- Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022513458
感想・レビュー・書評
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凄く面白かった。
やはり角田さんの本は文章も読みやすく内容も飽きさせず、心の奥にぐぐっと入り込んで離さないものだった。
里沙子が水穂と自分を同化させたように子供のいない私でさえ読み進むつれどんどん彼女たちと自分を同化させ、自分の中の目を伏せていた様々な傷を見せつけられらようで苦しくさえなった。
人にはそれぞれの生きてきた世界があり、異なった価値観があり、物事の捉え方、使う言葉も様々で、何かを本当に理解し合うなんで無理で、誤解し合い、曲解し合い、傷つけ傷つけられながら人と関わるしかなくてしんどい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
裁判の被告人と主人公が重なる物語。
育児や夫婦関係、嫁姑問題を
事細かに描かれており
誰にでも共感できる部分があるんじゃないかと思います。 -
オーディオブックにて
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裁判員に選ばれてしまった幼い子を育てている母親と、乳児の虐待死で起訴されている母親のお話。可愛いはずの我が子に異常に苛立ち、無視してしまったり罰を与えようとする心理が、まるで自分の話のようで心が苦しくなる。子育てをして初めてわかった子どもを育てるということ、決して他人事ではない虐待の事件、悪意のない他人のひと言でどんどん追い詰められていく過労の母親。どんなに頑張ったとしても子育てはひとりでは出来ない。
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図書館で順番がまわってきて読了。
あるある満載、あっという間の500頁。お見事でした‥。
ジェーン・スーの本で(彼女には主夫のパートナーがいる)男女に限らず、片方が相手を経済的に養う形をとると、主夫として家庭の様々な用事を引き受けてもらえているとわかっていても、養ってやっているのに‥という気分になるのは不思議なもんだ、といった風な文章があった。でもたかだか4〜50年の人生経験の人間の完成度ってそんなもんじゃないのかな。相手のすべてを受け止めて、経済的にも養うことに意義を見出だせるほうが人間離れしてると思う。だから、そもそもそういう関係(一方だけが稼ぐ)のはきっと難しいことも多くて、世間的に成り立っているように見える夫婦は、どちらかが(もしくは双方が)違和感感じていたりするんじゃないかな(共稼ぎの火種はそれはそれで別にあったりするけど)。
だからどんだけ結婚相手選びにこだわったとて、100%養われる関係になるのはお互い危険。1%でも、社会と直接つながっておくことが、しいては自分を守ることにも繋がってくると思う。
これも別の本で読んだんだけど、シャンパンタワーの法則というので、タワーの一番上が自分、2段目が家族、3段目が友人‥として、きれいに注ぐにはまず一番上から注ぐこと。自分をきちんと満たすことで2段目3段目にもシャンパンが行き渡る。ま、もちろんタワーを慎重に組むことも必要だけど、注ぎ方のコツもあるらしいから、と主人公達に伝えたくなる。
赤ちゃんの不思議さは、誰かが100%世話をしないといけない存在であること。だが「母親=赤ちゃん」の関係になると自分自身を一時的に見失ってしまうと思う。そして赤ちゃんへの評価が自分に響きすぎてしまうというか。赤ちゃんはいつか自己を見つけ、他人として育っていくのだから、母親は誰かに預けられるときは預け「赤ちゃん≠母親」になるようにしないと絶対ノイローゼしかない。
でも第一子は力はいるのわかるしな‥。
力入れすぎるとこの本の人みたいになるよって、読んでもらうことなんかな。500頁近くあるけどハマればあっという間‥ではあった。
とにもかくにも、色々考えさせられる大人な一冊でした。
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なかなか明けない梅雨。毎日毎日バカみたいに降る雨。
相変わらず減らない感染者数。
そんなときだったからかもしれないが、主人公の女性の独白が8割を占めるこの小説は、途中からとても読むのが億劫になってしまった。
生後8か月の自分の娘を浴槽に落として殺害した安藤水穂の裁判。
補充裁判員に選ばれた山咲里沙子は、もうすぐ3歳になる女の子の母親で現在は専業主婦だ。
子育ての苦労や苦しみ、不安や周りからのプレッシャー、だんだんと悪い方へ悪い方へと傾いていく気持ち。そして最終的には最愛の我が子をこの手で殺めてしまう。。。子を持つ母親として、里沙子は水穂の気持ちを想像し、理解しようとする。がしかし、そうすることは里沙子自身の子育てにまつわる過去と現在を今一度見直すきっかけとなっていく。
裁判の間、里沙子が真剣に考えていたのは水穂のことじゃない。
他の裁判員との意見の食い違いで、水穂を庇うような発言をしているが、実はそれは水穂と重ね合わせた自分を守っているだけだ。
「私もまた、進んでそんな人間になりきってきたのではないか。 そのような愛しかたしか知らない人に、愛されるために。」
物語終盤の里沙子の言葉。
彼女ならどのような立派な愛し方ができるのだろうかとわたしは思う。
彼女はこれまで、陽一郎という夫を、文香という娘を、どんな風に愛してきたのだろうか。
確かに無意識の他人からの言動に、不意に傷つけられることがある。それがトラウマになってしまうことだってある。相手は悪気もなければ、もしかしたら善意や好意からやっていることなのかもしれないのに。
だから人との付き合いは難しい。
自分が傷つけられてきたということは、自分だって誰かを傷つけてきたということだというのが、里沙子には分かっていないような気がした。自分ばっかり被害者のような言い分だった。いや、彼女の気持ちを他の誰かにぶつけたわけではないから、言い分っていうのとは違うな。みんな自分勝手に色々なことを思うから。わたしだって口にはしないだけで、さんざん頭の中で被害妄想的なことを考えたり、極悪非道なことを願ったりするわけだ。
さて、この裁判が終わった後、里沙子はどうするのだろう。
『そんな愛しかた』しかできない人とは離婚するのだろうか。それとも、離婚したからといって生活もできないし、子どもも手放したくないし、といことで自分の都合のいいように物事を見るようにして、今まで通り生きていくのだろうか。
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■ 1901.
<読破期間>
2019/1/24~2019/1/30 -
仕事を辞め育児に専念する主婦、補充裁判員に選ばれる。娘を義父母に預け、似た境遇の被告について裁判員としてガチで考えられさせることで、自分の行動や考え方、夫や娘や両親・義父母との関係性を深く内省する。
かけた労力に見合った成果が得られて、良かったです。他の裁判員たちも、それぞれに、何を得られたんだろうと思います。 -
子育て経験がないので、あまり興味を持てないまま読み始めたが、途中からページをめくる手が止まらなくなりました。「子育ては大変」「母親を孤立させないように」等、周囲が表面でわかったような顔で言ってることの無責任さ、空虚さ。自分も善かれと思って発した言葉で知らず知らず誰かを傷つけてたのかも知れません。
裁判員として虐待死の事件に関わりながら、精神的に追い詰められていく里沙子ですが、ラスト近くでは、これまで自分で考えることをせず、実の母親や夫・陽一郎の意に沿うように楽な方に流されてきたことに気づきます。さらに彼らは決して自分を憎んで損なおうとしているのではなく、そういう愛し方しかできないのだと理解します。
電車の中で、連れの男性に大声で何度怒鳴られても言い返す女性が出てきますが、そのエピソードが効いてます。
ラクしてばかりではなく主張しないと始まらない。言いたいことが通じなくても諦めてはいけない。その後の里沙子が自分と娘・文香のためにどんな選択をしたのかは描かれませんが、自立の方向へ人生を踏み出すのではないかと思わせる終わり方に希望を感じました。