イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003318515

感想・レビュー・書評

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  • イスラーム文化を根元的に、統括的に、述べようとする良書。
    イスラーム文化と一口に言っても、多層的多面的であることがよくわかる。
    イスラームの大まかな概要を掴むのと同時に、ユダヤ教やキリスト教との相違点の理解も深まる。

  • 神(他なるもの)と隔てられていること自体が「罪」であって、修行によって自身を否定しなければいけない、というイスラム神秘守義の発想に惹かれた。恵まれた経歴を持ち、他者と隔てられることによって生じるある種の「加害」性や罪悪感、それをどう乗り越えればいいのか、ということについて近頃考え続けていたので。

  • イスラーム教に関する基本書。勿論日本のイスラム研究の初期に位置する学者であるため、イスラム世界の多様性や現代のイスラムへのまなざし等が踏まえられていないが、それをおしても、やはり本書はイスラム教という宗教の大枠を捉えるには格好の書籍。

  • 判りにくく思われがちなイスラーム文化の構造や考え方を、「宗教」「法と倫理」「内面への道」の各面から紹介する。平易だが決して上っ面の内容ではない。40年近く前の講演記録ながら、今のような時代こそ必要とされる本。

  • 1981年、第2次石油ショック、イラン革命、イラン・イラク戦争の衝撃がおさらないなか、一般の人を対象とした講演を本にしたもの。

    といっても時事的な話になるはずもなく、著者は、日本におけるイスラームがほとんど関心外であったことを指摘しつつ、その根源にあるイスラーム教の根本的な構造を明快に説明してくれる。

    さすがに当時よりは、現在日本での一般的なイスラーム理解は進んだんだろうと思うのだが、それでも、知らなかったことをたくさんあった。

    イスラーム文化というからには、やはりコーランが中心になって、それを絶対的な基準とするというところでの共通性がイスラーム社会にはあるのだが、その解釈の違いなどから、スンニ派とシーア派が分断していく内的な必然性がよくわかる。

    それは宗教思想的な対立で、もともとコーランに内在する2つの方向から生じるものではあるのだが、そこにイスラーム教以前のアラブ社会とペルシア社会の文化の違いが影響していそう。

    が、著者は、そうした対立まで含めて、ダイナミックな統合がイスラーム文化の特徴というふうに考えているみたい。

    本論に入る前に、異文化と遭遇したときの葛藤、そこから争いが生じるとともに、違う文化が統合され、新しい文化が生み出される可能性について話してあって、この辺の議論の先見性はすごいな〜と思う。

    個人的には、シーア派、そしてその中の神秘主義的なスーフィズムのあたりが、一番、面白かったな。

    その辺が著者の一番の専門分野だと思うので、もうちょっと、その辺を読んでみることにする。

  • 「イスラーム生誕」に続けて読んだ。これまたおもしろかった!
    シャリーアに依拠するスンニー派(アラブ)と、ハキーカに基づくシーア派(イラン)、そしてハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズムの3つについて述べられている。
    スンニー派とシーア派の違いについてよくわかった。かたや「外面への道」、かたや「内面への道」というまったく逆の道をたどるのだと。
    スンニー派もシーア派も、現世を悪と考えるところまでは同じだが、シーア派は悪いスンニー派のように悪い現世を良くしようとはせず、現世に背を向ける。隠者、世捨て人として長い修行の道を行く。これが自己否定の道であり、これを突き詰めていくと、まるでヒンドゥー教の「解脱」のように、「照明体験」(イシュラーク)に到達し、人間が神になってしまう。
    これに対して筆者はこう述べる。
    こうしてイスラームにおける「内面への道」はスーフィズムとともについに行き着くところまで行き着いたという感があります。これでもなお、「内面への道」はイスラームなのでありましょうか。(略)これほどまでに純化されたイスラームは、もうイスラーム自身の歴史的形態の否定スレスレのところまできているのであります。(P223)

  • 34071

  • 久々の岩波文庫
    ガッツリ

  • 第36回毎日出版文化賞

  • いやぁ、これまた滅茶苦茶面白かった

    スンニーとシーアとスーフィズムなんて、ろくな説明聞いたことなかったけども、凄くわかった

    例えば、
    スンニー派は、コーランに描かれる世界の後半期であるメディナ期の方向性に近く、感覚的で現実主義的なアラブ社会的感覚にのっとった考えで、イスラーム法を守ることを至上とし、いわゆる顕教的にコーランに対する。
    シーア派は、コーランの前半期のメッカ期的な感覚が強く、ゾロアスター教をルーツにもつ幻想的で神話的な世界観を持つイラン的なものであって、密教的にコーランに対する。ただ、密教的解釈ができるのは歴史的に承認されたイマームだけ。
    スーフィズムは、密教的だけど、シーア派よりも更にオープンというか、承認されたイマームでなく、修行をつむことでワリーという状態に、いわゆる解脱できる

    すげー雑に説明するとこうなる
    こんな言い方、誰もしてくれない

    コーランに描かれている世界は20年間の時間的広がりがあること、イラクなどのアラブ世界と、イランとには違いがあること
    それは砂漠の騎士道的世界と、ゾロアスター教的世界と

    無我を説いても、仏教とは確実に異なるのは、あくまでイスラムは絶対的一神教の一元論がベースだということ

    などなど

    やー面白かった

    次はついにコーラン行きます

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著者プロフィール

1914年、東京都生まれ。1949年、慶應義塾大学文学部で講義「言語学概論」を開始、他にもギリシャ語、ギリシャ哲学、ロシア文学などの授業を担当した。『アラビア思想史』『神秘哲学』や『コーラン』の翻訳、英文処女著作Language and Magic などを発表。
 1959年から海外に拠点を移しマギル大学やイラン王立哲学アカデミーで研究に従事、エラノス会議などで精力的に講演活動も行った。この時期は英文で研究書の執筆に専念し、God and Man in the Koran, The Concept of Belief in Islamic Theology, Sufism and Taoism などを刊行。
 1979年、日本に帰国してからは、日本語による著作や論文の執筆に勤しみ、『イスラーム文化』『意識と本質』などの代表作を発表した。93年、死去。『井筒俊彦全集』(全12巻、別巻1、2013年-2016年)。

「2019年 『スーフィズムと老荘思想 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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