- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004203278
感想・レビュー・書評
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今から四半世紀前に亡くなった丸山真男が、今の世界を、今の日本の姿をどうとらえただろうかということに思いが至る。福沢諭吉の著作の購読から丸山が読み取った思想からは、現今の日本や世界がどう見えるのかをぜひ知りたいのである。
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文献の読み方を教わったような気がする。
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丸山真男 「 文明論之概略 を読む 」 ヨーロッパと日本の文明論に はじまり、日本独立論で終わる下巻。
明治維新直後の過渡期にある日本が進むべきは、人民と政府による国家体制と、外国から自国の主権を守ることであり、そのために 文明(人民の精神の発達)を進める必要があるとする論調
文明を進める際に障害となっているのは 権力の偏重。あらゆる社会関係に 権力の偏重が組み込まれているとしている
福沢諭吉 は比喩が 巧い。「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」は 過渡期の日本の姿をうまく表現している
福沢諭吉の目線は面白い〜いろいろな自由が牽制しあって、どの自由も絶対的な力を持たない〜そういうところに自由がある
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【「文明論之概略」を読む 下】
丸山真男著、岩波書店、1986年
福沢諭吉の「文明論之概略」を丸山真男が講義をしていく本の最終巻。
最終巻の最終章(第10章「自国の独立を論ず」)では、日本には「主権的国民国家」の形成が必要だということを説く。
それは、裏返して言えば「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」(第9章「日本文明の由来」)という言葉で表現されている。
だからこそ、福沢は教育の重要性を唱え、それは、学校教育だけではなく、ディスカッションの場を盛んにするなど、社会教育も含めてであるとし、著者の丸山は「それは、政治が社会を作るのではなく、逆に社会が政治を作るのだ、という彼(福沢)の持論と対応している」と説明する。
本書の刊行は明治8年。
明治6年に帰ってきた岩倉使節団は不平等条約撤廃の使命を帯びていたが、あえなく失敗。
明治10年には西南戦争。
新しく作った「国家」が風前の灯のようになるこの時期に、一般人に向かって、一人一人の教育こそが重要だとする福沢の気持ちが、いまなら少しわかる気がする。
※それまでの感想はこちら↓
【「文明論之概略」を読む 上】
https://www.facebook.com/sbyutaarai/posts/10211340235374499
【「文明論之概略」を読む 中】
https://www.facebook.com/sbyutaarai/posts/10211624919331420
東大に国費で留学してるイラン人の女子留学生のことを丸山が「結び」で書いている。
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私の祖国イランは古代には世界に冠たる帝国であり、また輝かしい文化を誇っていたのに、近代になって植民地の境涯に沈淪し、今ようやくそこから這い上がろうとしている。日本は西欧の帝国主義的侵略の餌食とならず19世紀に独立国家の建設に成功した東アジアゆいつの国である。私はその機動力となった明治維新を知りたいので、維新の指導的思想家としての福澤について学びたい。
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いまこそ、福沢諭吉をもっと読んでみたいと思った。
#優読書 -
(2013.04.26読了)(2000.01.15購入)
【4月のテーマ・[福沢諭吉を読む]その④】
この下巻は、第八章、第九章、第十章、と後回しになっていた「緒言」の講義が収録されています。
第八章には、ギゾーの『ヨーロッパ文明史』という元になる本があるとのことです。
