子どもの宇宙 (岩波新書 黄版 386)

著者 :
  • 岩波書店
3.91
  • (75)
  • (94)
  • (81)
  • (6)
  • (2)
本棚登録 : 1206
感想 : 80
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004203865

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 河合隼雄先生のまなざしを追体験できたような、そんな読後感をもった。いいかえれば、すこし優しくなれるかもしれない、と思った。児童文学への導きとしても参考になる。引用された作品はどれも知らないものだったが、その魅力をひきだす河合先生の語りに誘われ、いくつも興味をもった。以下引用。


    私は心理療法という仕事を通じて、多くの子どにも大人に会ってきたし、そのようなことについて報告を受けたり、指導をしたりすることを長年にわたって続けてきた。そして、私は実に多くの子どもたちが、その宇宙を圧殺されるときに発する悲痛な叫びを聞いた。あるいは、大人の人たちの話は、彼らが子どものときにどれほどの破壊を蒙ったか、そしてその修復がいかに困難なものであるか、ということに満ちていた。彼らの発する悲痛な叫びや救いを求める声はまったく無視されたり、かえって、「問題」だという判断 のもとに大人たちからの圧迫を強めるだけに終ったりした。本書を書こうとする私の主要な動機は、そのような宇宙の存在を明らかにし、その破壊を防止したいからに他ならない。 p.6


    ラモーナはその夜、寝室の鏡に自分の顔を映してみた。
    「どうして、だれも、わたしのことを、いちどもおかあさん子ねっていわないんだろう? ラモーナは、考えました。どうして、おかあさんは、あたしのこと、この子なしにはやっていけませんわ、と言わないんだろう?」
    ラモーナがこのように考えて悩み、眠れずにいるときに、ラモーナの両親は、自分たちの何気ない言葉や行動が、愛する娘の心をどれほど傷つけたかなどとは露知らず、パーティの疲れの後で安らかに眠っていることであろう。親は自分が子どもを愛しているということに、あまりに安心しすぎている。どれほど愛しているにしても、その愛をいかに伝えるか、ということ、 それに、愛していることにかまけて、自分たちの行っている行為を子どもたちがどのように受けとめているか、を知ろうとすること、などにおいて努力しないのは、親として怠慢であると言わねばならない。 p.15


    『クローディアの秘密』のなかで、クローディアは、「人が秘密をもってたとしても その人が秘密をもってることをだれも知らないと、そのうちつまらなくなっちゃうから。それで、その秘密が何かってことは人に知られたくないけど、せめて秘密をもってるってことくらい、人に知られたくなるのね」と言っている。秘密の扱いというものは、なかなか厄介なものである。それをいつまでも自分だけでもっていたいという気持と、誰かと共有したいという気持との相克の間に存在している。このことは、取りも直さず、アイデンティティというものが、あくまで自分だけに固有のものでありつつ、他の人々とのつながりのなかに、存在しなければならぬというパラドックスをもつことと相応するのである、と思われる。 p.52


    「王様の耳」の話を、王様の立場から考えてみよう。王様にとって「ロバの耳」は運命によって与えられ、いかんともし難い欠陥であった。彼にとって出来ることは、あらゆる手段を講じてそれを隠し通すことであった。そのためには、殺人ということも避けられなかった。王の犯した多くの「殺人」は、彼が秘密を守るために、どれほど多くの「感情を殺し」、「人間関係を殺し」てきたか、と考えると了解しやすいだろう。実際、われわれは自分の欠点を隠すために、どれほど多くのことを殺すことだろう。 p.55


    「三十歳近くなって、今更子どものときの痴漢のことなど言い出して……」という母親の認識は、ひとつの事実の認識としてそれほど間違っていないかも知れない。しかし、娘が母親に共有を願った「秘密」の意味は、母親の感じ方をはるかにこえる深さをもっていた。母親の何気ない拒否は、娘にとって世界からの拒否とさえ受けとめられ、死ぬより他にないと感じられたのではなかろうか。この女性にとって、痴漢に襲われたことは、人生の恐ろしさ、不可解さ、 それらすべてを凝集でした体験であったのである。それは簡単に言語化できるものでもなかった。それは身体的とか精神的とか区別して呼べるような体験ではなく、存在そのものにかかわる体験なのであった。 p.57


