- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022518842
作品紹介・あらすじ
美桜が生まれた時からずっと母は植物状態でベッドに寝たきりだった。小学生の頃も大人になっても母に会いに病室へ行く。動いている母の姿は想像ができなかった。美桜の成長を通して、親子の関係性も変化していき──現役医師でもある著者が唯一無二の母と娘のあり方を描く。
感想・レビュー・書評
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ー 「生きるとは何か」を問う、静かな衝撃作
東京の桜は昨日、全国で最も早く開花したとのこと。
この小説の主人公は美桜(みお)。美しい桜の咲く中で生まれた子なのだろうと想像される。だけど、母は美桜が生まれた時から植物状態でベッドに寝たきり。
呼吸をし、食事をし、排泄はするが、意識はない。当然、母とは会話をしたことがない。それでも連日病室に通い、成長してからは母の介護をするようになる。
母の胸の中で安らかに眠り、様々な打ち上げ話をする。心の通わせ合いはないが、物理的に母という存在は確かにある。
そんな特殊で、ある種究極的でもある母親と娘の関係を描いている。
植物状態なのは母だが、タイトルは植物少女。
その謎を読み解くことが、自分なりに解釈することがこの本の読者には求められる、気がする。
僕はぼんやりと解釈できたようなできないような…
ちなみに、著者は男性の医師、なのだそうだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
非常に重たいテーマで、中々読み進めるのに
時間がかかりました。眠り続ける人たちと、その
周りで目を覚ますことをずっと願い続ける人たちの物語で、希望を持ち続けることが、いかに難しいのかと、改めて実感しました。植物状態という
言葉をニュースとかで、聞いたことがあり、ざっくり言えば脳の病気で脳が壊死して、寝たきりになってしまう。そういったテーマで、寝たきりの方の周りの方たちが、どんな苦労をしているのか、こういった言い方はあまり良くないが、終わりのない眠りからどうやって救えるのか。医者でもある著者の想いもいっぱい伝わってきました。
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娘・美桜を産んだ時から植物状態になった母・深雪。美桜には父や祖母が覚えているような母の思い出はない。病院のベッドの上で息をしている母に寄り添う娘の姿から、生きるとは何かを問う作品。
美桜が覚えている記憶の初めから、母はずっと植物状態だった。植物状態は脳死とは違い、大脳は働かなくなっているが、脳幹は動いている。だから、自発呼吸ができる。食事も介助すれば摂れるし、幼い美桜へ母乳もあげられたり、痛い時は反射的に手をどかしたり、手のひらに触れると握ってくれたりもする。今にも目覚めてくれるような希望があるのに意識だけが戻らない。以前の“深雪”を知っている父たちの諦めきれない思いと、今の母しか知らずに育っていく美桜の奔放な姿が描かれていく。
何も話さないけれど、どんな話でも最後まで聞いてくれるし、思い通りに甘えられる。どんな醜い本音をぶつけても聞いてくれる母。他の人間にはできない独特の人間関係が紡がれていく。子供の美桜は危なっかしいというか、無邪気すぎるところにヒヤヒヤした。母は自由にさせてはくれるが、叱ることはないんだよね。でも、美桜は成長するにしたがって、母の中にあるものが空っぽではないことに気づいていく。
同室には他の植物状態の患者もいる。美桜と変わらない歳の少年や、お爺たち。まるでベッドに根を下ろした植物のように息をして、何十年も生き続けていく。意識はなくても、命の灯を絶やさずに息をし続ける。その瞬間を生き続けて、存在するだけで奇跡なのだ。これこそ「生きる」ことの根幹ではないだろうか。ぼくは生きることに理由とか意味とか価値とかを見出そうとしてしまう。それは植物の地上に出ている枝葉や果実という一部分でしかない。地下の根は目には見えず、何も語らずとも命を燃やし続けていく。
