- Amazon.co.jp ・本 (167ページ)
- / ISBN・EAN: 9784007000638
感想・レビュー・書評
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著者は、元巨人の投手・桑田真澄氏に古武術の身体の使い方を教えた人。
身体を「部分」ではなく、「総合的」に捉えている部分が共感できた詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本はきっとヒントなのだと思う。
自分が正しいとか、古武術を取り入れれば健康になるよなんてことは書いてない。
ただ、甲野善紀さんがこれまでの独自に学んできたことの研究報告のようなものなのだろう。だから、もしかしたら数年後にはまったく正反対のことを言っているかもしれない。
だけど、そこにはまったく矛盾はなくて、この本を書いた時はこれが甲野さんにとっての現時点での答えなんじゃないだろうか。
当たり前にあるものに対して疑問を持ち、自分なりの仮定を持つ。
旺盛な好奇心をもって様々な工夫をこらしながら、答えを導き出し、しかしてその答えに決して固執しない。
常に疑問を持ち続ける姿勢が素晴らしかった。
答えを求めれば求めるほど泥沼にはまってしまうし、「これ!」という答えを得た時にそれに縛られてしまうんだ。
体に関する本なのに、なぜだろう感動する。 -
中学校の時に読んだ本を再読。
かぁ!!まさに色んな事が繋がった。バガボンド、竜馬、禅、武術、人生…。今こそこの本を読めて良かった。あとは自分の体を通じて納得したい。
個人的メモ。
・「光は波でもあり、粒子でもある」というアインシュタインの光量子論発見の言葉から、「自然界は矛盾しているとみえるその二重性こそ、その奥深さなのだ」と気付き、「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」と結論づける著者。ここが深い。矛盾してるから奥深く、人を惹き付ける。
・新しい発想を生み出す根底には、美意識がなければなりません。 -
今日の古武術ブームの発端を築いた甲野善紀が、自身が古武術に興味を持ったきっかけや、近代武道と古武術との違い、桑田真澄選手や桐朋学園のコーチなどとの交流、人生観や文明観などを、平易な文章で書き起こしたエッセイ。
甲野善紀の本は、武道研究などの専門書、多分野の知識人との対談本、生活などに応用可能な古武術技法を解説したノウハウ本が多いが、この本は専門外の人じゃなくても誰でもが読みやすく、甲野善紀の思想がよくわかる本なのでとてもとっつきやすく面白い。
この世代の人が、古武術を発見するある種のジェネレーションの問題があることに気付かされることもある。1949年生まれとのことなので団塊の世代になるが、おそらく気風的にはその少し後くらいの感覚ではないだろうか。農学部出身ということもあるかもしれないが、自然農法のことが書かれていたり、バックミンスター・フラーに影響を受けた数学者の話が書かれていたり、既存社会への反抗というより疑いを持って、自分で確かめよう、というカウンター・カルチャーやヒッピー的な気風があるような気がする。
自分がぶちあたった人生の難題を解くために、禅の「無門関」にヒントを得たり、その具体的な方法として古武術にたどりついたり、日本人がすでに日常生活の中で日本人の伝統的な身体作法や心の訓練を失った後に、自分の体を通して、日本人の伝統や生き方を発見していく、というのが甲野善紀のたどってきた方法らしい。
そういう意味で、日本人がすでにかつての日本人でなくなった後の、日本人の伝統の再発見ということになるだろうか。外国人からの日本文化の発見ということではないが、それに近いものもある。だが、身体の中に伝統が潜在しているという意味で外国人とは少し違う。ただ、外国人や異分野の人にも影響を与える普遍性も備えている。その辺がとても面白いと思う。そして、冷戦の終焉や新しいグローバリズムの中で、日本人の文化を見直す基底となる発見であることは間違いない -
甲野氏の自伝的というか、考え方を表した本か?
古武術自体についての記述はあまりなかったように思える。 -
甲野善紀が古武術についての取り組み方、考え方について書かれた本。
著者が古武術、技、発想について語る内容だけど、ユニークで面白い。
ただ、技術的なことを知りたい人には、著者の違う本を読んでみてもいいと思う。
特に、気になった内容としては、
著者の武道は、古武術を参考にした創作武道であること。
日本の文化は一器多用であること。
ひねりは、対人競技に向かないこと。
ひねりを否定しているわけではないこと。
手裏剣が難しいこと。
かな。 -
[ 内容 ]
桑田真澄投手の再生を導いた常識を覆す身体術。
古武術と現代武道はどう違うのか。
「捻らない、うねらない、ためない」身体の使い方とは?
だれもが身につけたほうがいい、上手な「転び方」。
発想を育てる。
[ 目次 ]
第1章 今に生きる古武術(桑田投手新生の軌跡;バスケットボールと古武術)
第2章 古武術とは何か(古武術と現代武道;武術との出会い ほか)
第3章 技の術理(技が効くのはなぜか;古武術にとっての「力」とは何か)
第4章 発想を育てる(発想の転換点;クリエイティブな教育へ)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
【要旨】
古武術と言っても、字際には創作武術。古伝を参考にして模索している。特定の古伝・流派を受け継いでいるわけではない。指導をするというよりも、共同研究をしている気持ち。
一流のプロ選手でも、古武術的に見れば、重心の処理の仕方一つとっても、手続きが掛かり過ぎる。武術はとにかく動きを省略したい。
西欧的な身体の動かし方はうねり・捻りの動きが特徴的である。うねりの欠点として、急ブレーキ・急発進とロスが多い。また、威力があるが、時空間に準備が必要ですぐに使えない。一方古武術では、例えばふっと膝を抜けばためになるし、自分の体重をそのまま使うことができる。「なんば歩き」は身体を捻らない動きで、曲がるときも、いったん足を踏ん張って捻って方向転換するのではなく、歩きながら突然足を払われたように、自分の側面に倒れるように向きを変える。こうしたことによって、筋肉の力や捻りによるためを使わず、自分の体重を使って、素早く方向転換することができる。
そもそも、力や速さを同じレベルで考えることが重要である。体力測定などでは、数値化されたものが、筋力によるものなのか、身体の動かし方によるものなのか分からない。動きの質を追求していくと、現代のトレーニングは筋肉が主であるのに対し、古武術では、骨(骨格)が主である。
【感想】
個人的にスポーツをする人間として、甲野氏の指摘するように、筋肉を主に運動してきたように思う。しかしながら、筋肉は衰えるものである。効率の良い動き方を考える際に、古武術を基礎とした動き方は非常に有意義だと思った。
【目次】
第1章 今に生きる古武術
第2章 古武術とは何か
第3章 技の術理
第4章 発想を育てる
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古武術ブームの生みの親、甲野氏の著書。
まぁまぁ。
YouTubeなどで実際に見ながら読むといいかもね。