    登校拒否の子に対して、どうしたら登校できるか、登校拒否の原因は何か、などと短絡的な発想に陥らず、心理療法家はまず、子どもとその世界を共有しようとする。この例の場合でも、治療者は「絵、音楽、テニスなどを介して」少しずつ二人の共有できる世界をつくりあげていったと述べている。そのような地味な努力に裏づけられ、時が熱したときに、一匹の犬が二人の前に現われる。汚い犬を自ら抱きしめることによって、少女は自らが「けがされた」と思い込んでいた経験についての秘密を、治療者に告げることを決意する のである。
    このような全体の流れ、「時熟」するときの素晴らしさを味わうことなく、これらの話から、「登校拒否の子には動物を与えるとよい」などと判断するのは、誤解も甚だしいと言わねばならない。動物にしろ、「とき」にしろ、やってくるのであって、人間が与えたり、しつらえたりできるものではない。あくまで子どもの主体的な動きによって、動物とのかかわりが生じてくること、それを意味あるものとするのに必要な、子どもとの人間関係をもつ人が存在していること、などが大切な条件であることを忘れてはならない。 p.87


    ところで、ノンちゃんは自分のことを話すとき、自分がどれほど「よい子」であるかについて語った。すると、おじいさんは「なんじゃい! それじゃ、おまえ、まるで修身の目次を読んどるみたいじゃないか」と言う。その上、「そういう子は、よくよく気をつけんと、しくじるぞ!」とまで言うのである。それまでは「よい子」だと誰からもほめられていたノンちゃんは、これを聞いて不安になってしまう。それに対して、おじいさんは「人にはひれふす心がなければ、えらくはなれんのじゃよ」と教えてくれる。 p.124


    しかし、人間の生き方というものはそれほど一方向に規定できるものであろうか。あるいは、 何が「正しい」かそれほど簡単にきめられるのだろうか。人間の魂はそれに対して、強く 「否」と叫ぶだろう。たとえば、洋は同級生の白石なぎささんや、ふと電気科学館で知り合った、京都に住む島恵津子さんなどとつき合いたいと思う。洋の魂がそれを呼びかけるのだ。しかし、当時の道徳律は、そのような軟弱なことをはっきりと「悪」ときめつけるのである。佐脇さんはそれに対して、何がよいとか、まちがっているなどと論じたりはしない。ただ、洋が 「女の子」たちとつき合えるように援助し、それを妨害しようとするものには敢然と立ち向ってゆくのである。導者は社会的規範や、指導者の言葉にまどわされることなく、魂の呼びかけに応じてゆく。そこでは、言葉より行為が、概念や規範よりも人間存在そのものが、重みをもつのである。 p.136


    森崎は、まっとうに答えられぬ自分を責め、「ただひたすら、一緒に生きるからゆるしてね」と心から思っていると、
    『 そのうち、子がわたしの背へちいさな手をのばし、撫でつつ言った 。「泣かないでね、もうこわいこと言わないから」 』
    母の涙を見て、子どもはけなげにもを慰めようとしている。大人が本当に心を開いて接したとき、大人と子どもとの地位が反転するときがある。三歳の子は、母の涙によって慰められ、 またその母を慰めようとしている。これほどの母子の心の深い交流が、「死」を契機として生じていることにも、注目したい。死を遠ざけて生きている人は、真の心の交流を体略することは非常に難しいであろう。死は真剣に取りあげられる限り、生に深みを与えてくれる。 p.159