第九章は、内容的には、田口卯吉の『日本開化小史』の方が「日本文明の由来」という表題にふさわしい、ということです。
【目次】
第十四講 ヨーロッパ文明の多元的淵源
第八章「西洋文明の由来」一
第十五講 ミドル・クラスの成長と英仏二大革命の背景
第八章「西洋文明の由来」二
第十六講 「日本には政府ありて国民なし」
第九章「日本文明の由来」一
第十七講 諸領域における「権力の偏重」の発現 その一
第九章「日本文明の由来」二
第十八講 諸領域における「権力の偏重」の発現 その二
第九章「日本文明の由来」三
第十九講 維新直後の精神的真空と諸々の対応策
第十章「自国の独立を論ず」一
第二十講 主権的国民国家の形成へ
第十章「自国の独立を論ず」二
結び 「緒言」と本書の位置づけ
あとがき
●宗教改革(49頁)
福沢が宗教改革による殺戮の惨禍をのべながら、なるほどコストは大きかったけれども「(新旧両教ともに)教の正邪を主張するには非ずして、唯人心の自由を許すと許さゞるとを争ふものなり」といっている
●自立の宗教(127頁)
ヨーロッパの中世で見ますと、カトリック教会の教会法というものがあって、それは王権の発布する法律とは全然法体系が別なのです。王権はその教会法の領域には全く関与できない。日本の場合は、律令制の時代から、僧尼令というものがあって、政治権力が仏教界を統制していた。
●精神の奴隷(145頁)
儒学の尚古主義とお手本主義は精神の奴隷を作ってしまう
●ミルの『自由論』(146頁)
ミルは、自分自身で考えようとしないから誤謬に陥らない人の正しい意見よりも、十分の勉強と準備をして自分自身で考える人の誤謬の方が真理に貢献するところが大きい、と述べ
●停滞不流の極(176頁)
幕末に日本に来たイギリスの外交官サトウが「ここでは政治的停滞が安定ととりちがえられている」と日本社会を評した言葉が、福沢のいう「是れ即ち徳川の治世二百五十年の間、この国に大業を企つる者、稀なりし由縁なり」につながるわけです。
●ヨーロッパの文明を(206頁)
今の欧羅巴の文明は即ち今の世界の人智を以て僅かに達し得たる頂上の地位と云ふ可きのみ。されば今、世界中の諸国に於て、仮令ひ其の有様は野蛮なるも、或は半開なるも、苟も一国文明の進歩を謀るものは、欧羅巴の文明を目的として議論の本位を定め、この本位に拠りて事物の利害得失を断ぜざる可からず
●課題(251頁)
福沢の課題は二つあります。一つは日本を「国民国家」にすることであり、もう一つは日本を「主権国家」にすることです。
●在留外人(260頁)
在留する外人を見るに、開港場の外国人に極楽往生の出来べき人物は極めて稀なり。喰ひにげ、飲みにげ、人力車に乗りて賃銭を払はず、普請をして大工をたをし、約条の前金を取りて品物を渡さず、
●アメリカ(271頁)
明治八年の段階で、今のアメリカはもと誰の国なのか、インディアンの国ではないか、アメリカ文明というのは、本当はアメリカの文明ではなくて、インディアンの国を奪った白人の文明なのだ、とはよくもいい切ったものです。
☆関連図書(既読)
「福澤諭吉」西部邁著、文芸春秋、1999.12.10
「福沢諭吉「学問のすすめ」」福沢諭吉著・佐藤きむ訳、角川ソフィア文庫、2006.02.25
「日本の思想」丸山真男著、岩波新書、1961.11.20
「翻訳と日本の近代」丸山真男・加藤周一著、岩波新書、1998.10.20
「「文明論之概略」を読む(上)」丸山真男著、岩波新書、1986.01.20
「「文明論之概略」を読む(中)」丸山真男著、岩波新書、1986.03.27
(2013年5月28日・記)
内容紹介 amazon
『文明論之概略』は、福沢諭吉の気力と思索力がもっとも充実した時期に書かれた最高傑作の一つであり、時代をこえて今日なお、その思想的衝撃力を失わない。敢えて「福沢惚れ」を自認する著者が、現代の状況を見きわめつつ、あらためてこの書のメッセージを丹念に読みとり、今に語りつぐ。読書会での講義をもとにした書下し。(全3冊) -
途上国の発展を考える前に、日本の発展についてここまで深く考えたことがあるだろうか。我々が当たり前と感じていることに鋭くメスを当てていく様には脱帽。(丸山真男の解説もさすがによい)
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【再読】
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岩崎勝彦先生推薦