- Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004150923
感想・レビュー・書評
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1 著者の清水氏は社会学者で、評論家でもあります。本書は論文の基本ルールについて、氏の経験を元に書かれています。ハウツー本とは一線を画し、高水準な内容です、文章を書く人には、是非とも読んで欲しい一冊です。
2 先ず本書でいう、論文は「哲学・思想・文化・社会科学の方面」における知的散文です。小説や随筆とは区別されます。
3 私にとって、有益だった点を拾ってみます。
① 文章の修業は、短文から始めた方がよい。短文が長文の基礎或は要素になっている。沢山の短文を繋ぎ合わせたり、組み立てたりすることによって長い文章が出きる。 ⇒ 私はメモする習慣があるので、よく理解できます。
② “が” を警戒しよう。“が”には「しかし、けれども、それゆえ、・・・等、沢山の意味がある。“が”に頼っていては、正しい文章は書けない。 ⇒ 私も安易に“が” を使い勝ちです。真意を伝えるには、接続詞との使い分けが必要と思います。
③ 文章を書く時には、日本語を外国語として、取扱わなければいけない。 ⇒ 文章を論理的に書くということでしょうか。また、例えば、英語は結論からいう言語で、確かに理解しやすいと思います。
4 私の読後感想です。題名からすると、難しい本の様ですが、平易に書かれています。従って、理解しやすいと思います。
私は会社勤めの時に、品質管理を学びました。そこで、人に物事を伝えるには、5W1H(誰が、何時、何を・・・)を明確にして、伝えなければならないと教えられました。十人十色の受け止めを回避するためです。この教えは、本書と合い通ずる点があります。
私は、本書を随分前に読みました。当時はもっと早く読んでいれば、卒業論文のレベルが高くなったのにと悔やんだものです。いずれにしろ、バイブルとして、大切な一冊です。 -
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ダイちゃんさん
コメントありがとうございます。
この本、ダイちゃんさんの本棚とレビューを拝見していなければ巡り会えなかった本です。
「コツ」...ダイちゃんさん
コメントありがとうございます。
この本、ダイちゃんさんの本棚とレビューを拝見していなければ巡り会えなかった本です。
「コツ」と書くと良くないですが、こういう書き方をすれば人に伝わるんだ! 一瞬わかったような気になるのですが、あぶくのようにその「分かった」がすぐ消えてしまう。それらのことを分かりやすい文章にしている、素晴らしい本だと思います。また、読もうと思っています。
今後もよろしくお願いします。2022/05/28 -
2022/05/28
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こちらこそありがとうございます。ダイちゃんさんのレビューで今後も「学び」ができたらいいなと思っています。こちらこそありがとうございます。ダイちゃんさんのレビューで今後も「学び」ができたらいいなと思っています。2022/05/29
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めちゃくちゃ読みやすいのに、中身がつまっていて無駄がない。魔法のような文章だと思った。ここで説明されていることが、全てこの本で体現されている。
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(1967.01.13読了)(1966.12.02購入)
*解説目録より*
論文やリポートは、なかなか書けないものである。著者は当代一流の文章家。その文体の明晰暢達は広く知られている。読者は、著者の多年にわたる執筆生活の経験に即しながら文章というものの秘密を教えられ、文章構成の基本的ルールを興味深く学ぶことができるであろう。もとより、「いかに考えるべきか」を離れて、「いかに書くか」は存在し得ない。真面目に考え且つ書こうとする人々にとって、本書は親切で有効な手引きとなるであろう。
著者 清水 幾太郎
1907年、東京市日本橋区生まれ
1931年、東京帝国大学文学部卒業
讀賣新聞社論説委員、20世紀研究所所長などを経て、
1949年、学習院大学教授
1952年、文学博士
1954年、日本文化人会議平和文化賞受賞
1955年、日本文化人会議議長