    ところで、バーバラはロスを連れ出して、近くの墓地にゆき、ある墓石を示して 「お母さんはこれをどう思うか」ときく。見ると、その墓石には、ある家族の四人の名が記されており、そのうち二人は死んでいて死亡日が記されていたが、二人は生きているので、生まれた日だけで死亡日が記されてなかった。言わば、生きているうちに早手まわしに墓がつくられていると言うわけである。これに対して、ロスは「これは少しばかりやり過ぎじゃないの。死んでから名前を入れたって遅くはないでしょうに」と言う。すると、 バーバラは大きな安心の吐息をつき、母親に抱きつき、「ありがとう、私の知りたかったのはそれだけ」と言って、大いに満足の様子を示した。
    ロスはこのことに大いに感激した。バーバラが母親に言いたかったことは何なのだったろう。 彼女が言いたかったことは、死の問題を取り扱うのはいいけど、お母さんはやり過ぎて止まるところがわからなくなるのじゃないの。死人も生きてる人も一緒に考えてしまって、ワークショップが終っても、普通の生活に戻れないのじゃないの、ということだったのだ。それを、墓石の名前の一件を尋ねることによって、見事に確かめ、母親が止まるところを知る人であるこ とを明らかにし、安心したのである。 p.164


    彼女が息を引きとったとき、他家に嫁いでいる姉から電話があり、次のような夢を見たと報せてきた。《 気がつくと白い上衣に赤いはかまをはいた舞美子(この少女に山中がつけた名)が枕元に三つ指ついて坐っている。「これまで大変永らくお世話になりました。お母さん、お父さんを大切にしてあげて下さいね。それでは……」と言って、すっと宙に浮き、だんだん身体が小さくなって、神棚の戸を開けてその中に入っていった。 驚くべきことに、これと同様の夢を少女の伯母も見ていたことがわかったのである。…(中略)…
    心理療法の仕事をしていて、特にそれが死にまつわることであるとき、このようなまったく不思議な現象に出会うことが多い。われわれはこれをどう説明するかなどと言うよりも、事実は事実として受けとめ、そこにこめられた意味について考えてみるべきであろう。少女の姉と伯母が見た夢は、彼女の短い、苦しみの多い人生が決して無意味なものではなく、普通の長い一生よりは、はるかに高い次元において達成されたものであることを告げているように思われる。彼女は満足して逝ったことを、最後に家族たちに告げたくて、その夢に現われたとさえ感じられるのである。 pp.172-173


    マルティンの父は彫刻家になろうと努力したのだが、逆に自分の才能に見切りをつけ、電気製品のセールスマンになって生活している。このため収入は増え、生活は随分楽になった。マルティンはこのような父の生き方に対して、何か割り切れぬものを感じていた。ある夕食のとき、マルティンはそのことにひっかかり、もし自分に父親ほどの才能があったら、「電気製品のがらくたなんか持って走りまわったりしないな」とずけずけと言う。父親は「自分の望みが何かを考えるのは自由だが、三十年たったらおまえの考えも変わるだろう」と平然としている。マルティンは腹が立ってますますつっかかっていく。このときの父親の態度が素晴らしい。父は静かにマルティンに言った。
    「おれは、おまえの望む父親ではないだろう。理想の父親とか、そんなんじゃないだろうよ。 だからといって、おれを傷つけることは許されない。おれがおれ自身にいうのをはばかったこと、それをおまえがいっていいと思うのはまちがいだ。おまえが知りたいのならいうがね、 おれは自分自身と戦って、考えぬいたのだ。そして、ある日、はっきりと悟った。おれの才能、 その限界。おれの才能は、はたして自分の家族を飢えにさらす価値があるのか、計りにかけ、 その価値なしと認めて、真剣な気持でパンをかせぐことにとり組んだんだ。さあ、おれは今、 静かに食事をしたい。」 pp.200-201

  • 子供の心に広がる宇宙を学術的に読み解こうとする著書という意味では、この手の教育論として存在する他の図書のような経験則的なアプローチとも異なり、これはこれで必要な一冊。臨床的な側面と心理学から体系的な整理の両方に意味があるのだと考える。そのためか、本著では、書物からの引用が多い。

