旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

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  • 岩波書店
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  • / ISBN・EAN: 9784003380147

感想・レビュー・書評

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  • 再読。これは旧約のなかでは歴史でも律法でもなくすでにスピンオフ的な位置づけなのかな。内容はほぼ哲学問答なのだけど、神に対して反発するヨブの気持ちにとても共感するのでヨブ記は好き。

    以下大胆に現代的に(?)あらすじを説明すると・・・

    高学歴イケメン高収入のヤハ男さんが、あるとき妻ヨブ子のことを「俺のことめっちゃ信頼してて惚れてるんだよね」とのろけたところ、ライバルのサタ彦は「え、それって自分が金もってるからと違うん?無職やったら捨てられるって。試してみよか?」というわけで、ヨブ子は財産もペットも子供も全部奪われたのですが、それでもヤハ男さんラブの気持ちを捨てません。

    次にサタ彦は「いやいや、ゆうても健康やし元気やからね、病気になったらなんぼヨブ子でもヤハ男のこと恨むって。やってみよか?」そしてヨブ子は全身ひどい皮膚病に冒され寝たきりで苦しむことに。

    そこへ御見舞にやってきた3人の友人たち。どうしてこんな目に合うのかわからない、というヨブ子に「え~あんなに寛大なヤハ男さんが理由もなくこんなことするわけないやん。あんたがなんかやらかしたんちがうん?」と、労わるどころか余計に責めたてます。それでも自分には絶対に落ち度などないと言い張るヨブ子と「はあ?あんたちょっと調子乗ってるんちゃう?原罪あるんやから無実の人間なんかおらんやろ」と喧嘩腰になる友人たち(この喧嘩が本書のおもな内容)。

    最終的にヨブ子は「じゃかあしい、お前らとしゃべっても無駄じゃ、ヤハ男出てこんかい!」とぶちきれ、ようやく言い訳はじめるヤハ男。しかしこのくそ男「君の愛を試すようなことしてごめんね」と素直に謝るどころか、「お前わしがどんだけ偉いかわかってんの?」と自分の偉業を並べ立て「お前にこんなんできんの?わし全能の神やで?」と自慢しだす始末。でも素直なヨブ子は「こんなにえらくてすばらしいヤハ男さんのことを恨んだりしてごめんなさい。ヨブ子、悔い改めます」と反省。「わかったらええねん」で大団円。

    ・・・納得いかーん!!!私がヨブ子の友達だったら「そんなDV男とはすぐ別れるべき!!」ってアドバイスする。

    • yamaitsuさん
      mkt99さん

      はじめまして、コメントありがとうございます!
      長々と書き散らかしたふざけたレビューをお読みいただいてありがとうござい...
      mkt99さん

      はじめまして、コメントありがとうございます!
      長々と書き散らかしたふざけたレビューをお読みいただいてありがとうございます(^O^)
      真面目に感想を書くと本気で「神って何様!?」と憤ってしまいそうだったので、つい冗談に紛らせてしまいました(笑)

      ヨブ子に限らず敬虔だと褒め称えられる信者の方はみんなドMな気がしますよね。聖セバスチャンとか、聖ナントカ系の皆様・・・

      さんざんボコボコに殴っておいて「これでも俺が好きか!?」というDV神に「はい、好きです!」って、ほんとどれだけMなんでしょうか(@_@;)
      2016/09/28
    • 淳水堂さん
      こんにちは~私も混ぜてください~

      「ヨブは神への敬意を持ち続けたため、失ったもの以上のものを返されました♪」ってそうじゃないだろう~~...
      こんにちは~私も混ぜてください~

      「ヨブは神への敬意を持ち続けたため、失ったもの以上のものを返されました♪」ってそうじゃないだろう~~。
      ヨブを試すためだけに殺された最初の子供たちやシモベたちはただのとばっちりじゃないかorz
      「同じ数の子供たちがまた生まれたから、死んだ子供たちの事はもういいじゃん☆」ってそうじゃないだろう~ヽ(`Д´) ノ

      >聖セバスチャンとか、聖ナントカ系の皆様・・・
      キリスト教で聖人認定されるのって、酷い目なっても神への愛を忘れませんでした、って人も多いので、
      「酷い目にあったお詫びに聖列するよ」って考えなんでしょうかねえ。

      アラビアンナイトでは、
      「神に宝をもらったけれど、欲張ったら全部取り上げられちゃった。でも神にもらったものだから取り上げられてもしょうがないや☆」って割とあっさりしていた印象なので、
      宗教によって違うのね~って。
      2016/09/28
    • yamaitsuさん
      淳水堂さんこんにちわ~(^o^)/
      良かった、ヤハ男の仕打ちに納得いかない同志がここにもいたー!

