- Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004140337
感想・レビュー・書評
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初版1954年。
この本の近代は明治・大正期で、芥川竜之介が昭和2年に自死するまでの小説史が解説されている。
日本の近代小説の初期に重要な小説家は坪内逍遥で、それからさまざまな小説家が登場する。
著者の文章の流れが明解で、説明が詳しく面白いので勉強になる。
夏目漱石と芥川竜之介は近代小説の2大スーパースター。芥川の師漱石は独自の文明観1つを全ての作品に貫き通し、純文学の枠を超えて読まれた。芥川は芸術性が神がかっている。漱石は自分の命を削ってまで作品を創る姿勢であったし、芥川は「ぼんやりした不安」があると言って自死した。
これから近現代小説を坪内逍遥から読んでみようと思う。古いのものの土台の上に成り立っているから、古いものを知らないとわからないこともあると思う。温故知新。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あとがきに書かれていることが全てのような気がする。幾多の小説家がもがき苦しんで限界に挑みながら到達しようとした目標も、結局はその時代に翻弄されたことで生まれた虚像に過ぎず、従って当時の文学を読み直したところで現代に生きる我々が指針とすべきものは何ら見つからない。
産業革命を経て帝国主義化した西欧列強による植民地化から身を躱す手段として自らが西欧列強に倣うことを選んだ当時の日本は、結局猿真似をしていただけで中身は何一つ変わらなかったばかりか、そのリバウンドが人々の生活に暗い影を落とし社会の様相が一変した。その影を今以てなおも引き摺っているのが現代人である我々であり、小説の発展に命を賭した文豪や小作家たちの夢はそういう意味ではまだ何一つ実現せられていない。
結局、小説を読み直すことは日本という一個の国がもがき苦しんできた過程を見つめ直すことに他ならず、今後日本をどう変えていくかはとどのつまり現代人の課題であるということ。気が重くなった。
Wikipediaでみたのかこの本でみたのか最早思い出せないが、小説は小編言説の略らしい。物語とは区別せらるべきものであると。 -
成島柳北、仮名垣魯文から、芥川龍之介の死にいたるまで、明治・大正期の日本文学を概観することができる本です。
著者は『風俗小説論』(新潮文庫)などで、田山花袋の『布団』を代表とする私小説について検討をおこなっており、ゾラに代表される自然主義文学が作家の個我の解放という意味に置き換えられていったことを批判的に論じていました。本書でも、自然主義から白樺派への流れを同様の視点から描き出しており、いまなお「日本という場所」にひそんでいると思われる問題について考えるための視点を示しているように思います。 -
近代小説の誕生から現代小説前までの小説の歴史が概観できる内容だった。近代の小説家の複雑な思考や思想の形を述べるだけでなく、小説同士のかかわり合いや、実績を著作と実名を上げながら説明しているため、とても読みやすかった。
近代小説は特に戦争に影響を受けていると実感した。日清・日露戦争が起こった時期に登場した社会小説というジャンルは、混沌とした現在を生きる自分たちに何かしらの示唆を与えてくれるのではないかと思った。 -
教科書的で平明。知ってるところも多く、自分がある程度ちゃんも勉強してきたことの証左のようで嬉しい。
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江戸末期の戯作~大正期の作家までを纏めた、本邦の近代文学史。
新書という形態で、さほど分厚いものでも無いため、内容としては概略に近いものだが、非常に解りやすく纏まっている。中高生は教科書を読むよりこっちを読んだ方がいいような気がする。 -
7/21
すっきりまとまってます。 -
いや~、苦痛でした。難しい。用語わからん。
将来必要になったときに、参考書がわりに読もうと思います。
でもちょっとだけ親しみが増えた作家さんもいたかな。
…誰だったかは覚えてないってのが頭に入ってない証拠だけど(笑)