    子供が秘密を持つことの大切さ。ペットが代理母の一部機能を果たすこと。考えてみる。核家族化から共働きへと社会が更に変わり、ペットも中々飼えなくなり、老人は老人ホーム、近所付き合いは疎遠。彼が彼でいるだけで温かく見守る代理機能を果たす関わりが減る事で、子供に齎す影響とは。この事が中々社会に飛び出せない引きこもりを増やす一側面ではないだろうか。

    日本とは世界一、隣近所に無関心な国なのだという。一方で、新型ウイルスのように、それを発症させた人が悪かのように吊るし上げる陰湿さをもち、芸能人を社会的に抹殺する執拗さをもつ国だ。社会制度は変わっても組織への忠誠心は、そうした恐怖心からも変わらない。社会は常に私を抹殺しかねない。我々はどこから間違え始めたのか。

    言いたい事を言える人たちがYouTubeで流行っている。我々は、勇気さえあれば、いつでも変わりたいのだろう。この本で、置き忘れた子供の純粋さを思い出すのも良いかもしれない。

  • p.47
    子どもが成長し、傷ついた心が癒されてゆく過程において、秘密をもつことがどれほど大切であるかがよく示されている。しかしその秘密は、育てられ、親しい人と共有され、最後にはすべての人の前に開示されるものへと変化し、発展してゆくものなのである。
    → 読書会入門で紹介される猫町UGの魅力とは 「仲間との秘密の共有」なのだろう。閉鎖された安全な空間で極上の秘密を感情とともに共有・遵守することで、アイデンティティが確立される。それは、さなぎが蝶に変化を遂げるほどの激変を起こすこともある。のでは、なかろうか。

    p.38
    子どものことを述べているつもりが、知らぬ間に大人の深刻な問題に変わってきてしまった。これは最初にも述べたとおり、子どもの宇宙について知ろうとするのは、大人の宇宙について知ることになる事実を示している。変革者としての子どもは、大人の中に住んでいる、とも言えるのである。
    → 子どもが大人を見て学ぶように、大人も子どもをよく見て学ぶ必要がある。魅力的な人物ほど、子供っぽさを大切にしているものだ。

    p.59
    秘密を打ち明け、それを共有してゆこうとするとき、それに伴う苦しみや悲しみの感情も共にしてゆく覚悟がないと、なかなかうまくはゆかないものである。
    → 人が大きく成長するとき、感情が如何に重要な要素であるかを理解しておく必要がある。

    p.68
    この例を見てもわかるとおり、治療者にまず要求されることは、子どもの心に探りを入れたり、測定したり分析したりすることではなく、子どもの心の細やかな動きに敏感に反応し、そこに示された世界のなかで、できるかぎり共に生きようとする、感受性とコミットする姿勢なのである。
    → エスノグラフィー、行動観察の基本がこんなところでも語られています。今、自分の中で行動観察が熱いということか。

    p.134
    導者としての老人像を見事に描ききった作品、今江祥智の『ぼんぼん』を取りあげる。
    → 児童文学作品がどれも魅力的に語られますが、特にこの作品を読みたいと思いました。

    本書で紹介されている文学作品で読みたいと思ったもの
    ・クローディアの秘密 カニグズバーグ著 p.24
    ・秘密の花園 バーネット著 p.42
    ・トムは真夜中の庭で フィリパ・ピアス著 p.105
    ・ぼんぼん 今江祥智著 p.134
    ・ジョコンダ夫人の肖像 カニグズバーグ著 p.140

  • ?章まで読み終わったところです。すばらしい本です。

    子どもを通して、大人(自分)が理解できます。

    目次
    ? 子どもと家族
     1 憎まれっ子/2 家出願望/3 変革者としての子ども
    ? 子どもと秘密
     1 秘密の花園/2 秘密の意義/3 秘密の保持と解禁/4 秘密の宝捜し
    ? 子どもと動物
     1 動物の知恵/2 登校拒否症と犬/3 ファンタジー
    ? 子どもと時空
     1 時とは何か/2 通路/3 雲の上から/4 日本と西洋
    ? 子どもと老人
     1 導者としての老人/2 導者としての子ども/3 トリックスター
    ? 子どもと死
     1 子どもは死を考える/2 死者を弔う/3 死の意味
    ? 子どもと異性
     1 異性のきょうだい/2 星の王子様/3 異性への接近

