- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004313823
作品紹介・あらすじ
女性の言葉づかいは「どうも最近、乱れてきた」と一〇〇年以上も嘆かれ続けている-「女ことば」は、近世から現代の日本社会の、価値や規範、庶民の憧れや国家イデオロギーを担って生き延びている、もうひとつの日本語なのだ。各時代のさまざまな言説と、言語学やジェンダー研究の知見から、「女ことば」の魅力と不思議を読み解く。
感想・レビュー・書評
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時代・政治情勢などに揉まれながら、今まで使われてきた「女ことば」。
尊重されたりけなされたり、それでも結局守られてきてますよね。
専門的な部分は飛び石のごとく読んでしまいましたが、なるほどと思える「女ことば」の魅力に納得。
「ーだわ。」「ーよ。」「ーかしら。」などといった言葉は、それだけで女が発しているものだとわかるもの。オカマももちろん。
そう言われてみれば、便利ですよね。小学校教科書や絵本にだって、その使い分けによって性の区別がされてるんですから。
これは決して性差別とかではなく、日本語の特徴であり、美しいとされている理由の一つでもあるでしょう。
そんな「女ことば」…私は好きだし、使っていたいと思うし、現に日常、特にメールやWeb上での書き込みで多用している…ことに、改めて気づきました。そう言えば、私ってそうだなって。
一昔前まで強調されていた身分の差による使い分けの要素は薄れてきているし、柔らかくかわいらしく、時には色っぽく、そして女性として「らしさ」を楽しむためにも、「女ことば」は消えずに使われ続けてほしいものだと思えました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本古来の文化かのように語られている女ことば。その「伝統」はどのように作られていったのか、言語学者が具体例を挙げて解明していく。
女性らしい言葉遣いを指南する本自体は鎌倉時代からあり、儒教の思想を下敷きにしたものだったという。はじめは「女は余計なことを話すな」とはっきり男尊女卑を打ちだしていたのが、徐々に「男性から求められる女性になりたくば、しとやかな言葉遣いを」という言説に変化していったという。とはいえ、それは輿入れに人生がかかっている貴族や武家の女性たちの規範であり、近世以前は階級と地域の違いに依拠する言葉遣いの差のほうが男女間のそれよりもずっと大きかったのである。
しかし明治期に入り、言文一致運動と共に女性が男性と同じく教育を受ける学生になったときに転換点が訪れる。同時発生した「書生ことば」と「女子学生ことば」を取り巻く言説の差異を、本書は丁寧に追っていく。女子学生の言葉遣いは当然書生(男子学生)を真似たものも多かったが、「てよ」「だわ」「なの」などの語尾は女子のコミュニティから自然発生してきた。21世紀の日本人がまさに女性らしい言葉遣い=「女ことば」と見なしているこれらの語尾の流行は、当時新聞で「女子学生の言葉遣いが乱れている」と嘆かれていたという。
"乱れている"が"新しい"女性の話し方は、当時の翻訳者によって西洋の女性の話し言葉を訳す際に流用された。そして現在に至るまで、最も典型的な女ことばを話すのは翻訳小説のなかの女性たちである。また、良家の出身である女子学生が恋愛に溺れ、没落するという筋の小説が流行した。そのなかにはポルノグラフィーも含まれ、男性にとって好ましいフィクション内で女性が喋る「女学生ことば」(≠女子学生ことば)が作りあげられていく。
その後は戦争によって家父長制が強化され、男女の役割が明確に分別されていくなかで、子どもを産み育てる女性は「真に日本人らしい」言葉遣いをすべきだとされていく。そこで女性にふさわしい話し言葉として選ばれたのは女学生ことばだった。「女ことば」の規範は大東亜共和圏構想によって東アジアの人びとへも押しつけられていく。かつて西洋人女性の話し方を翻訳するのにふさわしいと考えられていた口調が、「美しい日本語」として植民地教育に用いられたという皮肉。