      >「同じ数の子供たちがまた生まれた...
      淳水堂さんこんにちわ~(^o^)/
      良かった、ヤハ男の仕打ちに納得いかない同志がここにもいたー!

      >「同じ数の子供たちがまた生まれたから、死んだ子供たちの事はもういいじゃん☆」

      これほんと理解できないですよね!頭数の問題じゃないんだよ!個人の人格は無視かよ(怒)

      >「酷い目にあったお詫びに聖列するよ」って考えなんでしょうかねえ。

      ヤハ男って結局、死んだら昇進させてあげるけど(※地位は無料)、生きてるうちに高い給料やボーナスは払いたくない、ケチな経営者みたいなもんですよね・・・私は生きてるうちに報われたいです(笑)
      2016/09/29
  • 私は信仰をもたないので、文学作品として読んだ。ヨブが次第に苦難を受け入れ、神に反抗していく姿勢が現れ出す。

    「わが論敵の書いた訴状、
     わたしはそれをわが肩に背負い
     冠としてわがかしらにむすび
     わが歩みの数を彼に語り
     君侯たる者のように彼に近づこう。」

    このヨブの、自分の苦しみが纏わり付きながら、苦しみを自分の体にむしろ纏わり付かせながら、神に向かって進んでいく姿。
    これと、以前読んだシモーヌヴェイユの本で描写されていた、救いをもとめて魂の暗夜をもがきながら進む姿とが、重なった。

  • 『ヨブ記』は旧約聖書の中では『諸書』の一つに属し、作者は不詳とされている。ヨブは篤い信仰を持ち、義しき人として暮らしていたが、神は彼に次々と過酷な試練を与えた。財産を失い、家族も失い、ヨブ自身も酷い病に見舞われる。ヨブの元を訪れた3人の友人達も決して彼に優しくはない。深く苦悩するヨブだが、神への信仰は揺るぎなかった。何かを絶対的に信じることの強さと高潔さを書き記した本書は格調高い文学作品としても楽しめる1冊。

  • 信心深い者が最後には救われる話なら、私は神を信じない。自分を信じたいから。

    • りまのさん
      私は、素朴に、神社が好きで、よく神々に、祈りとお礼の言葉を唱えに行きます。小鳥や、蝶々や、トンボなど見れて楽しく、木々がたくさんあって、空気...
      私は、素朴に、神社が好きで、よく神々に、祈りとお礼の言葉を唱えに行きます。小鳥や、蝶々や、トンボなど見れて楽しく、木々がたくさんあって、空気が清々しく気持ちが良いです。 りまの
      2021/02/18
    • 白雨しろうさん
      そういう関わり方もあるんですね。素敵です。身近なものに神様を感じてみようかと、ちょっと新しい発見です。
      そういう関わり方もあるんですね。素敵です。身近なものに神様を感じてみようかと、ちょっと新しい発見です。
      2021/02/18
  • 読了
    新共同訳では読んでたので訳違いの再読
    古代オリエンタルなあらゆる世界は、旧約に影響してる、というか、影響の大きさからして、立地を思う
    新共同訳のがキャッチーなのは、偉いことだな、と、思いました
    サタンが固有名詞でなく、一般名詞だったころ
    内村鑑三とユングへ

  • 救わない神様の話。

    ヨブが信仰を試される話だが、思考実験的な趣がある。

    シーンは神様と悪魔的なのが話してるところから。
    神「やーヨブ君はなかなかの信心者だよ」
    悪魔的「いいえ、彼は恵まれてるからですよ。災難に遭えば、神を呪いもするでしょうよ」
    神「ほー、そういうならやってみなよ」

    ヨブ君、かわいそう。

    大量の家畜は別の部族に奪われたり
    火事で燃えてしまい、
    使用人も同じく殺される。
    また、大嵐によって家は潰れて子供たちはほとんど死んでしまう。