    ポイント抽出
    ・家出の背後に、子どもの自立への意志、個としての主張が存在している(p24)
    ・秘密の存在がアイデンティティを支えてくれる(p28)
    ・「現在の家出」は、「家を求めての家出」である。家族内の関係の希薄さを保障するものとして何らかの擬似家族(p29)
    ・子どもの宇宙について知ろうとすることは、大人の宇宙について知ること(p38)
    ・「子どもの目」によって見た宇宙は、大人たちに思いがけない真実を開示する(p38)

    ・秘密をもつということは、「私」という存在の独自性を証明すること(p48)
    ・「私しか知らぬ秘密」は、他人に依存していないので、アイデンティティを支えるものとしては真にすばらしい(p49)
    ・「秘密」は大切なものであるが、簡単に言語で表現できない(p69)

    ・時が熟する:動物にしろ、「とき」にしろ、やってくるのであって、人間が与えたり、しつらえたりできるものではない(p86)

    ・時空を超えた世界:大人はこの世のことにあまりにも縛られすぎている。忙しさの中に逃げ込んでしまっている(p104)
    ・子どもとの通路:われわれが愛情を流し込む「通路」を持っているか(p116)

    ・父と息子:おれの才能は、はたして自分の家族を飢えにさらす価値があるのか(p201)
    ・「今日の若者は根本から退廃しきっている」−バビロンから出た粘土書版に書かれてあった。約3000年前だ(p201)
    ・父と息子との火花の散る対話を抜きに、真の異性への接近などできるはずがない(p202)

    参考書籍
    ・ラモーナとおかあさん
    ・クローディアの秘密
    ・誰が君を殺したのか

  • 図書館。著者の著作を順に読んでいる中で手に取ったが、こちらは今はしっくりこず。ざっと流した。2018/7月

  • どの大人も子供の時代があった。
    しかしながら目は自分のまつげをみえないのと同じように、自分自身の一部である子供時代の心のあり方について大人になっておもいだすのは難しい。
    その結果、大人の視点で子供の心を解釈してしまいがちな親になる。
    「大人になるということは、子供のころにもっていたすばらしい(内的)宇宙の存在をわすれることではないか」と著者は述べている。一方で「大人も自分のなかに宇宙があるのだが、地位や月給などの地位財にこころを奪われがちで、その宇宙の存在にきがつくことが案がいこわいのではないか」と。大人はそのような不安におそわれるのがこわいので、子供の宇宙の存在を無視したりは破壊してしまう。
    この本は、心理学者の河合先生が、子供のこころのなかには広大な宇宙があり、それがどのような作用を生じて成長していくか?変化していくか?を紹介した本。秀逸なのは、それを理論だけでなあく、優れた児童文学作品の解説の形をとりながら展開している。
    児童文学は透徹した子供のしてんで世界を描いている。子供ではなく大人が再度よみとくことで、子供の目、こころの動きを体験できる。紹介されている本でこれはぜひ読んでみたいとおもったおは以下。

    ★子供と家族
    ラモーナとおかあさん
    クローディアの秘密
    ふたりのロッテ

    ★子供と秘密
    秘密の花園
    まぼろしの小さい犬

    ★子供と時空
    時の旅人
    ノンちゃん雲に乗る

    ★子供と老人
    ぼんぼん
    ジョコンダ婦人の肖像

    ★子供と死
    あのころはフリードリヒがいた
    誰が君を殺したのか?

    あなたが百匹の羊をもっていたとする。そのうちの一匹がいなくなったら99匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないであろうか? (ルカ伝第14章5)

  • 私の宇宙はどこに行ったんだろう?

  • Amazon、¥258.

  • 子どもと秘密、子どもと老人の章を中心に読む

全80件中 21 - 30件を表示

河合隼雄の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ヘルマン ヘッセ
ミヒャエル・エン...
遠藤 周作
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×