしていただきたい
・「ショシャのよくないことはショウネがその仕事に入っていない証拠」
・土はあたたかいものだるとともに、また厳しいものであった「土の掟」
・子供は多く子守の背にくくりつけられて大きくなっていく
・遊びは楽しいものであったが、同時にそれが子供たちの大切な社会的な訓練になった
・こうした仲間がそれから後にもう一度顔を会わす時がある、それが徴兵検査である
・ドーシのような結合はずっとうすれてきた。・・・平生一緒に遊ぶ機会がへって各々がその机の前にばかり座りたがるようになった以外に、子供の仕事がめっきり減ったのである
・重い病人などあるときに「病気を治して下さったら相撲をあげます」と願を書ける。そしてよくなると行司をする人の家へたのむ
・省かれた方もたまらないから、村の相当に顔のきく人に頼んで詫びてもらう。そうすればたいてい許される
・出稼ぎの中には次男三男のものがたくさんいて、どういう人は大体に少し結婚が遅れたから
・言葉に置いても同様だった。部落ごとにみられる差は一種無形の手形ともいえる。我々は言葉によってそれが何村の人であるかを知ることができた
・公の場では標準語を使いつつも、一度村に入れば方言によらなければならなかったのは、一つには標準語で村里生活における細やかな感覚や感情の表現が十分にできないし、二つには標準語では形容詞が貧弱でその上表現が露骨になりやすかったから
・民衆は一方においては古いものにひきづられつつも、他方ではまた大きな犠牲を強いられつつぐんぐん自らを新しくしている
・苧績み 蔭膳 タノモシ 地狂言 宮の森詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
宮本常一『家郷の訓』(岩波文庫 岩波書店 1984年7月第一版発行)
※初版は『家郷の訓』(女性叢書 昭和18年)
※『宮本常一著作集』にも所収されている
もくじ
・私の家
・女中奉公
・年寄と孫
・臍繰りの行方
・母親の心
・夫と妻
・母親の躾
・父親の躾
・生育の祝い
・子供の遊び
・子供仲間
・若者組と娘仲間
・よき村人
・わたしのふるさと -
冒頭からの100頁めまではほとんど号泣しながら読んでいた。宮本常一による郷土と自分の育った経験を舞台にし、子供に対するしつけ方や如何に昔の子供が育てられたのか、家族や村という共同体が如何なるものだったかを非常に丁寧な文体で情景的に描かれている。
経済的に発展していく社会においては毛嫌いされた旧日本社会による共同体観念、しかし、宮本常一によって浮かび上がらせたその姿は正に情緒に溢れた素晴らしい社会と繋がりで、人間と人間が互いに共存する為に必要とする美しい社会構成だったのがよくわかる。
本書で表される一つ一つの情景が現代には喪失した姿であり、日本人の心に眠る情景だろう。 -
書かれたのは昭和18年。当時30代の著者が自分の子供時代から、父母祖父母さらにその昔までの村での生活を細かに書き留めています。
貧しくて不自由ではあったけれども、反面合理的だったと、昔ながらの伝統の失われていくことを残念がってはいるんですけども、「昔はよかった」「それにくらべて現在は…」とノスタルジックに走らないので虚心にうなずける気が。
厳しいルールはあっても、それを守ってさえいれば悩むことなく生きることができた。
…ってね、これを読んだからというだけではなく、最近いろいろ考えてしまいます。「個人」てそんなに大事なのかなーと。もちろん今さら捨てられるものではないですし、ムラ的な社会にはやっぱり抵抗も恐怖心もあるのですが、もしもそこで生まれてそれが当たり前の世界で育って死んでいけるなら、幸せなことなんじゃないのかな…とか。
「郷里を離れて暮らしていても、里に戻れば自分を迎えてくれる人がいると思えば、何があっても安心していられた」なんて聞くと違いを実感しもします。
なるほど根無し草育ちの人間には、確かに「ここ」しかない。
あと、この村の記録には貧しさと重労働はあるけども、飢えと寒さがないんですよね。この本と著者の方のおだやかな雰囲気にはそういう地勢的な条件も絶対あると思う。さすがは瀬戸内。
日本海側の寒村の記録絶対にもっと陰惨なものになったと思います。 -
「忘れられた日本人」みたいには読み進まない・・・。
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表題作を読むと、生まれ育ち生き死ぬことが貴重なことでかつ当たり前なことで親しみのもてることでとそういう実感が湧いてきます。