1988年歿
社会学者、ジャーナリスト -
胸に刺さった。とても知的で誠実な説教をされた気分。編集者だったときに、ここまで真剣に言葉に向き合ってなかったなあと反省した。
いわゆる「文章読本」としては珍しく、例文がほとんど出てこない。how to本を期待した読者の多くは、そこで肩すかしを食らったような気になるかもしれない。では、例文なしでどのように「論文の書き方」を説明しているのか。本著で展開されるのは、「知的文章を書くとはどういうことか」についての深い考察だ。「書くとは?」 「日本語の特徴とは?」 「言葉の裏側にある本質的な何かを伝えるのは?」 そういった、知的文章を書くために根源的に向き合わなければならないことのひとつひとつを、著者の経験や古今のエピソードなどをもとに、誠実に深掘りしている。そこから導き出された実践方法は、「日本語を外国語のように扱う」「建築物のように、文章を構築する」「『が』を警戒する」といったものだ。一見すると、抽象的すぎると思うかもしれない。しかし、本著を読むと、これらが「書く」ことの本質をとらえた、普遍的な方法論であることがよくわかるだろう。
読みながら「古典と言っていいような普遍性をもっているなあ」と思っていたら、この手の本の中では古典なんだね。岩波新書の中でもベストセラーだとか。自分が本著を手をとったきっかけが、岩波書店がやっている「はじめての新書 岩波新書80周年記念」の企画で、大澤聡が帯文を書いていたから。結果的には大正解だったなあ。岩波新書の深さを感じた。いまの新書のあり方とは、まったく違うなあ……。 -
どっかの古本屋の店先で買った。繰り返し読みたい本。
自分の文章のスタイルが欲しい。 -
論文の書き方を知りたくて手に入れた書籍。一般的な文書の書き方を教えるという内容ではなく、日本語の文書とはから著者の経験から解説した書籍だった。文書を書きたい人に、書きたいけど悩んでいる人に、何かヒントを与えてくれる。
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ずいぶん昔に読んだことがあったのだけれど、今読み返してみて、古い本なのに内容は鋭く深い。学生は一読して欲しい。論文を書こうと思っている人の必読マストアイテム。
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論文を書こうと思った時に読んだ本。
清水幾太郎の著書であり、非常に示唆に富んでいるし、表現もわかりやすい。
文章を書くという行為、読むという行為に比べると高度な、大変な行為だと書いてあったのが印象的だった。
それを表すように「文章とは認識である。行為である」(56頁)と書かれている。文章はただそこに書かれている文字の塊ではない、書いた人と読む人との間での交流が行われている。認識の違いが浮き彫りになることもあれば、たった一文で認識がガラリと変わってしまうことすらある。
とはいえ、文章は必ずしも情緒的なものでもなく、理にかなって作られるものである。それは「数式を解く場合も論理が働いているが、外国語の場合も論理が文法と一つになって働いている。辞典と文法を頼りにして、私は全く理詰めの方法で外国語の文章を読んでいかねばならぬ」(83頁)というように、外国語の文章を読むということと数学の話をつなげて説明している。
しかし、外国語とは何のことだろうか。それは英語やフランス語、アラビア語等のことだけだろうか。日本語であっても、専門用語が使用されている論文や文章を読む行為だって外国語を読む行為に近いものだと思う。
また、言葉の定義だって人によって異なることは多々あるからだ。
ある文章には、その背後にいくつもの背景や文脈があり、それらを踏まえ、理詰めで読んでいって内容がより一層わかる文章は世の中に多くあり、日本語を外国語のように改めて勉強し直すことは大事なのではないかと思う。
文章を書くという行為の難しさは単にそれが日本語が、実は難しいというだけの話ではない。そこに残される文章は現実を表すものであれば、それは歴史として残るからだ。以下のように書き手の責任感について、清水幾太郎は述べている。
「本当の現実や本当の真実は、人間の働きを含んで初めて成り立つ。人間の責任を含んで初めて成り立つ」(190頁)
この本、懐かしいですね。
どこかで読むことを進められて、手にしたように思います。
内容はすっかり忘れてしまいまし...
この本、懐かしいですね。
どこかで読むことを進められて、手にしたように思います。
内容はすっかり忘れてしまいましたが、読みやすかったように記憶しています。