p.20
そうやってわたしは母をいいように使った。母が大好きだった。ここまで思い通りにさせてくれる人間は、わたしの周りに大人も子供も含めて誰一人いなかった。どんな話も遮らずに最後まで聞いてくれた。
p.84
誰にも漏らせない気持ちを、普段は使えない言葉を、母には言える。いつからか父や祖母の前では無理になったが、母の前ではいまだに素直になれる。
百パーセントの完全な素直。わたしは母に一回も嘘をついたことがない。誤魔化したことすらない。
p.105
どうやら、周りに話を聞いてくれる人がいなくなって本音を言えなくなった人は、かわりに嘘が簡単に言えるようになるらしい。
みんながわたしにゴミを投げつけてくるのはしかたなかった。空っぽのものを見れば、そこにゴミを投げ入れたくなる。それは当たり前のことだった。
p.107
何も考えられない、何も思うことができない母は、もしかしたら、こんな生の連続に生きているのではないか。息だけをして生きる。この確かな実感の連続に居続けているなら。 -
書かれてあることはすごく心の奥に迫ってきた。
でも『私の盲端』もそうで感想が書けなかったんだけど、朝比奈さんは医師だから平気で書けるのか、主人公たちのやってることがえげつなくて、痛々しくて見ていられない。私は注射も直視できないので、内臓になにかするのとか本当にムリ… -
娘を産んだ時、脳出血を起こし、植物状態になってしまった「深雪」と、ありのままの母を受け入れ、愛し、成長してゆく娘「美桜」の物語です。
医師である作者による患者や医師たちのリアルな描写が、どこかおとぎ話のような母娘の様子に現実味を帯びさせています。
このアンバランスな感じが私はわりと好きです。 -
第36回(2023)三島由紀夫賞受賞作。
美桜の母、深雪は、我が子と話したことがない。
それは、深雪が、娘を産むときに脳出血を起こし、いわゆる植物状態になったからだ。
まだ幼い美桜は母がどういう状態なのかもわからず、離乳期を過ぎてもまだなお、自ら母乳を吸っていた。
傾いた体勢の深雪はまるで「我が子に授乳する母親」のように。
時が経ち、美桜は小学生になり、中学生になり、社会人になり、出産した。
生きている、それは同じなのに世界が違う。
緩やかで、変わらない静かな世界と、忙しなく雑音だらけで目まぐるしい世界と。
こんな全く違う世界で、美桜は生きている。
深雪はなにを感じていたのだろう。
本書には、病気になる前の深雪の描写が少し出てくるだけで、彼女の言葉や感じたことは出てこない。
身体的な痛みや苦しみには反応するだけ。
人の心はどこから来てどこにあるのか?
支えの欲しい父や静かに見守る後年の父の恋人。
娘と孫を心配する祖母。
誰もが静かな世界で「生」と向き合い、命と生きている。 -
なんだかすごいものを読んだ気がする。
生まれた時から植物人間状態の母親と過ごした娘の視点から語られる回想。母親から抱きしめてもらったり、語られることはなくても、生理的な反射で、母親の手に自分の手を重ねれば握り返してくれたり、乳児期にはおっぱいを咥えたり、お腹の上で母の呼吸に合わせて眠ったり…
母親として子どもに何もできないと自分を苛むことがあるけれど、何も行動や言葉にできなくても、ただそばにいるだけで子どもに残すことができるものが確かにあると、この物語から教えられた。
もちろん何を受け取るかは子ども側に委ねられるのだけれど、それでもただ生きて、息をしているだけで、人の記憶に何かを残すことはできるのだ。 -
少女を産む時に脳出血を起こし植物状態になってしまった。だから少女は動いている母を知らない。
それでも少女は母に支えられ大人になっていく。
同じ病室には同じように生きているだけの人が数人いる。動くわけではなく生きているだけ…。
何か大事なことが大切に隠されているような物語なのだけど、私にはうまく表現できない。
ただ、何もしないでダラダラ過ごしてはいけないような気持ちになってしまいました。