しかしその構造に鈍感な人ばかりだったわけではなく、戦後すぐに女性の話し方を社会的にコントロールしようとすることは男女平等に反しており、女性を縛っているという批判が学者からでていたというのは驚きだった。しかしそれは「女ことばは女性本来の優しい気質から生まれた伝統である」という印象以上の何物でもない言説にやりこめられてしまい、現在まで「女ことばの伝統」は語られ続けている。
本書によって明らかになるのは、「女ことば」は人工言語だということだ。女性同士のコミュニティで生まれ、使われている言葉遣いはある。だが、そこから他者にとって好ましいものだけを抜きだし理想化した時点で、ことばは話者の手を離れている。同じことは「国語」としての標準語にも言える。方言があり、階級差もあるなかで「東京の学問をやっている中流以上の男性のことば」が「標準語」に選ばれた。その過程で周縁としての「女ことば」が確立されたのである。
映画や小説の翻訳で多用される女ことばに長らく違和感を抱いていた私の疑問に答えてくれる、そのものずばりの一冊だった。この本を読まずに女ことば問題を語っていた過去の自分を怠慢だと感じるくらい。やはり翻訳物の女ことばは、キャラクターとして強調したいのでないかぎり、前時代的な社会規範の再生産になってしまうのではないかと改めて思う。 -
本書を読むまでは、日本語の「女ことば」が自然発生的に生まれてきたものだと思い込んでいたが、それがきわめてナイーヴな考えであったことを知った。序章の例にあげられているように、現在もっとも典型的な「女ことば」は、翻訳書の女性言葉にこそ見られるものということになるようだ。例は『ハリー・ポッター』のハーマイオニのセリフなのだが、言われてみるとたしかに誰もこんな話し方はしていない。「言語イデオロギー」から「隠された男性性」、果ては天皇制へと論は展開するが、本書は言語学の立場からのジェンダー論として、きわめて示唆的。
しいて難を言えば、「女ことば」の将来像の展望がなかったこと。 -
なぜ「女ことば」は存在するのか。この本の問題意識はいたって単純です。
暑い「わね」のように、単語レベルでそれを使うだけで女性を連想するような言葉があるのは、日本語の特徴の一つだと思います。
この本の内容をかなり乱暴に要約すれば、女ことばが存在するのは、言説による規範化、そしてそれが定着することによって「創られた伝統」が定着するところにあるということですね。
言説による規範化とは、女ことばそれ自体が定着するのではなく、「女ことばはこういうものだ」もしくは、「こうあるべきだ」というような言説のなかで定義されるということです。現代でいえば、マナー本や教科書などが一番身近でしょう(ちなみに、女性語のマナー本は鎌倉時代からあったそうです)。規範化のなかで特徴的なのは、日本国民の優越性を示すための国策のなかで女ことばが日本語の伝統として位置づけられ、戦後にもそれが続いたということでしょう。
それまで正式な日本語として認識されず、標準語の策定にあっても「方言」と同じように無視されてきた女性語が、知識人によって日本語の伝統として天皇と結びつけられ、「日本人」という一体感が作られてゆく。そして、その伝統は戦後においても女性のもつ本来の特徴として、再び規範化される。
各章を比較してゆくと、その時代の言説によって「女ことば」の位置づけが全く違うということが示されています。それによって、「創られた伝統」であることを浮き彫りにしようというのが狙いではないでしょうか。それがこの本の面白いところですね。
若干、女ことばの不遇の扱いを嘆いているような・・・その意味で肩入れしているような語り口だと思いましたが、常識を疑うという意味ではこれぐらいでよいのでしょう。例示が多いので、軽く読むにしても面白いです。「~てよ、~だわ」は堕落した女学生を象徴する言葉として使われていたとか、「あたい」は男子にも使われていたとか。
ただ、すべてそのまま納得できるかというと微妙なところもあると思いますが……それは、他の方の意見を伺ってみたいところです。
……関係ないことですが、良く考えてみると、最近はすっかり女ことばを聞きませんね。 -
「女ことば」の歴史なんて、今まで知らなかったから、すごく面白かった。
特に、「てよ」「だわ」という言い回しが昔は下品な言葉使いとされてたなんて、ビックリ!-
「「女ことば」の歴史」
面白そう、、、或る意味「女らしさ」の変遷になるのかな(しかも男から見た)?
「らしく」あっても、なくても良いと思う人...「「女ことば」の歴史」
面白そう、、、或る意味「女らしさ」の変遷になるのかな(しかも男から見た)?