    さらに本人も病気にさせられる。

    ここに至ってもヨブは神に恨み言を言うことはなかった。

    ただ、友達が来てくれるんだけど、こいつらがまたひどい。

    おおむね
    「君がこんなにひどい目に遭うのはなんかやましい事があるはずだ。」
    みたいなノリで割と血も涙もない。

    そいつらと討論するパートがあって、
    それが終わると後半は神との対話パート。
    よくもまぁぬけぬけと出てくるもんです。

    最終的に神様は名誉と財産の回復をしてくれますが、
    それならなおさら、あの最初の
    飲んだ勢いの賭け事みたいな仕打ちの理不尽さが際立ちます。

    ただ、ここにある傾向のいくつかは文化の基底にあるものとして興味深い。

    ・財産のうちに子孫が含まれるという発想。
    ・真実を話すということへの高い価値。
    ・絶望的な状況へ転落するイメージの近さ。社会の不安定さ。

    特に真実や善についての観念は
    全面的に主題化されていることもあって注意を引く。

    神と話す時でさえ正しく話す為なら堂々とすべきなのだ。

  • 作者不詳。紀元前5世紀から紀元前3世紀頃のパレスチナに於いて成立したとみられる。

    神への信仰篤く、その善に従って生きてきたヨブに、神は次々と過酷な試練を与え、ヨブは「神が在りながらなぜこのような災厄に見舞われるのか」と生の意味を喪失してしまう。しかしここには、信仰に於ける実利主義・応報思想・「幸福の神義論」(ヴェーバー)、則ち人間中心主義――人間は、神の神たるゆえに神を信仰するのではなく、所詮は自己の利益の為に信仰するのだ、という構え――が大前提として横たわっていると云える。そもそも、神をしてヨブに理不尽な苦難を与えるように仕向けた敵対者(サタン)に次のように云わせることで、作者は信仰とその"根拠"の問題、そこにある人間の傲慢(ヒュブリス hybris)を本書の主題としている。

    「ヨブといえども理由なしに神を畏れたりするものですか」

    こうして『ヨブ記』に於いて神義論・弁神論(世界に悪や苦難が存在することと神の全能性・絶対的善性とのあいだにある矛盾を整合的に捉えようとする議論、世界が悪と苦難に満ちていながらなお神を信仰するのかという議論)に対する一つの答えが示される。

    不条理であるにもかかわらず、不条理であるがゆえにこそ、信仰する。この点にこそ、信仰というものの独自の機制があると云える。神の絶対的超越性ゆえに、信仰を哲学的に基礎づけようとすることを根本的な錯誤と見做して「不合理ゆえにわれ信ず」と云ったテルトゥリアヌス(2世紀のキリスト教神学者)の思想に通じるものがある。

    神は人間を超絶した存在であり、人間如きの理性では神の義を解することはできない。これは、一方では、神という絶対者への人間の絶対的屈服・隷属を意味する。しかし他方で、理性を超越した存在への信仰は、人間理性それ自体からの自由、人間の自由性の証しに通じるのではないか。なんとなれば、人間は人間理性そのものを自らの意思で放棄するほどの自由性の内にあるということなのだから。人間は人間自身から自由である。則ち、人間は自己否定が可能なのだ。『ヨブ記』自体がそれを証しているのではないか。それが遂には、自身が信仰している当の絶対者たる神をも人間自ら否定する"自由のニヒリズム"へと到るのではないか。ヨブの最後の科白は以下のとおりである。

    「それ故私は自分を否定し/塵灰の中で悔改めます」

    そうした人間の、あらゆる概念的規定を超越しうる可能的否定的存在としての「実存」という在りようを、『ヨブ記』は逆説的に予見しているかのようだ。旧約聖書は、予め自らの内に、未来のヴォルテールを・実存主義的無神論を、胚胎していたと云えないか。

  • 聖書ってこんなにも深いのか・・・と思わされた。
    ユングの『ヨブへの答え』も併せてどうぞ。

  • 文学界の最高傑作

  • 義しい人、ヨブが神から与えられる試練、三人の友人による応報思想による非難、神への挑戦、神の答え。
    話自体は短いが、解説を読みながら解釈するのには時間がいりました。みっちり詰められていて難しい。だから深い。読めて良かった。
    神さまの、圧倒的な存在を、圧倒的な存在として、ただ信じること。それは深く透徹として信じること。それが幸せにつながる、ということだと思います。そういうことを言ってる書。

    でも解説なしじゃ何もわからなかったろうな。深い研究に基づいた註解と解説がありがたい。

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