「らしく」あっても、なくても良いと思う人が多くなっても、男は「らしさ」に弱いだろうから、逆手に取っちゃえば良いんじゃないかな←読んでもないのに飛躍し過ぎかな、、、2013/02/15
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みんな自分勝手だ。ゆる言語学ラジオでコーパスの話を聞いた時も思ったが、人は自分がどう発話しているかをあまり正確にわかっていない。だから、はるか昔、実際にどのように皆が発話していたのかもわからず、文献だけが頼りになってしまう。しかし、本書でも取り上げられている通り、実際典型的な女ことばである「てよだわ」が多く使われているのは創作物、特に翻訳とか。文献に残っていたからといってそれが実在の発話とどれだけ近いかはわからない。ずっと昔から「最近の若者の言葉遣いは…」という話があるらしい。皆正確に把握できていないのに、印象だけで作られた「言説」が女ことばの歴史を間違って解釈されていたのでは、というのが本書の大きな指摘だと思う。
人に勧められたから読んだ。珍しいことをした。
主張が強い文章は苦手だ。この本は過去の文献の引用と著者の主張が入り乱れていて、全て事実として説明されている感じがした。また、過去の出来事に対しても「〜されてしまった」のような表現が多い印象で、共感を訴えてくる文章だなと思った。とはいえ、女ことばの成り立ちについては、なるほどこれまで指摘されてこなかった観点での解釈で、結構その通りなのだろうなと納得感はあった。
一番興味深く思ったのは標準語を作ろうとした歴史の話。一部の権力者が、「京都語は男が使うには弱々しい」とか主観で決めたことが、現在の世の中でも大きな影響を与えていると思うとたいへん面白い。
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「てよ・だわ」のような「女ことば」がどのような変遷を経てきたかを分析している。女性特有の言葉遣いというものは日本語独特のものらしい。
自然発生的に出てきた言葉が、その時々の権威や儒教的な男尊女卑の思考から都合よく解釈されてきた歴史が語られている。ある時期には「賤しい身分の者が使う」と言われ、またある時期にはセクシャルな言葉遣い(官能小説の類いで効果的に使用)とされたり。かと思えば戦時中には「日本が優れていると示すための日本語」の一環として担ぎ出されたり。
現在でもメディア上では残っているが、普段の生活で聞いた覚えがない。本書の序盤で言及されているように、外国の小説などを翻訳した際に男女どちらか分かりやすいように使い分けるなど、日本ではほぼ使われてないものが「文章の中の外国の女性だけが使う言葉」か、「オネエ言葉」でしかその存在を見かけない特殊な言葉になっている。 -
日本語はこういうキャラクターの味付けみたいな語彙が単語とか一人称だけじゃなくて、口調とかに出る語尾にもあるから、面白いよな~~~~~と
外国語にはないんだろうな -
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ジェンダーってなンダー?
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「日本語には、なぜ女ことばがあるのか。」という疑問に応えるべく、言語学やジェンダー研究の観点を交えて、女ことばがその時代時代で担ってきた価値や役割を紐解いていく。
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「日本語には何故『女ことば』が存在するのか?」を歴史的に解説したもの
一言でまとめるなら、権力側に都合の良い役割を与えられたから
「女ことば」は標準語のみに存在し、地域語(方言)には男女の明確な違いはないのは何故なのか?を考えると理解しやすい
自然発生したものではない らしい……
鎌倉時代のあたりは、「女はしゃべるな」という価値観
当時もマナー本のような「女訓書」があった
「つつしみ」という価値観の教育
上流の女性コミュニティの言葉 女房言葉
明治時代 言葉の統一の必要性
東京の上流階級が使う地域語を標準語に
男が使う事のみを想定
女性も妻・母としての役割だけでなく、皇国の国民としての立場が必要に
「女は話すな」だけでなく「言うべき時は言え」
男女の役割の違いと男女の言葉の区別
戦後、占領下でも教育の優先順位により女ことばの撤廃はされず現代に至る
そして、今もマナー本などで丁寧な話し方という価値観が共有されている と
言われてみれば、海外文学の訳は殊更「今どきそんな喋り方しねーよ」なものが多いですよねー
本文でも言及されているけど、ハリーポッターシリーズでハーマイオニーは優等生的なキャラだけどやはり違和感はある
「ボクっ娘」は書生言葉を女学生が使っていたときの名残りが由来
歴史的な変遷は読んでいて面白かったけど
随所に香るフェミニズムの思想
ま、論文ではないので著者の感情が入っていても良いとは思う
ただ、淡々と事実にと資料に基づく事柄を述べてあったほうが読みやすいと思う